瞬転

 溶岩洞に沈黙が降りた。

 しかしヴォルフは、なおも剣を降ろさない。


(おいおい。全然収まってくれる感じじゃねえぞ。結局、俺らが頑張るしかないヤツなんじゃ……)


 黎一は、魔律慧眼カラーズでヴォルフを見た。依然として、天を衝く勢いの水の魔力マナが溢れている。

 魔力マナの放出量やゆらぎは、存在の感情を表す。ヴォルフが納得しているとはとても思えない。


「……言いたいことは、それだけか」


(ほらね)


 ヴォルフは、レオンに向けて剣を構えた。


「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んできた。だがすべては、強きノスクォーツを取り戻すため……。父の死を無駄にせんがためだっ!」


「なればこそ! 一時の感情に流されるなっ! それが分からぬキミではあるまい!」


「くどいぞレオンッ! 強きノスクォーツの再興は、父の非業を晴らして始まる! さあ……剣を抜けっ!」


 ヴォルフの水の魔力マナが膨れ上がった。周囲の炎の魔力マナが霞むほどの勢いは、さながら渦潮のようだ。


(さすが大陸最強だねえ! 下手な勇者ブレイヴなんか目じゃねえぞ! えいくそっ、どうにかして黙らせるか……)


 また蒼乃を攻撃の軸にして、一度眠ってもらおうか。

 そんな算段が、頭の中で立った時――。


「……そこまでだ」


 ――唐突に。

 ヴォルフの背後に、青みがかった銀髪の男が現れた。

 東洋系の顔立ちをした美男だ。背丈はヴォルフより少し低いくらいか。険しい表情だが、どこかダウナーな雰囲気を醸し出している。青い闘衣と黒のレザーパンツの上に纏う、群青色の外套がやけに目を引いた。

 それがヴォルフの首筋に、反りの深い長剣を押し当てているのだ。


(……は?)


 数瞬前まで男はいなかった。魔力マナの揺らめきも見えなかった。かといって降って湧いたわけでもない。実際、蒼乃もレオンも、錬氣を持つアイナすらも反応できていない。

 ふと、アイナの顔が目に入った。目を見開き、口を開けて固まっているように見える。アイナにしては珍しい。


(アイナ、さん……?)


 その間、銀髪の男はさらに言葉を続ける。


「下手なマネはしないほうがいいよ。少しでも動けば、こいつの首が飛ぶ」


 声も口調もダウナーだが、男の構えには隙がない。


「貴様……何者だ。私をノスクォーツ国王、ヴォルフガング・レクス・アルバルプスと知っての狼藉か?」


 口火を切ったのはヴォルフだった。一歩間違えば命を取られる状況だというのに、口調は変わらない。

 しかし青銀髪の男は、表情を動かさずに口を開く。


「だから狼藉働いてるんじゃないか。っていうか、話したいのはあんたじゃないんだよね」


 青銀髪は、ちらと黎一たちのほうに顔を向けた。

 視線が向いているのはレオンでも、もちろん黎一でもない。


「……おい、女」


 男は、アイナを見て淡々と言葉を放つ。

 アイナが無言のまま、びくりと震えた。こんな様は、今まで見たことがない。


「得物を納めて、こちらへ来い。こいつの命と引き換えだ」


「……フン、大した色ボケだな。いかに腕利きとはいえ、一介の冒険者が私と釣り合うとでも言うのか?」


「決めるのはオレだ。あんたじゃない」


 ヴォルフの言葉に、青銀髪は切り捨てるような口調で応じる。

 流れを断ち切らんとばかりに、レオンが一歩前に出た。


「彼女は、我が国選勇者隊ヴァリアントに所属する者だ。それがノスクォーツの国難を産んだとあっては、我々も肩身が狭い……。貴殿の目的はなんだ? ヴァイスラントやノスクォーツに対する要求なら、正規の手続きに従いたまえ」


「あんたらの国なんぞ、どうでもいい。用があるのは女だけだ。もし要求に従えないというなら……」


 切先がわずかに震える。青銀髪が剣を握る左手に、力がこめたのだろう。


「……こいつを殺して、あんたらがやったと言いふらす」


 青銀髪の全身に、冷え冷えとした水の魔力マナがみなぎった。

 ヴォルフと同じ水の魔力マナだが、こちらは凍れる吹雪を思わせる。


「ッ……!」


 意味するところを察したのか、レオンの表情がわずかに固くなる。

 今の状況は、ノスクォーツの冒険者ギルドには伝わっていない。ヴォルフが殺されるのを黙って見ていたとなれば、二国間の軋轢は免れない。


(こいつ、国同士の状況を分かってる? いや、今はそんなことより……!)


「みっつ数える。その間に決めろ」


 アイナをちらと見た。すでに鞘を納めた長剣を胸に抱くようにして、青銀髪を見つめている。悲しみと怯えを綯い交ぜにした表情に、いつもの凛とした雰囲気は微塵もない。


「ひとつ……」


(レオン殿下から命が下っても不思議じゃねえ。なんとかできないか? なんとか……)


 そこまで考えたところで、蒼乃と目が合った。

 ずっと黎一を見ていたのだろう。視線から読み取れるのは、たったひとつの言葉だ。


「ふたつ……」


(使え、ってか?)


 レオンはなにも言わない。青銀髪の意図を、測りかねている表情に見える。

 だが片や隣国の王にして親友、片や一介の冒険者だ。どちらを取るかは考えるまでもない。


「みっつ……」


(ええい、クソッ……!)


 ヴォルフの双眸が、観念したように閉じられる。

 焦って喚き散らさないあたりは、さすがに肝が座っている。


「さあ、答えを聞こう」


 アイナは動かない。レオンの口が、開かれる。

 その、前に――。


「……勇紋権能サインズ・ドライヴ万霊祠堂ミュゼアム


 黎一は静かに、己が力の名を唱えた。

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