秘めたる願いは

 雪がちらつきはじめた橋上に、歪な熱気が渦巻いた。橋の上に設えられた円卓につく北の王、ヴォルフが生んだものに相違ない。

 だが円卓の傍らに立つ黎一は、その様を冷めた視線で見守っていた。


(おいおい、この王様マジかよ……。妥協案でも持ってきたのかと思ったら、ガチでケンカ売りに来てんじゃねえか)


 ノスクォーツ側の要求には、ヴァイスラントにとってなんの見返りもない。これを押し通されれば、ヴァイスラントの威信は間違いなく揺らぐだろう。

 ちらと隣の蒼乃を見た。無表情を装ってはいるものの、わずかに口の端がつり上がっている。内心で辟易している時の顔だ。


「ヴォルフガング王。戦争という言葉は、十年前に封じたはず」


 熱気を裂くように言葉を放ったのはレオンだった。


「もはや我らはこの大陸にて、いかなる血も流しあわぬと。今、その契りを破ることあらば、各国とてあなた方との盟を破るでしょう」


「ならばふたたび、大陸に戦の花が咲くだけだ。極寒の地に住まう我らにとって、戦は終わっておらぬ。日々是戦ひびこれいくさ。緑豊かな地を得る戦は、まだ続いておるのだ……」


 なおも続くレオンとヴォルフの会談、もとい言葉の応酬を聞き流すうち――。

 黎一の脳裏に、ある疑問が湧いた。


(レオン殿下の言うとおりだ。戦争なんぞ始めた日には、ギルド制度に加盟してる国すべてがノスクォーツの敵になる。魔力マナの融通だって今後、一切できなくなる。この人、それが分からないほどバカなのか?)


 廷臣の中には、政治に明るい者もいるはずだ。そのすべてを振り切ってきたと考えるよりは、この王の独断と考えるほうが正しいように思えてくる。


(もしそうでないなら、なんでそんな真似をする? 戦すること前提で魔力湧出点マナ・スポットを奪うなら、他の隣国に先手を打つ方がよほど簡単なはずだ。なんでわざわざ、一番でかいヴァイスラントにケンカを売った?)


 考えれば考えるほど、筋が通らない。

 その時、唾を飛ばして激論を交わす北の王の顔が目に入った。その氷のごとき覇気の中に、一瞬だけ赤と藍を混ぜた仄暗い色が見えた気がした。あまねく存在ものの属性が視覚で分かる黎一の能力スキル魔律慧眼カラーズの力だ。

 存在はすべて魔力マナを持つ。強い想いが発露すれば、魔力マナを以て迸る。火を顕す赤は激情。闇を顕す藍は憎しみ、妬みといった負の感情である。


(まさかこの人、本当に自分のケンカをふっかけたいがために……?)


 ではなく、として――。

 もしこの勘が合っているとしたら、話の落としどころは変わってくる。レオンの申し出はではなく、としての申し入れなのだから。


(もしそうなら、この人が望んでいるのは……闘いだ。戦争じゃない)


 戦争は政治の最終手段だ。この北の王がなにを秘めているのかは知らない。だが私としての感情を押し通すために国を剣として使われたら、巻き込まれる者たちはたまったものではない。


(打ち手はあるし、イチかバチかやってみるか。地位や名声ってのは、ちゃんと利用しねえとな)


 心なしか、隣の蒼乃から視線が突き刺さった気がした。悪い表情かおになっていたのかもしれない。気にせず、立ち位置は変えずに口を開く。


「……そんなに戦がやりたければ、やればいいんじゃないっすか?」


「なに?」


 狼のごとき双眸が、レオンから黎一へと向く。


「ヤナギ殿、控えよ。これは国家の間の……」


「……待て。貴殿には、この事態を納める腹案があると申すか?」


「なくはないですよ。”大陸最強”殿の意に沿うものかは、分かりませんがね」


 にへらと笑ってみせる。ヴォルフの口の端もまた、笑みの形につり上がった。


「フン、ちょうど議論も煮詰まってきたところだ。余興として聞こう。申せ」


「では僭越せんえつながら。そんなに戦したけりゃ、やりましょうよ。ただし俺たちだけで、ね」


「ほう、如何いかにせんと?」


 獰猛な獣を思わせる笑みは消えていない。勘が外れていないことの証左だ。


「簡単です。どっちが先に、煮魂宿りし雪山の迷宮スィージング・ホワイトを攻略するかで勝負しましょう」


「なるほど、名案ではある。物量でせば、そなたらの勝ちは火を見るより明らかであろうからな」


「ええ。それじゃ面白くないので、互いに選抜した駒だけで競います。迷宮核ダンジョン・コアに到達し、迷宮ダンジョンを消滅させれば勝ち。勝負はどちらかが条件を達成するまで続ける。もちろん負けた方は、勝った方の条件を全部呑む。これでどうでしょう?」


「つまり貴殿は、大陸最強たるこの私に勝てると……そう申すか?」


 ヴォルフの笑みが消えた。表情が、若干の怒りを孕んだものに変わる。


(よし、かかった)


 黎一は、己の勘が当たったことを悟った。理由は分からないが、ヴォルフはヴァイスラントと戦いたがっている。ならば、その感情の捌け口を用意してやればいい。そこで思いついたのが、いわゆるRTAリアルタイムアタック競争だった。これなら白黒はっきりつけられるし、人的被害が広がる心配もない。


(このやりとりは、モルホーンさんが全部記録してる。もし理由をつけて逃げれば、大陸最強の名に傷がつく。余興やってる間に他国から援助を申し入れさせれば、国内の意見も無視できなくなるはずだ)


 そこまで考えた時、不意に含み笑いが聞こえた。

 ヴォルフのものかと思ったが、意外にも笑っているのはレオンである。


「フフフッ……ハッハッハッハ。なるほど、たしかに戦よりはマシだな。ヤナギ殿の案、そのままヴァイスラントからの提案としよう。詳細な規則の原案は、ノスクォーツに一任する。ヴォルフガング王、返答やいかに?」


 ヴォルフはしばし瞑目していたが、やがて獰猛な笑みでレオンを睨んだ。


「フッ……よかろう!」


 やおら立ち上がると、毛皮の外套マントをはためかせ、立てかけてあった斧槍ハルバードの穂先を円卓の上へと突き出す。


「我、ヴォルフガング・レクス・アルバルプスの名に於いて……その挑戦、受けて立とうッ!」


(いやあ、挑戦じゃなくて交渉なんだけど……まあ、いいか)


 視線を移してみれば、背後に控える赤逆毛と水色髪が、意外そうな表情を浮かべている。モルホーンもまた、驚きを隠せないといった面持ちだ。


「交渉、成立ですね」


 レオンもまた笑みを浮かべながら、腰間の片刃剣サーベルを抜き放ち、斧槍ハルバードの穂先と打ち合わせる。戦時より残る、約定の儀式らしい。

 ヴォルフは斧槍ハルバードを引くと、ふたたび黎一へと視線を向ける。


「しかし、面白い部下を持ったな。レオン」


 国王としてではなく、あくまで友としての言葉だろう。

 レオンもそれを察したのか、先ほどとはまた別の穏やかさを持った笑みを浮かべた。


「ああ、とてもな。これからが楽しみだよ」


「だが、一度吐いた言葉は戻せぬぞ。噂に名高き国選勇者隊ヴァリアントの力……とくと見せてもらおう」


 ヴォルフがそこまで言った時、モルホーンがするりと進み出た。


「双方の合意を確認いたしました。当該方針を以て、結論と致します。規則の原案は別途、ノスクォーツの冒険者ギルドより通達いたします」


「さらばだ、我が友……そしてヴァイスラントの勇者ブレイヴたちよ! 次は彼の地にて相見あいまみえようぞうッ!」


 不敵な笑みとともに身を翻し、ヴォルフはひらりと馬上の人となる。それに倣った衛士たちとともに、霧の中へと消えていった。

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