王獣咆哮

「……逃げるぞっ! もう出てきているっ!!」


 苔色の魔力マナが満ちた礼拝堂に、アイナの言葉がこだました。


(出て、きてるって……?)


 真意が見えぬ言葉に、黎一は思わず足を止める。

 だがアイナはお構いなしに、礼拝堂の入口へと走り出した。


「ちょっ、どういうことですかっ⁉」


 アイナの背を、蒼乃の声が追いかける。


迷宮主ダンジョン・マスターだよ。その”声”とやらは大したものだ。もう少し警戒すべきだった……!」


「なんです、それ……? ボス的な……?」


迷宮主ダンジョン・マスター、って、またそのまんまな……)


 状況を呑み込めず動けない二人を前に、アイナはじれったそうに振り向いた。


「……迷宮ダンジョンは条件を満たすと消滅する。その条件が宝珠あれさ」


 アイナはそう言いながら、くすんだ宝珠を顎でしゃくって示す。


迷宮核ダンジョン・コアと呼ばれるものでな。こいつを破壊すると迷宮ダンジョンは消滅し、晴れてその下に眠る焉古時代レリック・エイジの遺跡が出てくるわけだが……。大抵の場合、そう綺麗には片づかない。防衛機能が備わってるからだ」


「それが、迷宮主ダンジョン・マスター?」


「ああ。迷宮核ダンジョン・コアは自らの危険を察知すると、そいつを解放する。こうなったが最後、黄金ゴールド・ランクの冒険者たちを立て並べて討伐することになる」


「だったら今すぐぶち割っちゃいましょうよっ!」


「もう遅い……すでに解放されてる。その時点で迷宮核コアの権限も迷宮主ダンジョン・マスターに移行するんだ。今から迷宮核あれを破壊したところで、どうにもならん」


「そんなっ……!」


迷宮核コア迷宮ダンジョン内にあるのが常……遺跡にあるなんて、聞いたこともない。その”声”とやらは、これを知っていたんだな。おそらく迷宮主ダンジョン・マスター自身か、悪意を持った竜人の残留思念だろう」


(違う。あいつは、そんな柄じゃねえ)


 未だ聞こえぬ”声”のことを思い出す。出会いの喜びと、迎えに来てほしい、といった意志こそ感じられたが、害を成そうとする雰囲気はなかった。そも人間に害をなすことが目的であるならば、ロイド村での助力にも説明がつかない。


「とにかくここを離れるぞ。今の我々だけで、どうこうできる相手では……」


 アイナの言葉が、終わるか否かの時。

 苔色の魔力マナが、どくりと震えた。


『……そう急くな。人の子らよ』


 声は、なにもない中空から聞こえた。男とも女ともつかぬ、妙にくぐもった声。

 同時に、部屋の中に奇妙な存在感が生まれる。苔色の魔力マナがいびつにたわんで、ひとつどころに収束していく。迷宮核ダンジョン・コアがある台座のあたりが、徐々に歪み出した。

 アイナも気づいたのか、その顔に焦燥の色が浮かぶ。


「しまった……ッ!」


『我が聖地の静寂をけがしたのだ。その罪、汝らの血肉を持ってあがなうがよい』


 空間が、震えた。そうとしかいいようのない感覚とともに、収束していた苔色の魔力マナがひとつの形をとっていく。

 やがて――。


「ルルルゥ……グォルアアアアアアアアアアッ!!!!」


 歪みとともに顕現した雄々しき獣が、高らかに咆哮を上げた。

 緑色の皮膚を銀色の紋様で彩った力強い四足の体躯は、おおよそ五メートルほどか。長い尾まで届く、白銀のたてがみ。頭部は、獅子とも豹ともつかない。額と側頭から生えた計三本の角は水晶のように透き通り、翡翠色の輝きを放っている。


(で、でけえッ!)


「逃げるぞっ!」


『ハハハハッ! 急くなと言っておろうがっ!』


 駆け出すアイナに向けてのものか、獣の声とは違う中性的な声が礼拝堂に響いた。

 ”獣”の巨躯が、中空を舞う。黎一たちを飛び越えると、礼拝堂の出口を塞いだ。


(クソッたれッ!)


勇紋共鳴サインズ・リンク魔力追跡マナ・チェイス! ……いけぇっ!」


 黎一の意志に呼応して、振るった剣からいくつもの赤い弧が生まれる。紅蓮の軌跡を描いて飛んだそれは、狙い違わず”獣”へと突き立った。

 だが――。


『フン、悪くはないが……児戯だな』


 嘲りの声とともに”獣”が身震いすると、赤い弧のことごとくが砕け散る。その皮膚には、傷ひとつついていない。


(ウソだろ……ッ⁉)


 動揺が声として出る前に、アイナが走りだした。一瞬にして間合いを詰め、いつの間にか納刀していた刀を居合の型で抜き打つ。


「――銀月ぎんげつ


 ぽつりと滴る声とともに、銀閃が”獣”の左前脚を鋭く薙いだ。緑の皮膚が裂け、苔色の靄が噴き上がる。


『ほう、いい速さだ』


 しかし”獣”は意にも介さず、お返しとばかりに右前脚の爪を繰り出した。アイナは翡翠色の軌跡をステップひとつで躱すと、中空で刀を担ぐように構える。


(あれは……!)


「――穿刻せんこく


 放たれた鋭い刺突が生み出す力が、”獣”の顔面を襲った。だが霊木人形ウッド・ゴーレムの胴すら易々と穿ったはずの一撃は、”獣”の頭部をわずかに逸らしたのみだ。


『ッハッ! いい腕だな、剣士よッ!』


 愉悦に満ちた声とともに振るわれた、左前脚の爪がアイナを襲う。先ほどまで傷口から噴き上がっていた苔色の靄は、いつの間にか消えていた。アイナは爪を刀で受けた反動で飛び退ると、さらに斬撃を繰り出す。


(マジでバケモンじゃねえか……ッ!)


 一見、互いに位置を入れ替えながらの大立ち回りである。しかし”獣”は、ダメージを受けた様子がまるでない。どころか、敢えてせめぎ合いを楽しんでいる節すらある。


「風……よ、我らを導く翼となれ……! 風翼言祝ウィンディ・ブレス……!」


 不意に、背後から蒼乃の声がした。全身が風に包まれ、手や足の動きが軽やかになる。背に、追い風を感じる――風の補助魔法だ。

 アイナにも効果が及んだか、ひと息に爪の猛攻を掻い潜ると、礼拝堂の出口のほうへと抜けている。


「逃げるぞッ!!」


 叫びながら、アイナは”獣”の背に向けて斬りかかる。”獣”の意識が、アイナへと向いたのが分かった。


(今だ……ッ)


 そう思った瞬間。蒼乃の手が、黎一の左手を掴んだ。

 肌が粟立つ。足が竦む。喉に嫌なものが込み上げる。手を振り払いたい感情が、全身を支配した。


(……ッッ!!)


 そのすべてを押し退け、出口に向けて駆け出した。手を引かれた蒼乃も、しっかりとついてくる。

 だが出口が目前に迫った時、視界の上部でなにかが動いた。


『もう少し、ゆるりとしていけい』


 それが”獣”の尾だと悟った時には、もう眼前まで迫っている。数瞬後に、胴を打たれる――そう感じた時には、すでに剣に赤色を纏わせていた。


「んなろうッ!!」


 横に払い除けるように繰り出した斬撃と尾が、交差する。


「んんがああああああっ!」


 右手を、降り抜く。金属音とともに、尾が弾かれる。音で、剣が折れたのだと悟る。

 構わず礼拝堂の扉を潜った。後ろを見ると、”獣”の脚にふたたび傷を負わせたアイナが、身を翻して追いついてくるところだった。

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