王獣咆哮
「……逃げるぞっ! もう出てきているっ!!」
苔色の
(出て、きてるって……?)
真意が見えぬ言葉に、黎一は思わず足を止める。
だがアイナはお構いなしに、礼拝堂の入口へと走り出した。
「ちょっ、どういうことですかっ⁉」
アイナの背を、蒼乃の声が追いかける。
「
「なんです、それ……? ボス的な……?」
(
状況を呑み込めず動けない二人を前に、アイナはじれったそうに振り向いた。
「……
アイナはそう言いながら、くすんだ宝珠を顎でしゃくって示す。
「
「それが、
「ああ。
「だったら今すぐぶち割っちゃいましょうよっ!」
「もう遅い……すでに解放されてる。その時点で
「そんなっ……!」
「
(違う。
未だ聞こえぬ”声”のことを思い出す。出会いの喜びと、迎えに来てほしい、といった意志こそ感じられたが、害を成そうとする雰囲気はなかった。そも人間に害をなすことが目的であるならば、ロイド村での助力にも説明がつかない。
「とにかくここを離れるぞ。今の我々だけで、どうこうできる相手では……」
アイナの言葉が、終わるか否かの時。
苔色の
『……そう急くな。人の子らよ』
声は、なにもない中空から聞こえた。男とも女ともつかぬ、妙にくぐもった声。
同時に、部屋の中に奇妙な存在感が生まれる。苔色の
アイナも気づいたのか、その顔に焦燥の色が浮かぶ。
「しまった……ッ!」
『我が聖地の静寂を
空間が、震えた。そうとしかいいようのない感覚とともに、収束していた苔色の
やがて――。
「ルルルゥ……グォルアアアアアアアアアアッ!!!!」
歪みとともに顕現した雄々しき獣が、高らかに咆哮を上げた。
緑色の皮膚を銀色の紋様で彩った力強い四足の体躯は、おおよそ五メートルほどか。長い尾まで届く、白銀のたてがみ。頭部は、獅子とも豹ともつかない。額と側頭から生えた計三本の角は水晶のように透き通り、翡翠色の輝きを放っている。
(で、でけえッ!)
「逃げるぞっ!」
『ハハハハッ! 急くなと言っておろうがっ!』
駆け出すアイナに向けてのものか、獣の声とは違う中性的な声が礼拝堂に響いた。
”獣”の巨躯が、中空を舞う。黎一たちを飛び越えると、礼拝堂の出口を塞いだ。
(クソッたれッ!)
「
黎一の意志に呼応して、振るった剣からいくつもの赤い弧が生まれる。紅蓮の軌跡を描いて飛んだそれは、狙い違わず”獣”へと突き立った。
だが――。
『フン、悪くはないが……児戯だな』
嘲りの声とともに”獣”が身震いすると、赤い弧のことごとくが砕け散る。その皮膚には、傷ひとつついていない。
(ウソだろ……ッ⁉)
動揺が声として出る前に、アイナが走りだした。一瞬にして間合いを詰め、いつの間にか納刀していた刀を居合の型で抜き打つ。
「――
ぽつりと滴る声とともに、銀閃が”獣”の左前脚を鋭く薙いだ。緑の皮膚が裂け、苔色の靄が噴き上がる。
『ほう、いい速さだ』
しかし”獣”は意にも介さず、お返しとばかりに右前脚の爪を繰り出した。アイナは翡翠色の軌跡をステップひとつで躱すと、中空で刀を担ぐように構える。
(あれは……!)
「――
放たれた鋭い刺突が生み出す力が、”獣”の顔面を襲った。だが
『ッハッ! いい腕だな、剣士よッ!』
愉悦に満ちた声とともに振るわれた、左前脚の爪がアイナを襲う。先ほどまで傷口から噴き上がっていた苔色の靄は、いつの間にか消えていた。アイナは爪を刀で受けた反動で飛び退ると、さらに斬撃を繰り出す。
(マジでバケモンじゃねえか……ッ!)
一見、互いに位置を入れ替えながらの大立ち回りである。しかし”獣”は、ダメージを受けた様子がまるでない。どころか、敢えてせめぎ合いを楽しんでいる節すらある。
「風……よ、我らを導く翼となれ……!
不意に、背後から蒼乃の声がした。全身が風に包まれ、手や足の動きが軽やかになる。背に、追い風を感じる――風の補助魔法だ。
アイナにも効果が及んだか、ひと息に爪の猛攻を掻い潜ると、礼拝堂の出口のほうへと抜けている。
「逃げるぞッ!!」
叫びながら、アイナは”獣”の背に向けて斬りかかる。”獣”の意識が、アイナへと向いたのが分かった。
(今だ……ッ)
そう思った瞬間。蒼乃の手が、黎一の左手を掴んだ。
肌が粟立つ。足が竦む。喉に嫌なものが込み上げる。手を振り払いたい感情が、全身を支配した。
(……ッッ!!)
そのすべてを押し退け、出口に向けて駆け出した。手を引かれた蒼乃も、しっかりとついてくる。
だが出口が目前に迫った時、視界の上部でなにかが動いた。
『もう少し、ゆるりとしていけい』
それが”獣”の尾だと悟った時には、もう眼前まで迫っている。数瞬後に、胴を打たれる――そう感じた時には、すでに剣に赤色を纏わせていた。
「んなろうッ!!」
横に払い除けるように繰り出した斬撃と尾が、交差する。
「んんがああああああっ!」
右手を、降り抜く。金属音とともに、尾が弾かれる。音で、剣が折れたのだと悟る。
構わず礼拝堂の扉を潜った。後ろを見ると、”獣”の脚にふたたび傷を負わせたアイナが、身を翻して追いついてくるところだった。
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