獣の目醒め【マリー】

 同時刻――ヴァイスラント王宮、冒険者ギルド本部。

 その中枢である通信管制室は、騒然としていた。すでにギルドの受付は締め切られ、部屋のいたる所で怒号と報告の声が入り乱れている。

 そんな中、マリーはひとり光のパネルを叩いていた。端末の魔光画面ライト・パネルに映し出されるのは、とある地点の魔力マナ解析情報だ。


(間違いない……! これって……!)


 立てた仮説が確信に変わった時、通信管制室の扉が開いた。

 入ってきたのは純白の礼服の上から祭儀用の長衣ローブを着た、金髪長身の美丈夫だ。王国宰相兼、ギルド最高責任者にしてマリーの実兄、レオン・ウル・ヴァイスラントである。宮殿内の催事に出席していたはずだが、呼び出されたのだろう。


「……状況を報告せよ」


 レオンは急ぎ足で中央の統制者席に座るなり、口の前で掌を組む。

 マリーが知るかぎり、機嫌が悪い時に出る癖だ。


「ハッ! 一二〇五、小さな木立の迷宮リトル・グローブにて地盤沈下が発生! 落盤により、各階層が連鎖的に崩落した模様!」


 威厳に満ちた声に対して、かかとを打ち鳴らし敬礼しながら告げたのはロベルタだ。朝の時間のほとんどをセットに費やしているらしい金髪の縦ロールが、動きに合わせて揺れる。


(埋設型なら、そんなに珍しいことじゃない。崩落だけなら、ね)


 ――小さな木立の迷宮リトル・グローブは、”埋設型”と呼ばれる種類の迷宮ダンジョンだ。

 その名のとおり地中に埋まっている構造で、領内の迷宮ダンジョンのおよそ半数は埋設型である。その構造上、地盤沈下や崩落はつきもので、月に数回は領内のどこかしらで発生している。

 これだけの騒動になっているのは、別の理由があるからだ。


「結界はどうか?」


「表層結界、少々ゆらぎはありますが正常の範囲です。第二、第三層の結界は、消失を確認。他の階層は……出ましたっ! 第四、第五層の結界消失を確認!」


 担当官たちの報告に、レオンは苦虫を噛みつぶしたような表情になる。

 ――騒ぎの原因はこれだった。

 迷宮ダンジョンの入口と各階層フロアの境には、魔物の湧出を防ぐための結界が張られている。崩落の発生とともに、その結界が消滅したのである。


「……魔物の湧出は?」


「現時点で、迷宮ダンジョン外への湧出は確認されておりません。表層の結界が保たれている他、魔物の意識が崩落に向いているためと思われます」


「不幸中の幸い、か……。緊急討伐任務スクランブル・レイドを発令。白銀シルバー・ランク以上の六名編隊パーティ、二個隊を小さな木立の迷宮リトル・グローブへ派遣。表層結界の維持と、第二層の結界修復を最優先とせよ。以降も六名編隊パーティの確保ができ次第、随時派遣。魔物の掃討と生存者の救助に当たらせろ」


『ハッ!』


 結界は、深層のものほど強力になっている。だが表層以外の結界が消滅した今は、下層にいる強力な魔物が迷宮ダンジョンの外に湧出しかねない状況だった。一歩間違えれば、ロイド村の一件など比べ物にならない惨事に繋がる。


(だからこそ、これは見逃していいことじゃない)


 マリーは端末を片手に席を立つと、統制席のレオンへと近づく。


「兄……レオン殿下。表層付近で気になる事象が」


「なんだ?」


 有事の際のレオンは、普段の温厚な性格からは想像もできぬ鬼気を纏う。臆して言葉が乱れぬようにと念じながら、端末の画面パネルを見せた。


「崩落地点の周囲に、異常な魔力マナの乱れがありました。火の魔力マナが、平時と比べて異常値を示しています」


「火の魔力マナ? 地の魔力マナならば分かるが……崩落が作為的なものだと言うのか?」


 レオンは一瞬顔をしかめたが、すぐさま答えを返してくる。我が意を得たりとばかりに、マリーは口を開いた。


「崩落の中心部で、複数の魔力波形マナ・パターンを検知していました。魔力マナが乱れているため、現在位置は補足できませんが……魔力波形マナ・パターンの形状からして、おそらく勇者ブレイヴです」


「なんだと……?」


(そう。多分この勇者ひとたちが、騒ぎの原因……!)


 異世界ゲフェングニルにおけるすべての存在には、魔力マナが宿っている。その流れは各々の形と周期を以って、存在の内を巡っている。

 この周期が『魔力波形マナ・パターン』だ。調査用の魔力マナ波形パターンを取得すれば、種族を特定できる。中でも勇者ブレイヴは異世界から転移した存在ゆえか、特徴的な波形パターンが出る性質があった。


「……許可を頂ければ、個人を特定します」


 人間は意志の強さゆえか、個体によって魔力波形マナ・パターンが異なる。

 ヴァイスラント王国では全国民はもちろん、賓客に関しても魔力波形マナ・パターンを記録していた。勇者ブレイヴとて例外ではなく、特定や追跡もたやすい。しかし個人の尊厳を考慮し、有事の際にレオンが許可した場合にのみ使用できることとなっている。


「許可する。また別働隊を組織し、その者たちを確保しろ。重要参考人になる」


「はいっ!」


 レオンの表情は依然として厳しいが、口元にわずかな笑みがあった。真相への糸口を見出した妹への褒美と受け取って、勇み足で席へと戻る。

 個人特定の作業を始めようとした時――端末が、甲高い警報アラート音を上げた。


(ちょ、こ、これって……)


「第五層、踏破圏外に強力な魔力マナ反応ッ! 収束していきますッ!!」


 平静を取り戻していた雰囲気が、ふたたび騒然としたものに変わる。


「こちらでも確認ッ! 魔力マナ収束、なおも継続中ッ!!」


「踏破圏外……? まさか、迷宮主ダンジョン・マスターか⁉」


「あそこの迷宮主ダンジョン・マスターってまだ……!」


 同僚たちの声が重なり合う中、異常は画面パネルの中でなおも進行していく。


物質化マテリアライズ、確認……! 湧出ポップしますッ!!」


 警報アラートが止み、虫の羽音の如き音が鳴る。強力な敵性反応の出現を示す音――この部屋において、もっとも聞きたくない音だ。

 部屋の中央にある大きな魔光画面ライト・パネルに映し出された地図マップには、ひとつの光点が灯っていた。悪鬼の頭部を模した巨大な赤い光点は、迷宮主ダンジョン・マスターを示すものだ。しかし魔物の名を示す個所には、不明を示す文字列のみが表示されている。


「個体情報、該当ありませんっ!」


焉古時代レリック・エイジの情報もあたれ」


 悲痛な声をあげる担当官に、レオンが冷静な声で応じる。


「ハ、ハッ! …………該当、一件。表示します」


 震える声とともに、光点の情報が更新された。

 地精王獣ベフィモス――。

 聞き覚えがあった。周囲の魔力マナを喰らい成長する、古代の獣。属性に応じて存在するそれらを、かつて読んだ伝承ではこう呼んでいた。

 ――『六天魔獣ゼクス・ベスティ』と。


「おい、あれってまさか……」


「なんでこんなところに……」


「まずい、王都に近すぎる」


「あんなヤツ、結界一枚じゃとても……」


 忌まわしき名によって、室内はふたたび動揺と混乱に包まれる。


「……私の剣を持てッ!」


 慌てふためく職員たちの声をかき消さんばかりの、一喝が響いた。しんと静まり返った一同の視線が、声の主であるレオンに集まる。


「いかな伝説の魔物とて、目覚めてすぐなら勝機もあろう。黄金ゴールド・ランク以上の冒険者に連絡。他の依頼を請けていても呼び戻せ。第一陣の指揮は私が執る。職員は、非番の者も全員招集せよ」


 誰も、一言も発しない。

 レオンは儀礼用の長衣ローブを脱ぎ捨てると、職員のひとりが持ってきた愛用の片刃剣サーベルを抜き放った。


「今、我らが退けば彼奴めの爪牙が、王都を、諸君らの愛する者らを蹂躙じゅうりんすることになろう……。国家存亡の危機であるッ! 総員、渾身を以て当たれッ!!」


『……ハッ!!』


 掲げられた長剣の輝きに向かって、職員たちの声が唱和した。皆が持ち場へと散っていく中、レオンの視線がマリーへと向いた。


「マリーディア、私と来い。カストゥーリア補佐官、この場の指揮を代行せよ」


「は、はいっ!」


「ハッ! ご武運をッ!」


 返事をしながら、手元の端末を確認する。すでに二名の特定が終わっているが、作業を誰かに引き継がねばならない。

 だが途中経過が表示された時、マリーは自分の顔が引きつるのが分かった。


(これ、レイイチさんとアオノさんっ⁉)


 照準ロックした光点は、二人が小さな木立の迷宮リトル・グローブの最下層にいることを示している。迷宮主ダンジョン・マスターの、すぐ近くだ。


(お願い……! 二人とも、無事でいてくださいねッ!)


 そんなマリーの願いを、あざ笑うかのように――。

 魔光画面ライト・パネルに映る赤い悪鬼は、力を帯びた輝きを放っていた。

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