剣閃、奔る

 崩落の現場を離れた黎一たちは、小さな木立の迷宮リトル・グローブの最下層を進んでいた。

 迷宮ダンジョンの最下層などというから、おどろおどろしい場所を想像していたが、どこぞの映画で見た木の根が形作るドームといった体である。上天の穴からわずかに差し込む陽光と、生い茂った根が放つ光のおかげで、視界に不自由はない。


(思ってたよりはマシな場所だが……遠いな遺跡!)


 かれこれニ十分ほども歩いているが、遺跡はまだはるか彼方だった。歩くペースもさることながら、最下層そのものが結構な広さなのだろう。だが黎一を戸惑わせているのは、風景だけではなかった。


(しかしなんだってんだ……? この”色”は?)


 魔律慧眼カラーズで見ると、あたりは緑をさらに濃くした苔色に染まっていた。他の”色”はほとんど見えない。それどころか、進む毎に苔色が濃くなっていく感覚すらした。


(気味が悪い。蒼乃こいつが黙ってるのも、だいぶ気味が悪いが)


 隣を歩く蒼乃に、視線を移す。ここに墜ちてからの経緯を青ざめた顔で聞いてからというもの、黙々と歩いていた。しかしその足取りは妙にぎこちない。纏う黄色の光も、弱々しくなっている。


(やっぱ、なんか言わないと、な……)


 崩落の折に名を呼ばなければ、蒼乃は巻き込まれずに済んだかもしれない。そう考えると、いかな”塩の八薙”といえど少々くるものがあった。

 げっそりとした顔で歩く蒼乃に、恐る恐る口を開く。


「な、なあ……」


「……なに?」


「た、助けて、くれて……ありが、とう」


 心臓の動悸と全身に奔る悪寒を押し退けて、なんとか言葉を絞り出す。

 蒼乃はしばし黙っていたが、やがてちらりと黎一を見た。


「……それだけ?」


「え、あ、いや……その……」


 なんで飛び込んだ、まだ体調悪いのか――たくさんの疑問が、浮き上がっては言葉にならずに消えた。

 蒼乃はふたたび黙り込んでいたが、やがて小さくため息を吐く。


「大丈夫。分かったから」


 それっきり、ふたたび黙って歩き続ける。感謝の意は伝わったのだろうと考えて、黎一も黙って歩いた。

 と、その時、右肩になにかが触れる。ぞくりとした感覚に思わず振り向くと、蒼乃が右肩に手をかけていた。


(……ッッ!!)


 途端、振りほどきたくなる衝動に駆られた。が、すんでのところで堪える。


「いいでしょ、このくらい。立ってるだけでも辛いんだから……」


 背後から、ぽつりと声がした。肩に掛かる手と身体の悪寒とで、自然と歩む速さが蒼乃と同じになる。

 その様子に気づいたのか、振り向いたアイナがくすりと笑った。


「肩を貸すなら、利き腕でない方にしろ。それと迷宮ダンジョンの中では、常に得物を抜いておけ」


「え、あっ……は、はいっ!」


 慌てて、新調された剣を引っこ抜く。蒼乃が黎一の左肩に手をかけた時、アイナは不思議そうに首を傾げた。


「ふむ。魔力マナが戻れば、倦怠感は消えるはずなんだがな」


「なったことあるんすか? 魔力枯渇症マナ・ロスト


「いや、ない」


「……のわりに、詳しいっすね」


「まあな。冒険者やってれば、色々見るものさ」


 曖昧な答えを返すと、アイナはふたたび前を見る。その背中に、黎一は微かな違和感を覚えた。


(やっぱりだ。この人、なんかおかしい)


 魔律慧眼カラーズを通して人や魔物を見ると、何かしらの色に包まれている。

 蒼乃や四方城は黄色、マリーや光河は緑。御船は赤、天叢は青と、級友たちのほとんどは四色のいずれかだった。レオンは純白。勾原は、濃い藍色から黒へと変色したのが妙に印象に残っている。


(染まってる”色”がそいつの守護属性、ってことなんだろうけど……。アイナさんは、”色”がない)


 属性がないと言われた黎一ですら、手を見るとぼんやりとした透明な陽炎らしきものに包まれている。

 だがアイナは、それすらない。魔力マナを感じられないのだ。


(墜ちてきても無事で済んでるし……。この人、一体……?)


 浮かぶ疑問を言葉にできずに、苦慮していると――。


「……待て」


 鋭い声とともに、アイナが足を止めた。

 かすかに降り注ぐ光が陰る。岩盤の上からなにかが飛び降りたのだと理解するまで、数瞬を要した。

 やがてそれは、地響きとともに黎一たちの前方に降り立つ。


(魔物! 最下層の……ッ!)


 体長は二メートルほどだろうか。丸太に木の枝をでたらめに組み合わせ、人形にしたような代物である。胴体は、樹齢百年はあろうかという太さだ。その数、三体。


霊木人形ウッド・ゴーレムか」


 アイナが魔物の名を告げる。その間に、黎一は刀身が赤を纏う様を思い浮かべて火を灯す。

 だがアイナは前に進み出ると、左手で黎一を制止した。


「私がやる。そなたは周囲を警戒しろ」


「でも……」


 仮にも最下層の魔物だ。どこまで太刀打ちできるか分からないが、人数は多いに越したことはない。食い下がろうとした時、アイナが黎一の左肩に視線を向けた。


「肩に掛かっているものを忘れるな。そなた一人の命ではない」


 被せて言われた言葉に、ハッとした。左肩にある蒼乃の手を感じ取り、素直にその場に止まる。

 それを見たアイナは微笑むと、視線を前方に戻した。霊木人形ウッド・ゴーレムと呼ばれた魔物たちは、身体を軋ませながらじりじりと距離を詰めている。だが魔律慧眼カラーズで見てみると、身体を包む淡い緑色が揺らめいて見えた。


(怯えてる? まさか、すぐに突っ込んでこなかったのって……)


 考えているうちに、アイナの左手が動いた。霊木人形ウッド・ゴーレムの顔と思しき位置に、なにかがこつりと当たる。

 挑発と取ったのだろう。霊木人形ウッド・ゴーレムたちは連携もなしに、まっすぐアイナに向けて突っ込んでいく。


つぶて……! アイナさん、自分だけに意識を向けさせる気か!)


 太い腕が振り下ろされた時、アイナの姿がかき消えた。次の瞬間、アイナは黎一から見て右の個体へと斬りかかっている。

 三角跳びで死角に入ったのだと理解する前に、その胴と腕は斜めに断ち斬られていた。


「は……?」


 黎一の間の抜けた声と、攻撃を躱したアイナの横薙ぎが重なった。銀色の弧が描き出され、真ん中の個体の両腕がいっぺんに斬り落とされる。アイナはそのまま中空で刀を担ぐように構えると、一気に突き出した。


「――穿刻せんこく


 滴り落ちるような、声がした。剣の切先が届かぬ位置にあった霊木人形ウッド・ゴーレムの胴が、なにかに刻まれたように抉られ、風穴が空く。またたく間に、二体が地に伏した。


「すっご……。なにあれ、ほんとに人間……?」


 不意に、妙に肩に掛かる重みが増した気がした。ふと見ると、蒼乃が肩に寄りかかるようにしてアイナの動きを見ていた。

 髪の匂いに反応した黎一が蒼乃を押し退けていると、最後の霊木人形ウッド・ゴーレムがにわかに振動を始めた。


「オオゴ、ゴゴ……ッ!」


 霊木人形ウッド・ゴーレムが、くぐもった声をあげる。身体を包む緑色が濃くなった。伝わってくるのは、焦りと怒りだ。


「ちょっと、なんかヤバそうじゃない……っ⁉」


(だからそういうこと言うと……ッ!!)


 ――言霊とは、馬鹿にならぬものらしい。

 霊木人形ウッド・ゴーレムの胴や腕から、無数の枝が四方八方に伸び放たれた。何本もの枝が、喰らいつくように黎一たちへと迫る。


(ほら見ろっ!)


勇紋共鳴サインズ・リンク! 魔力追跡マナ・チェイスッ!」


 襲い来る緑を意識して、剣を振るう。放った赤光は薄紅色の三日月に姿を変え、枝のことごとくを灼き散らした。

 しかしアイナの姿は、ない。


(アイナさんは⁉)


 刹那、伸びていた数本の枝が一気に散る。着地したアイナの姿が見えて、すぐ消える。

 上天に向かって、銀閃が奔る。苔色の景色の中を、斬り散らされた枝が舞う。


「剣舞――空蝉うつせみ


 凛と響く声とともに、幾筋もの閃きが空間を埋めた。それは銀色の檻となり、巨木の身体を削ってゆく。

 数拍の間をおいて――かんなで削がれた丸太の如き姿になった霊木人形ウッド・ゴーレムが、ゆっくりと倒れ伏した。


「さすがだな。あの程度の攻撃ならと、敢えて攻めに回ったが……間違っていなかった」


 言いながらふわりと降り立ったアイナは、ぐるりとあたりを見回す。

 黎一も釣られて見回すが、新たな魔物の姿はない。


(……って、待てや。さっき是が非でも生きて帰すとか言ってなかったか、あんた)


 無論、口に出す勇気はない。


「よし、進むぞ。ぐずぐずしていると、他の魔物どもが寄ってくる」


 そう言って歩き出すアイナの姿に、やはり”色”はない。戦っている最中ですら、わずかに見えた姿が”色”を纏うことはなかった。


(この人……。一体『何』なんだろう……?)


 粛々と進む後ろ姿に投げかけようとした言葉は声になることなく、心の中に消えてゆく。

 そうこうする間に、蒼乃の手が先へ進めと促してきた。黎一は疑問を思考の片隅へと押しやると、アイナの後について黙々と歩き出した。

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