深淵の先へ

 墜ちてから、どのくらい時間が経っただろうか――。

 黎一は、張り巡らされた木の根に包まれた空間にいた。


(よく生きてたな……)


 独り言ちながら、上天を見上げる。そこに空は無い。木の根が絡まり合ってできた天井の一部に、大穴が空いているのみだ。


(ここ、どこだ……? 雰囲気からして多分、小さな木立の迷宮リトル・グローブの中なんだろうけど……)


 周囲は落盤やら木の根やらが積み上がる中、黎一たちがいる場所を中心とした半径数メートルだけがぽっかりと空いている。

 蒼乃が放っていた風の結界に因るものだ。中空にいる間は落盤すら吹き飛ばしていたが、今はそよ風すら吹いていなかった。そして当の蒼乃は、風が止んだ後に倒れたきり動かない。


(息はあるんだけど……大丈夫か、これ? まさか命が危ないんじゃ……って、なんで蒼乃こいつの心配してるんだ?)


 思考が揺れ動くのを感じる。今までなら女子に触れただけでも、悪寒や心臓の高鳴りがしたものだ。しかし今は、何も感じない。

 黎一は、自分の左手を見た。投げ出された崩落の中、掴んだ蒼乃の手の温もりが残っている――そんな気がした。


蒼乃こいつだけ、なのか? それとも……?)


「……誰かいるのか?」


 取り留めもない思考を、聞き覚えのある女性の声が中断した。途端、身が強張るのを感じる。


(あ、やっぱ……ダメだわ……)


「聞こえないかッ⁉ 誰かいるのか!!」


「あ、アイナさん、ですか……?」


 落盤の向こうから聞こえてくる声に、蚊の鳴くような声で応じる。声の主が想像通りの相手なら、黙したままでは飛び込まれたと同時に剣の錆にされかねない。


「その声……ヤナギ殿か⁉ 待ってろ、すぐそちらへ行く!」


 果たして積み上がった岩盤の上に現れたのは、長い黒髪をポニーテールに纏めた長身の女性――アイナだった。黎一たちの姿を認めると、落盤の段差を伝うように降りてくる。


「よかった。大事ないようだな」


 黎一の目の前に降り立ったアイナは、相も変わらず深いスリットの入った青い貫頭衣に黒のレギンスといった出で立ちだった。以前に会った時と違うのは、右手に下げた環頭の太刀と、肩から掛けた小さな鞄くらいだろうか。


「いえ……蒼乃こいつ、が……」


「診せてみろ。……しかし、どうやってここまで来た? ここは小さな木立の迷宮リトル・グローブの最下層だ。いかにそなたらとはいえ、そう簡単に来れる場所ではないはずだが……?」


「それが……」


 ・


 ・


 ・


「……なるほど。同胞に嵌められるとは、な。勇者ブレイヴは穏健な文明人と聞いていたが、往々にして例外はいるということか」


 話を聞き終えたアイナは、横たわった蒼乃の脈や肌の色を調べながら嘆息する。

 腰のあたりまで入ったスリットから覗く脚線を見ると、レギンスを履いていると分かっていても鳥肌が立った。自分がなにも変わっていないことを噛みしめながらも、なんとか口を開く。


「その、アイナさん、は……?」


「そなたらと似たようなものだ。依頼品の調達で三層を回っていたところを、崩落に巻き込まれた」


(いや待て。あんたこそどうやって助かったんだ)


 さらっと言うアイナに、例によって心の中で言い募る。

 ぱっと見ても外傷はおろか、服の汚れひとつすら見当たらない。


「そ、そっすか……。で、蒼乃そいつは……?」


「心配ない。ただの魔力枯渇症マナ・ロストだ」


「まな……ろすと?」


「生体が魔力マナを急激に消費した時に起こる現象だ。人間は魂あるかぎり、周囲の魔力マナを取り込む性質がある。命に別状はないさ」


(そっ、か。……よかった)


 なぜだか、妙にほっとした。盾に遣っても後悔しないつもりだったはずが、今はこうして安堵している。不思議な感覚だった。

 そんな黎一の顔を見ていたアイナが、くすりと笑った。


「しかし大したものだ。普通は放出する魔力マナを無意識のうちに抑えるんだよ。魔力枯渇症マナ・ロストになったところで、せいぜい目まいぐらいなものなんだが……よほど必死だったのだろうな。とはいえこのままだと、差し障りが出るか」


 言いながら、アイナは鞄の中からなにかを取り出した。

 五百ミリペットボトルくらいの大きさをした群青色の瓶だ。中には、煌めく液体がなみなみと入っている。

 アイナは瓶の蓋を開け、中身の液体を蒼乃の身体に振りかけた。青色に煌めくそれは染みにもならず、蒼乃の身体に吸い込まれるようにして消えていく。


「そ、それ、は……?」


魔力マナ水薬ポーションだ。探索で見つけた」


「え、それ、貴重品……なんじゃ?」


「そうだな。この量なら捨て値で捌いても、ひと月くらいは仕事をせずに済むだろう」


「へっ……⁉」


「些末な問題だ、気にするな。ここから動けぬでは、命を捨てるも同じだからな」


「……ありがとう、ございます」


 さすがに、素直に頭を下げた。

 蒼乃がここにいるのは、自分を助けたため――それが理解できないほど、恥知らずではない。


「それに今の話を聞いた以上、是が非でもそなたらを生かして帰したくなった。ギルドの依頼を騙った上、同胞をたばかり手にかけるなど……。然るべき場所に引きずり出さねばな」


「それはいいんすけど……ここ、最下層っすよね? 歩いて戻る、とか?」


「まさか。私一人ならまだしも、そなたらを護りながら表層まで戻る自信はない」


「じゃ、どうやって……」


「さっき、第五層の結界石が砕けているのを見た。今頃、ギルドは大騒ぎだろう……。となれば、必ず救助隊がくる。それを待つ」


 アイナはそこで言葉を切ると、あたりを見回した。

 釣られて見ると、先ほどまでなにも聞こえなかった空間に音がしていることに気づく。足音のような音、重いものが動く音、様々な音が折り重なって響いている。最下層に生息する、魔物たちが動く音だ。

 黎一が状況を理解した事を察したか、アイナがふたたび口を開く。


「だがこんな場所じゃ、魔物たちに襲ってくれと言うようなものだ。なので、あれを目指す」


 アイナは視線を移して、天井にほど近い一点を示した。見れば裂けた根の壁の中に、建造物らしきものがある。金属質に輝く緑の壁を持ったそれは、木の根ばかりの風景から明らかに浮いていた。


「なんだ、あれ……? 城っぽい……?」


「さてな。そもそもあんなものがあるなど、聞いたことはないが……。私の勘が正しければ、ここよりは安全なはずさ」


(う、たしかに)


 今いる場所は、落盤と木の根でできた即席のくぼ地だった。外側から一見すれば、崩れた土塊の山だろう。だがひとたび魔物に見つかり雪崩れ込まれたら、逃げ場はない。

 アイナの言葉にこくこくと頷いていると、足元から呻き声がする。見れば蒼乃が、頭を振りながら起き上がるところだった。


「ん、ん……あれ、アイナさん? てか、ここどこ……?」


「その話は歩きながらだ。行くぞ」


 アイナは鞄をかけ直すと、根の向こうに見える遺跡を指して歩きはじめた。

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