目覚めた先で

 抜けるような青空の下、真夏の日差しが降り注ぐ。

 黎一を抱きかかえた誰かは、田舎の畦道あぜみちをゆっくりと歩いている。背中を叩くリズムが、心地よい。


(ああ、夢だ――)


 黎一は、心の中で即座に断じた。

 なぜならこの景色は、もう過ぎ去ったものだから。今、背中を叩いてくれている人は、もう戻らない人だから。

 視界に広がる田んぼが、遠ざかる。遠巻きに聞こえるだけだった蝉しぐれが、徐々に大きくなっていく。


(そうだ、森にいったんだ。ちょっとお参りに行くって言って――)


 記憶をなぞるように、陽が陰る。気づけば、鬱蒼とした森の中にいた。

 抱えていた誰かが、黎一を優しく降ろす。長身でひょろっとした、短い黒髪の優男。懐かしい、父の顔だ。

 いつの間にか目の前には、古びた神社があった。神社へと歩を進める父の背中が、妙に遠い。

 

(ダメだよ、そっちは――)


 この後に起こることを知っている。止められなかったことも知っている。だが、声は出ない。

 父が二拍手して手を合わせた瞬間――。あたり一面の、景色が変わった。

 薄暗い石堂の中に、光る紋様が浮かぶ石碑が無限に立ち並ぶ。それはさながら、墓場のようだった。


(父さん、なんで? なんで、あの時――)


 父は、振り返らない。

 視界が、歪む。万華鏡のように、景色の欠片がただ一点へと吸い込まれていく。

 父の背中が、遠ざかる。自分だけが、突き放された気がした。


(俺を、置いていったんだ――)





 ――黎一は、ゆっくりと目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは白い天井と、周囲を覆うように引かれた白いカーテンだ。すうっとする香りが、鼻をつく。


(……どこだ?)


 ロイド村で少女を助けたのは覚えている。その後、勾原たちが拘束されたのも覚えている。

 だがその後が思い出せない。次に見えたのがこの光景ということは、おそらく気を失ったのだろう。

 などと考えていると、白いカーテンが開いた。


「お、お目覚めかな」


 カーテンの向こうから顔を出したのは、金髪を後ろに撫でつけた四十がらみの男だった。紋様の入った白い長衣ローブを着ているところを見ると、おそらく医師だろう。


「ここは……?」


「王宮の医務室だよ。気を失って運ばれたというわけだね。といっても、身体の具合はすこぶる良好だがな」


 予想通りの反応に、黎一は改めて自分の身体を見る。

 防具の類はいつの間にか外されていた。今着ているのは、ところどころか焦げたチュニックとトラウザだけだ。身体のそこかしこには、当て布で固定された青い葉が包帯で巻きつけられている。そのおかげか、身体の痛みはまったくない。


「話は聞いたよ。初陣で階層主フロア・マスターまで倒したって? この程度のケガで済むとは、信じられん」


「え、っと……」


「ああ、君の相方も似たようなもんだよ。……ほら」


 医師が身を翻すと、やはり同じ状態でベッドに横になっている蒼乃と目が合った。

 さっと顔を背ける。医師は黎一の仕草がおかしかったのか、ふっと笑った。


「君たちのお目覚めを報告してくるよ。軽傷とはいえケガ人だ。安静に、しててくれよ」


 医師が出ていくと、部屋は黎一と蒼乃だけになった。

 開いた窓から吹き込む春の風が、頬を優しく撫でる。


「……ねえ。どこまで覚えてる?」


 不意に、蒼乃の声がした。


「女の子助けて、勾原たちが連れてかれたあたり」


「似たようなもんか。私も、あんたが倒れるところまでだし」


「……ぼろっぼろだな」


「でも、生きてるよ」


 声で、笑っているのがなんとなく分かった。

 顔を向けずにいると、隣から身を起こした音がする。


「あんたの女性恐怖症それさ、戦ってる時とか小っちゃい子の時は平気なんだね。さっきフィーロちゃん抱き上げてたじゃん」


(ほっとけ)


「戦ってる時、背中合わせしてたじゃん」


 蒼乃に背を向ける。傷が、少し痛んだ。


「ねえ、何があったの?」


 問いに、沈黙で応じる。


「教えて、くれないんだ」


 ふたたび落ちた沈黙は、ノックの音で破れられた。


「邪魔してよいかな?」


 声のしたほうを見れば、開いた医務室の入り口に長身の女性が立っている。

 青身がかったポニーテールに東洋風の顔立ち、スリットの入った貫頭衣に黒のレギンス。腰に片刃の剣を佩いた姿には、見覚えがあった。


「アイナ、さん?」


「討伐の英雄たちに覚えていてもらえるとはな。光栄だ」


 その名を呼んだ蒼乃に、アイナは涼しげな笑顔で応じる。


「あれだけの魔物を二人で、とはな……。大したものだ」


「見たんですか?」


「呼び出されて後詰で行った。もっとも私が着いた時には、そなたらの友人がほとんど終わらせていたが」


(救援には感謝だな)


 蒼乃のアイナのやり取りに、おもわず身震いがする。二人してへたり込んでいたところに、魔物の襲撃があってもおかしくはなかった。

 と、そこまで考えた時、助けた少女の顔が浮かぶ。


「……女の子は?」


 呟くような一言をなんとか捻り出すと、アイナは意外そうな顔をした。どうやら女性が苦手なことは、周囲に知れ渡っているらしい。


「先だって検査を受けていたが、何事もない。不思議なくらいにな。ただ両親は、いずれも死亡が確認された」


(やっぱり、か……)


 安堵とともに、苦いものが込み上げる。

 夢で見た、幼き日の思い出だ。家から消えた顔と、徐々に変わっていった顔と、残された自分。

 何度も、夢に見た。


「おっと、用件だが……。この後、ひと〇〇まるまるにギルド本部のホールに集合だ。疲れてるところすまないが、よろしく頼む」


 埋め尽くされそうになった思考を、アイナの言葉がせき止めた。ちらと時計を見ると、たっぷり二時間はある。


(いや、今すぐでいいんだけど。この状況から脱出したい)


「集合って、なにするんです?」


「さてな。ま、悪いことじゃないだろうさ。……たしかに伝えたぞ」


 怪訝な顔で尋ねる蒼乃に微笑みながら応じると、アイナはさっさと部屋から出ていった。

 幾度目かの沈黙の中、助けた少女の顔がふたたび思い起こされる。


(ひとりに、なったのか)


 焼けた家の入口にあった屍は、やはり父親だったのだ。小さな女の子が、身の丈ほどの物入にひとりで入れたとも思えない。娘を物入に隠した後、戸口を押さえているところを炎で焼かれたのだろう。


「……どうなるんだろうね、あの子」


 蒼乃が、見透かしたかのように言った。

 釣られて、つい口を開く。


「辛いよな、親いないって」


「へえ、分かった風に言うじゃん」


「父親、いないから分かるんだ。母親も、しまいにゃほとんど家にいなかったしな……」

 

 しまった、と思った時には遅かった。

 言葉が徐々に尻すぼみになる中、蒼乃の好奇心に満ちた視線が注がれる。


「え、ひょっとしてナニ? あんたの女性恐怖症それって、お母さんが原因?」


「……寝る」


 打ち切りとばかりに、カーテンを閉めた。


「ちょっと、待ってよ! ……んもうっ!」


 蒼乃はふて腐れた声をあげたが、それっきり話しかけてはこなかった。

 こんなに話したのは初めてじゃなかろうか――。考えているうちに、黎一の意識はふたたび微睡まどろみの中に落ちていった。

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