炎の中で

 丘の下に広がる景色が、赤に呑まれていく。目指していたロイド村は、黎一の目の前で炎の中に沈もうとしていた。

 家屋の半ばはすでに火を放たれ、ところどころに兵士が倒れている。中央にある噴水のあたりでは、いくつかの影に村人と思しき者たちが襲われているのが見えた。


(魔物……ッ! 王都の周りには出ないんじゃなかったのかよ……⁉)


「もうっ! いきなり走り出さないで……って、ちょっと何よこれッ⁉」


 慌てて追いついてきたらしい蒼乃も、眼下の光景に絶句する。

 その声で、止まりかけた思考がふたたび動き出した。


(と、とにかく、知らせないとッ!)


 トラウザのポケットから薄い石板を取り出し、教わった通りに操作する。

 マリーが使っていたものと同じ通信端末である。国から貸与されたもので、ギルド本部や認証しあった端末との通話や魔伝文メールができる。ファンタジー異世界としては破格の装備だ。


『はぁ~い! ヴァイスラント王国ギルド本部、管制マリーディアでぇ~す!』


 数度のコール音が鳴った後に、場違いに元気な声が聞こえてくる。よく知るマリーの声だ。

 女性であると認識した途端、心臓が高鳴る。


「あ、あの……ヤ、ヤナギ……」


『あっ、レイイチさんお疲れ様ですっ。依頼の進捗報告ですかぁ~?』


「む、むら、村が……っ」


『あ、もう着いたんですねっ! その村の広場にある出店に、鶏肉と香草ハーブのバーガーってのいうのがあるんですっ! すっごく美味しいので、もしよければ……』


「ああもうっ、貸して……ッ! もしもしアオノです! 村が燃えてますッ! 魔物に襲われてるッ!」


『ふえっ⁉ 燃えっ、お、襲われてるっ⁉』


 端末をひったくった蒼乃が状況を伝えると、にわかに動揺した気配が伝わってくる。


『ロイド村、魔力検索マナ・サーチ! ……ほんとだ、小鬼ゴブリン小魔インプがこんなにたくさんッ⁉ 領主館や警備隊からは、なにも連絡きてないのに……ッ! アオノさん、付近に頼れそうな冒険者の方っていますか?』


「……多分、いません」


『了解しました……。お二人とも、よく聞いて下さい! 緊急討伐依頼スクランブル・レイドですっ! 進行中の依頼は、現刻を以って破棄! ただちに住民の避難補助に移行してくださいっ!』


「「は、はあッ⁉」」


 いきなりの無茶振りに、思わず漏れ出た声が蒼乃と重なった。


『すぐに応援を向かわせます! 避難を最優先! 魔物の討伐は最小限で構いません! お願いしますッ!』


 それっきり、通話が途絶えた。元の世界の電話とよく似たツーツーという途絶音だけが、意識を支配する。


「ちょっと、ウソでしょ……ッ⁉ 私たちだけで……⁉」


(いや、今なら逃げられる。けど……)


 呆けた声で言う蒼乃を尻目に、黎一はもう一度村を見た。

 揺らめき煙る赤の中、ひとつの影にいくつかの小さな影が襲いかかる。襲われた影が動かなくなるのが、たしかに見えた。


(あんなの見せられてから逃げたって、胸糞悪いだけだ)


 今が、言いたいことを言う時だ。そう、思えた。


「……行こう」


 一言だけ口にして、蒼乃の目を見る。

 蒼乃は少し驚いた顔をした後、唇を引き結び――やがて、こくりと頷いた。



 *  *  *  *



 丘を駆け下り、赤く染まる村の入口まで一気に走る。

 着いた時には、火の手が迫る門から幾人もの住人たちが村の外へと走っていた。その背後を、子供くらいの背丈に緑の皮膚をした小鬼ゴブリンが追いかけている。


「……ッ!」


 死角から駆け寄り、抜き放った長剣を振るった。頭を狙った刃はやや逸れて、小鬼ゴブリンの右腕を斬り落とす。間髪入れずに、横薙ぎで首筋を払う。


「ギギャッ……」


(よし、やれるッ!)


 養殖された魔物を実際に倒す形で教え込まれた剣術は、無駄ではなかったらしい。気づいて走り寄ってきた別の一体に刃を突き入れ、続けざまに屠った。

 戦える。その体感と高揚が、緊張で高鳴る鼓動を感覚から押しのけていく。


「風、我が意に従い礫となれ! 風礫招ウィンド・ショットッ!」


 凛とした声とともに、蒼乃が構えた短杖ワンドの先から風の塊が生まれた。それは唸りを上げて突き進み、小鬼ゴブリンの一匹を吹き飛ばす。

 風は勢いそのままになおも突き進むが、進路上にいた小鬼ゴブリンたちはあっさり躱した。

 なにげに賢い――などと思えたのは、一瞬だった。


勇紋権能サインズ・ドライヴ! 魔力追跡マナ・チェイスッ!」


 ふたたび響いた蒼乃の声に従い、風弾が中空で鋭い弧を描く。そのまま、蒼乃を目がけて走っていた小鬼ゴブリン二匹の頭をうち砕いた。その脇を、逃げ遅れた住民たちが一目散に走ってゆく。


「早く避難してくださいッ! 丘の上は安全ですッ!!」


 蒼乃が、村人たちに向けて声を張り上げる。

 それを見た黎一の胸中に湧きあがったのは、嫉妬とも羨望ともつかぬ感情だった。おそらく蒼乃の能力スキルは、対象の魔力マナを追尾する力なのだろう。


(あれでハズレなのかよ……。そりゃ回復魔法に増幅ブーストかけたりじゃねえけどさっ!)


 訓練の中で見た、天叢の能力スキルが脳裏をよぎる。次に去来するのは、己の持つ能力ちからの不甲斐なさから来る虚しさだ。


(ダメだ……ッ! 今は、集中して……)


 雑念を振り払った、瞬間――。

 まだ燃えていない屋根の上にいる小鬼ゴブリンが、弓を構えているのが見えた。

 その弓から、黎一に向けて矢が放たれる。矢はゆっくり、だが確実に、黎一の喉元に向けて飛ぶ。


(しま、っ……)


『……避けろバカがあッ!!』


 聞き覚えのない濁声とともに、力がみなぎる。引っ張られたように身体が動き、すんでのところで矢を躱す。

 同時に蒼乃が放った風弾が、屋根上の小鬼ゴブリンを吹っ飛ばした。


(は⁉ い、今のは……)


『やれやれ、今の状態じゃこれが限界だな……。ったく、久々に相性いいのが来たと思ったら野郎かよッ! しかもとんだノロマときたもんだッ!!』


 知らぬ声が、ふたたび脳裏に響く。


「あ、あんた、一体⁉」


『まあいい、体捌き自体は悪くねえ。なにより魔力マナがいい。オレ様の声が聞こえてるんだからなぁッ!!』


「な、なにを言ってるんだ……⁉」


「いやこっちの台詞だし⁉」


 蒼乃が、驚きと哀れみが同居した目で見てくる。つまりこの声は蒼乃のものではない。そもそもこんな濁声でもないが。


『今、オレ様はお前の五感に共鳴してる。これで力もナニもギンギンよッ! お前、ツイてるぜぇッ!!』


 慌ててあたりを見回す。だが、他には逃げ惑う村人ばかりだ。


『カカカッ! お前の近くにゃいねーよ! それよりほら、まだ来るぞぅ⁉』


 奇怪な笑い声に煽られ視線を移せば、村の奥の方から小鬼ゴブリンたちが大挙してやってくる。ざっと数えただけでも、二十近くはいそうだった。


「ちょ、ちょっとっ……! さすがにもう無理だって……」


『おッ、ありゃお前の相方かッ⁉ なかなかの別嬪じゃねえかあ……ん?』


 荒い息が混じった蒼乃の声に、謎の濁声が重なる。


『お前、魔力マナが見えるのかッ!』


「そうだよっ! だからなんだよっ!」


『カカカカッ! いいぞぉ、いいぞぅ! それなら話は早ぇ! おいお前ッ、”色”を意識しなッ!』


「は、はあッ⁉」


『剣を包むように、だッ! そぉら、やってみろいっ!』


 意識白と言われてもピンとこない。仕方なく剣を掲げ、視界の中で家屋を燃やす炎の赤に重ねる。

 途端――刀身が、炎に包まれた。


「これ……!」


『よぉし、いいぞぉ……次はそいつを飛ばしてみせなぁ! おあつらえ向きなのがわんさか来てっからよぉ!』


 見れば、小鬼ゴブリンの群れはすぐそこまで迫っていた。蒼乃が放った風弾で数匹が倒れるが、まだ半数以上が残っている。

 息を飲み、覚悟を決めた。剣を、大上段に振りかぶる。


「いっ……けええッ!」


 振り下ろす。剣から解き放たれた赫い弧刃と、後から立ち昇る炎の柱が、群れの一角を喰い破る。

 小鬼ゴブリンの群れが、たちまち動きを止めた。


『よぉし、それでいい! 周囲の魔力マナと同じ属性を使えっ! 色と同じ属性の魔法をぶち当ててやれば、魔法は強化される! さぁ……楽しもうか、相棒ッ!』


(誰が相棒だ)


 心の中で毒づきながら、隣にいた蒼乃を見る。

 紅潮した肌に汗を浮かべた蒼乃が頷く。気のせいか、その顔は少しだけ笑って見えた。

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