赤に染まる青
道端の草木を、不意に訪れた風が揺らす。視界の果てでは、空の青と草原の緑が交差する。そんなうららかな風景に囲まれた街道筋を、黎一たちは背負子を背負って歩いていた。
(箸より重いものを、持たないとは言わないが……)
要所を厚手の布で補強した白のチュニックとトラウザ、防具は革のベストに手袋とショートブーツ、武器は腰間の長剣と、いかにも冒険者といった出で立ちにはなっている。だが汗をびっしり浮かべて荷運びする様は、元の世界の日雇い労働者と大差ない。
(ここまでのモンは、さすがに、持ったことねえなあ……)
歩く度に食い込んでくる肩ひもが、担いだ荷の重さを主張してくる。「休憩する時も降ろさぬ方がよい」などと言われたことが思い出された。
(もうちっと……楽な仕事が、ありゃ良かったんだがな……)
なるべく呼吸のリズムを保ちながら、記憶を思い起こして気を紛らわせる。
――宿を取って諸々の訓練を受けているうちに、はや一週間が過ぎていた。
冒険者と言えば、いわゆるギルドで仕事を請け負い報酬を得るのが、黎一の中での勝手なイメージだった。幸いこのヴァイスラント王国はイメージ通りの仕組みらしく、国営のギルドに登録するのが一般的らしい。
ギルドが斡旋する仕事は、魔物や
有力な
いくばくかの支給金があるとはいえ、宿賃と食費を考えるとあまり長くは保ちそうにない。かといって、魔物退治が務まるとも思えない。でも
そんな思惑だけは一致したのだろう。
(クソッタレ……。もうちょっと、早起きすればよかった……)
黎一の中では十分すぎるくらいの早起きでギルドの窓口に行ってみれば、目ぼしい依頼はすべて請け尽くされていた。よく考えれば、冒険者は他にもいるのだから当然だ。高を括った昨日の自分を呪いたくなる。
しかも聞いたところによれば、勾原の
(異世界くんだりまで来たんだ。
幸いここまでの道程で、勾原たちに出くわしてはいなかった。だが村に着けば、確実に顔を合わせることになるだろう。
「……ねえ、そろそろ休もうよ」
げんなりした感情を遮ってきたのは、同じく背負子を担いで隣を歩く蒼乃の声だった。ちらと横眼で見ると、黒髪のミディアムロングの下に覗いた白い額に汗がびっしり浮かんでいる。
「あそこ、背負子ちょうどよく置けそうじゃない?」
視線で示された先を見れば、街道脇の草地にちょうど背丈ほどの岩がせり出していた。座れなくとも背負ったまま荷を置けば、身体は休まるだろう。
無言で岩場へと近づき、引っかけるように荷を置いた。蒼乃も隣でそれに倣う。
「ああ~っ、もうっ! これで数日分の食費にしかならないとかおかしくないっ⁉」
落ち着くなり喚き散らす蒼乃を無視して、無言で革の水筒を呷った。
視界の端に映る蒼乃の装備は黎一とほぼお揃いだが、下半身はショートキュロットと黒のレギンスだ。
「ゆーて、私らの
蒼乃の背負子も黎一のものより軽いとはいえ、女子高生が背負える重さではないはずだった。それを担いで数時間の道行きを歩いてこれるのは、
とはいえ女性であることに変わりはない。こういう時に口を差し挟むと、さらに激昂する。母との生活で得た教訓だ。
「……ねえ、いい加減まともにコミュニケーション取る気にならないかな?」
(
例え
好き勝手喚きたてる蒼乃の様は、大嫌いな母にどことなく似ていた。異世界転移しようが三途の川を渡ろうが、嫌い抜いた相手と似通った相手と慣れ合う気になど、到底なれない。
「もうっ……ねえってばっ!」
器用に伸ばしてくる蒼乃の右手を、岩場にかけた背負子をずらすようにしてひょいと躱す。蒼乃はなおも手を伸ばそうとしたが、担いだ背負子に阻まれ叶わない。
憮然とした顔をしているのだろう。顔は向けずとも、雰囲気が伝わってくる。
「あんたのそれさ。ひょっとして女性恐怖症、ってやつ?」
(答える義務はない。そもそも分からんし)
症状なのか、ただの女嫌いなのかは分からなかった。
ただ女性の近くにいたくはないし、感情を殺して喋らなければまともに会話もできない。故に女性との会話は極力、蒼乃に任せていた。マリー然り、宿屋の女将然りだ。
(
無言で思考を巡らせていると、蒼乃の大げさなため息が聞こえてきた。
「……分かった。なるべく近づかないようにするから、言いたいことある時はちゃんと言ってよね。一応、あんたが
(盾に使う時とかだな)
「あと、盾に使うのはやめて。お願いだから」
(エスパーか何かか?)
ならいっそ、『ずっと話しかけてくるな』とでも命じるか――そんなことを考えながら、空を仰いだ時。
(……ん?)
ふと、異変に気づく。
赤い。いつの間にか日が暮れたわけでもないのに、赤い。
よく見ると、空の色が変わったわけではなかった。雲がちらほらと浮かぶ青空は変わらないが、その上から赤い霞がかかったように赤い。
(昼なのに、赤……?
首を巡らせると、赤は岩場の背後にある丘の陰から昇り立っているように見えた。風に煽られるように、青を舐めとるように、赤がゆらゆらと揺れる。その動きには、見覚えがあった。
(火、か……? ……まさかッ!)
「って、ちょっとっ⁉ どしたのっ⁉」
とある可能性が脳裏をよぎり、黎一は荷物を置き去りにして駆け出した。
岩場の向こうは小高い丘になっており、街道沿いにこの丘を回り込めば目的地であるロイド村のはずだった。
すなわち、赤が揺らめいているのは村があるあたりだ。
(どんどん、色が濃くなってく……!)
周囲の風景を呑み込むかのような赤色に向かって、走る。
ほどなく、丘の上に出た。
「……ッ!!」
広がる光景に、息を飲む。
目的地であるロイド村が、眼下で黒煙を噴き上げ燃え盛っていた――。
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