宿屋にて

 ――支給品の配布と座学が終わった時、太陽は西の城壁に隠れかけていた。

 級友たちは三々五々、王国から斡旋された宿へと散っていく。もちろん、勇者紋サインによって紐づけられた一対ペア同士、である。

 そんなこんなで黎一たちがやってきた斡旋宿のひとつ”揺籃の地クレイドル”は、冒険者や商人と思しき者たちの姿でそこそこにごった返していた。


「……二人部屋しかないって、どういうことですかッ⁉」


 その宿屋の受付で、蒼乃が声を張り上げた。

 隣でなにやら話し込んでいた冒険者風の女も、一階に設えてある酒場で食事をとっていた商人風の男も、一斉に受付へと顔を向けている。

 そこかしこから感じる視線が好奇を示すような桃色を帯びている上、物理的な痛みまで伴っている気がするのは、目覚めた能力スキルのおかげなのだろうか。


「そんなこと言われたってねぇ。ある意味じゃ勇者あんたたちのせいだよ」


 受付で対応してくれた宿屋の女将が、困り顔で言った。年の頃なら三十そこそこ。顔もわりと美人なのだが、肉付きのいい身体にくたびれたワンピースとエプロンといった格好のおかげで、だいぶ年増に見える。


「私たちのせい、って……。なんでですか」


 蒼乃の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。

 ちなみに女将がひと目で黎一たちを勇者ブレイヴと判断したのは、ひとえに服装のせいだろう。二人とも未だ変わらぬブレザー型の制服姿、加えて支給品を詰め込んだ革袋といった出で立ちだ。想像以上に賑やかだった王都の大通りでも、こんな格好をした者はいなかった。


「そりゃあんだけの数の勇者ブレイヴさまが来たら、一人部屋なんてどこも満室さ。ただでさえ金あっても部屋が空かないってんで、野宿する冒険者までいるんだから。おかげでこっちは大忙しだよ。……ま、暇よりはいいけどね」


 女将がくたびれた調子で首を振ると、蒼乃は大仰なため息をついて荷物を持ち上げた。


「……もういいです。他を当たります」


「だ~か~ら、他も空いてないってばさ。そりゃ斡旋宿は他にもあるけど、聞いてる限りじゃどこも似たようなもんだよ」


「でもっ……」


「国から少しはもらってるんだろ? うちの宿、勇者ブレイヴさんはひと月分まとめて払ってくれたらお安くしてるんだ。事情は分かってるし、もうちょいおまけしとくよ?」


「う……っ」


(うおう、この女将さん商売うめえなあ)


 女将のにんまりとした笑顔に辟易する蒼乃を尻目に、心の中で独り言ちる。

 宿屋にしてみれば人気のない部屋は、多少値引きをしてでも客が入ったほうが良い。新米勇者ブレイヴたちの事情と、国から出ているであろう支給金を当て込んで、埋まりにくい二人部屋をさらっと埋めようとしているのだろう。

 蒼乃はしばし逡巡した後、黎一の方へと視線を向けた。


(はいはい。オトコが決めりゃいいんだろ)


「……部屋、見せてもらっていいすか。それで決めます」



 *  *  *  *



 問題の部屋は、二階の一番奥まったところにあった。

 廊下に隔てられる形で独立した角部屋だ。隣室を気にしなくてよい分、部屋の位置としては理想的に思える。

 だが――。


「な、な……なっ……!」


 赤面する蒼乃の傍らで、黎一はすべてを悟った。

 広さは普通のホテルの二人部屋と同じくらいだろう。窓は南向きらしく、午後の陽射しが適度に差し込んでいる。部屋の真ん中には大きな布張りのソファと木製のテーブル、部屋の隅にはクローゼットと、思っていたより設備もよい。


(なるほどね。こりゃ埋まらねえわけだわ)


 問題はベッドだった。なにせダブルベッドである。しかも男二人で寝転がってもなお余裕がありそうな、クイーンサイズ一歩手前の大きさだ。


「どうだい? 男女だとアレかもだけどね。いや、むしろ都合がいいかい?」


「そ、そっ、そんなわけ……っ! てかこんな部屋さすがに……!」


「……ひとつ、条件つけていいすか」


「なんだい?」


 蒼乃の声を遮って問うた声に、女将が涼しい顔で応える。


「……厚手のシーツか毛布、あと縄を一本貸してもらえませんか。間仕切りするんで。それでさっき言ってた料金なら、手を打ちます」


 ぼそりと告げると女将は少し驚いた顔をしたが、やがてふっと笑った。


「おやまあ、オトコのほうが冷めてるじゃないか。それでいいよ。今、持ってくる」


 言い終えると、女将はさっさと部屋を出ていく。あとには、黎一と蒼乃だけが残された。

 蒼乃はしばし呆けていたが、やがて黎一の顔をきっと睨みつける。


「ちょっとっ! 勝手に決めないでよっ!」


(決めろって顔したのお前だろうが。第一、他に選択肢あったのか?)


 食ってかかる蒼乃を無視して、さっさとソファに陣取る。

 どうせベッドを使わせろ、と言ってくるのだ。会話を省くためにも率先して行動したほうがよい。


「もうっ、私がベッド使うんだからねっ! あんたはそっちっ!」


 予想通りの台詞をまき散らしながら、蒼乃は足音荒くベッドへと向かう。

 黎一とて、女子と同じ部屋などまっぴらごめんだった。だが他に方法がないうえ、ヘタすれば野宿だ。なにより宿屋行脚の間、ずっと蒼乃と過ごすのがなによりも苦痛だった。この上、二人で野宿など耐えられない――故にその可能性をさっさと潰した。それだけのことである。


(こんなこと、いちいち説明するのもめんどくさい)


「……ねえ。さっきの講義レクチャー主上マスターだけが聞いた話、あったでしょ」


 噴き上がりそうになっていた黒い感情を、蒼乃の声が遮った。

 問いには、沈黙のみで応じる。


主上マスターになった子から聞いたの。おまじないみたいなの、教わったんでしょ?」


 質問の答えを持ってはいた。だが、返せない理由がある。

 主上マスターから眷属ファミリアになった者のみに使える、禁忌の言葉。眷属ファミリアを一度だけ、無条件で従わせる。それが、その講義レクチャーで教わったことだった。


(おまじない、なんて……生易しいもんじゃない)


 裏を返せば、欲望を満たすためにも使える言葉だ。「眷属ファミリアの方には、決して悟られてはなりません」――講師の言葉が思い起こされるが、やはり人の口に戸は立てられぬものらしい。


「もし、それ使って私に変なことしたら……一生、軽蔑するから」


(なんだ、それでいいのか)


 買い言葉の代わりに、鼻を鳴らして応じてみせる。

 癇に障ったのだろう。背中に、真っ赤な怒気が突き立ったのが分かる。


「なによ、その態度っ!」


「心配しなくても、お前の身体なんぞに興味はない」


 怒気を、冷めきった言葉で斬り捨てる。


「なにより……そんなことに使うくらいなら、いざって時の盾に使うほうがいい」


 顔も向けずに言い放つ。

 聞いた限り、言葉を使えるのは一度のみ。ならば、命がかかった場面で使うほうが理に適っているというものだ。

 蒼乃の表情は見えなかった。が、少しの間を置いてベッドに倒れ込むような音がした。


「……ごめん。思ってた以上に最低だったわ」


(それでいいさ。間違ってない)


 不意に、シャワーを浴びたくなった。聞いた限りでは共用の設備らしい。

 宿賃の清算ついでにシャワーの場所を聞くべく、黎一は何も言わずに部屋を出た。

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