勇者の証
空の青に呑まれたかと思うと、意識が急降下する。徐々に一点へと近づいていき――気づけば黎一は、光に満たされた見知らぬ部屋に立っていた。
白い石でできた天井と床には、青白い光を放つ五芒星の魔法陣が向き合う形で描かれている。背後を見ると蒼乃やマリー、アイナもいた。
(いっそ、はぐれてくれた方が良かったんだが……)
部屋を見回しながら考えていると、端にある通路から青いスーツらしき上下に身を包んだ美女が歩いてくる。気品を感じる顔立ちと、煌めく金髪で編み上げた四門のお嬢様ドリルこと縦ロールが、彼女が相応の身分であることを教えている。
「お客様がた、ようこそ我が国へ。わたくし、ロベルタ・ヴァン・カストゥーリアと申します」
微笑みながら礼式をとるお嬢様ドリルことロベルタに、蒼乃が軽く会釈を返す。名前と甲高い声からして、この女性が先ほどマリーと端末越しに話していた女性だろう。
ロベルタはマリーたちに向き直ると、表情を硬いものに変えた。
「さて、これで最後のはずですね?」
「うん。わたし、兄様をお呼びしてこないと。ロビィ、お二人の案内頼める?」
「だから仕事中にそう呼ぶのはおよしなさいな。……お二方、どうぞこちらへ」
「それじゃレイイチさん、アオノさん、また後で!」
(なんで俺だけ名前……?)
マリーはアイナとともに、笑顔で反対側の通路へと消えていく。
ロベルタに先導されるがまま通路に入り階段を登ると、そこは赤絨毯が敷かれた廊下だった。いつぞやネットの画像で見たことがある、西洋風の廊下だ。窓から差し込む暖かい光に照らされた調度品の数々が、格式高い場であることを教えている。窓からは、宮殿や城壁と思しき建造物が建っているのが見えた。
「すっごい……。ほんとに、違う世界なんだ……」
「我が国の王宮ですわ。諸々の説明が終われば、正式に見学することもできますわよ」
蒼乃とロベルタの会話を聞きながら進むと、やがて右手に兵士二人が守る大扉の前が現れる。ロベルタの合図で開かれた扉の先は、ひな壇が設けられた大広間だった。その中にひしめく見慣れた制服姿たちの視線が、黎一と蒼乃のほうへと向いた。
「おっ、蒼乃さん着いたんだ」
「うっわ、八薙と一緒なの?」
「一緒に連れて来られる基準が分からなくない……?」
(おーおー。相変わらず、好き勝手言ってくれるねえ)
女子勢の黄色い声には耳を貸さず、ずかずかと制服姿の群れに分け入っていく。広間の端には重武装の騎士たちが整列しており、少々物々しい。
知った顔を探していると、折よく群れの中からひときわ大柄な茶髪の男子が近づいてきた。
「八薙くんっ! 無事だった!」
「おう、全然無事じゃねえけどな」
いつもの調子でくるハイタッチに、気だるげに応じる。
天叢の相手をしつつ巧みに男子の群れの中に紛れ込んだ時、部屋の端にある壇上に、マリーとロベルタの姿が現れた。
「静粛にッ! 王太子殿下が御出でになられますッ!」
ロベルタの甲高くも妙に威厳のある声に、場内が水を打ったように静まり返る。
わずかな間の後、壇上に現れたのは二十代後半くらいに見える金髪の美丈夫だった。天叢よりもさらに背丈がありそうな身体は、線が細いながらも貧相な印象はない。白いガウン風の外套やその下に着る礼服から、ひと目で然るべき身分の人間であることがわかる。わずかに見える白い光は、なにかの演出だろうか。
美丈夫は壇の中央まで歩いてくると、深々と礼式を取って見せた。
「異界のお客人がた、ようこそ、我がヴァイスラント王国へ。私はこの国の王太子、レオン・ウル・ヴァイスラントと申します。皆様をお連れしたのは私の妹にして第六王女、マリーディア。転移を担当したのは、カストゥーリア補佐官です」
美丈夫もといレオンの声に合わせて、壇上のマリーとロベルタが礼式を取る。さらっと言ったが、どうやらマリーはこの国の王女らしい。
「これより我々から、皆さまの
落ち着いていながらもよく通る声音に、女子たちからひそひそと黄色い声が上がる。そんな雰囲気の中、黎一はレオンと名乗る男の姿と言葉を、注意深く観察していた。
(
疑念をよそに、壇上のレオンが右手を中空にかざす。
途端、光で描かれた大型のディスプレイが現れ、周囲がにわかにざわつきはじめた。
「まずはじめに……。すでにお聞き及びの方もいるかと思いますが、皆さまはかつていた世界から、この世界へと転移されました。それぞれ、ご自身の手の甲にある紋をご覧ください」
ディスプレイに映し出された指示に従い、改めて右手の甲を見る。紋様は、変わらずそこにあった。黒いひし形の染みに三日月の模様をくり抜いた形だ。
ふと周りを見てみると男子も女子も皆、手の甲に何かしらの紋様があった。級友たちは各々の手の甲を見ては、隣の者の紋様を覗き込んだりしている。
壇上のレオンは場内を見渡すと、微笑みながらふたたび口を開いた。
「その紋様は異なる世界からの転移者にのみ現れる、勇者の証……
今度は主に男子から興奮気味の声が上がる。中には飛び跳ねてみる者がいたりなど、暢気なものだ。
レオンはざわつきを気にもせず、言葉を続ける。
「我々はその力に敬意を表して、転移者の方を”
(おーおー、しれっとアピってきやがって。つっても、転移してるのが俺たちだけじゃねえってのは朗報だな)
魔物との戦いや
「我々は新たな
(おう、待てや。一番大事な話が抜けてんぞ)
などと考えてはみるものの、質問する勇気は当然ない。
そんな中、すっと手をあげた者がいた。天叢だ。
「はい。手をあげた方、どうぞ」
「ありがとうございます。僕らに何が起こったのかは分かりました。ですが、一番知りたいことが抜けてます。……どうすれば、元の世界に帰れますか?」
(おおう、よくぞ聞いてくれた! さすがだ爽やかイケメンッ! 金髪野郎にも引けを取ってないぞ!)
心の声で賞賛する間にも、どよめきは殊更に大きくなる。
中には「そうだよ、どうすりゃ帰れんの⁉」だの、「勇者とか栄光とか、そういうのいいんで!」といった声もちらほら混じっている。ここまでの話は、異世界で生きることが前提の話ばかりだ。元の世界のことはなにひとつ分かっていないのだから、無理もない。
暴発寸前の級友たちを前に、レオンはゆっくりと目を伏せた。
「たしかにそのお話はしておりませんね。ですが……しなかったのではありません。できないのです」
「どういう、意味ですか?」
「……皆さまの世界への帰還方法は、分かりかねます。おそらく、この世界の誰にも分からないでしょう。そういうことです」
その言葉が終わった瞬間――。
広間は、怒りと非難の声で満たされた。
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