異なる世界と異なる人と

 黎一が声のしたほうに目を向けると、森の木々の合間からひとりの女性が姿を現した。艶のある茶髪のボブカットを揺らしながら、黎一たちへと近づいてくる。

 欧州風の幼い顔立ちからして、おそらく年下だろう。刺繍の入った長衣ローブを纏った身体は黎一より頭ひとつ小さいが、胸のあたりのボリュームが妙に主張している。左手には金属製の長い錫杖と、どこかで見たような格好だ。


「よかったぁ~。ご無事でなによりです」


(全っ然、ご無事じゃねえんだが?)


 ほんわかした声に心の声で反論していると、茶髪ボブの背後に長身の女性が現れる。

 歳は茶髪ボブより上だろう。青みがかった黒髪をポニーテールにした、東洋風の顔立ちの美女だ。深いスリットが入った貫頭衣に黒のレギンスといった出で立ちに、打刀を思わせる片刃の長剣を佩いている。

 青ポニテは狼たちの骸を一瞥すると、しかめっ面で白い息を吐き出した。


「あれのどこを見て無事だと言えますか? もう少し遅かったら、どうなっていたことか……」


「うっ……で、でもほらっ! ちゃんと撃退できてるんですしっ! 魔力マナも使えてるっぽいですしっ!」


 茶髪ボブの焦った声に、青ポニテが呆れ顔になる。


「まあたしかに、いきなりこいつらを四頭とは見事なものだ。どうやら間違いはないようですね」


「……な、何なんですか。あなた方」


 凛とした声音の青ポニテに食ってかかったのは、後ろにいた蒼乃だ。

 茶髪ボブは優雅な足取りで前に出ると、童顔をほころばせる。


「名乗りもせずにごめんなさい。わたし、マリーディア・ロナ・ヴァイスラントと申します。マリー、ってお呼びください。それから……」


 茶髪ボブもといマリーが言葉を切りつつ、青ポニテに顔を向けた。青ポニテは「なんで私まで」と言わんばかりの視線を向けるが、観念したのかすぐに口を開く。


「……アイナ・トールだ」


 ぽつりとした名乗りを見たマリーは嬉しそうに笑うと、黎一たちに右手を差し出した。


「ようこそ我が国へ。歓迎しますわ。お名前を伺っても、よろしいですか?」


 ――反射的に、差し出された右手をすっと避ける。女性に触れたくない、そう思う間もなく身体が反応した。

 アイナの眉がぴくりと動く。それに気づいたか、蒼乃が慌てた様子で握手に応じた。


「あっ、こ、こいつちょっと変な奴だから気にしないでください。私、蒼乃あおのるなです。こっちは八薙やなぎ黎一れいいち。……言葉、分かりますか?」


(さらっと紹介やめろ。てかなんでフルネーム知ってんだよ)


 心の中で毒づく。だが、今は状況が把握することのほうが先決だ。

 そんな黎一の内心などつゆ知らず、マリーは茶髪を揺らして微笑む。


「そのお名前、日本ニホンからいらした方ですよねっ! ご心配なく。この世界において、あなた方に言葉の壁はありません」


「あ、っはは、よかったあ~。……って、今なんて?」


(うん。今、変な単語出てた。聞いたことあるけど、今は聞きたくない単語)


 ”この世界”――普通に生きている限りは、そう耳にしない言葉だ。もし頻繁に耳にしているなら、個々の趣味嗜好や人間関係、ないしは人生設計の問題だろう。

 マリーは意図を察したのか、少し困った笑顔を浮かべた。


「この世界、と申し上げました。……受け入れづらいとは思いますが、先にお伝えします。今いるここは、あなた方の世界ではありません」


「へっ……?」


(すげえ。当事者として聞いていても、まったく頭に入ってこない)


 朝起きて、飯食って、学校行ったら森の中。ヒス女に喚き散らされ狼に襲われ、挙句にここは異世界です、ときた。

 異世界転移――漫画やアニメで、親の顔より見た展開だ。この状況をさらっと飲み下し、「憧れの異世界転移!」などと言えるのは、よほどの馬鹿か酔狂である。

 などと考えているうちにも、マリーの言葉は続く。


「わたしたちは、この世界を”ゲフェングニス”と呼んでいます。あなた方の世界の言葉で、”檻”を示すのだそうです……。で、でもでもっ! 住み慣れれば結構いい世界とこなんですよっ!」


「え、ええっと……」


「まず我々の用件を伝えてはいかがですか? そのほうが、お二人のためにもなるでしょう」


 戸惑い顔の蒼乃を前に、アイナが助け舟を出す。

 さらりと対応するあたり、日頃の苦労が垣間見える気がする。


「そ、そうそうっ! ひとまず、わたしたちと一緒に来ませんか?」


 マリーははっと我に返ったしぐさの後、右手をぶんぶんと振りだした。

 意図しているのかいないのか、仕草がやたらあざとい。だが好きなヤツは好きなタイプだ。


「ここは寒いですし、それに……」


「それに?」


「ご学友の方々も、この世界にお越しになってます。実はお迎えに上がったの、お二人が最後なんです」


「はいっ⁉」


(よりにもよってクラス転移かよ。蒼乃こいつだけでもめんどくさいのに……)


「そ、そんなにめんどくさそうな顔しないでくださいっ! とにかく、早く移動しましょうっ!」


 マリーの言葉に、黎一はじりっと後退った。

 普通に考えれば、仮装までして大仰な嘘を吐く理由はない。だが、この二人を信頼するか否かは別の話だ。なによりこれ以上、女性に関わりたくはない。

 蒼乃も結論は同じなのか、マリーの顔をきっと睨み返す。


「……断ったら?」


「別に構いませんよ?」


「へっ……?」


 ぽかんとした顔であっさり応じたマリーに、蒼乃は空気が抜けたような声を出した。


「わたしたちのことが信用できないと仰るのであれば、ここに残っていただいても結構です。ですけど……」


 マリーは一度言葉を切ると、心なしか意地の悪そうな顔つきになる。

 童顔に浮かべたその表情は、さながら小悪魔とでも言うべきものだった。女性が苦手でなければ、変な性癖を刺激されていたかもしれない。


「ここ、”群狼の島”って呼ばれてる無人島なんです。どこの国の領地でもないので、管理者もいません。あとわりと北のほうにあるので、年中ずっと寒いです。食べ物がないとは言いませんけど、まあ狩猟が主になりますね」


「うっ……」


「さっきの狼たちのボスもいます。他にも凶暴な魔物が、た~くさん生息してます」


 蒼乃が呻いたのを見逃さず、マリーは立て続けに言葉を並べる。


「ううぅ……」


「って感じの場所なんですけどぉ……どうしますか?」


 小首を傾げてにっこり微笑むマリーを前に、蒼乃はじろりと黎一に視線を向けてくる。


(はいはい。オトコが決めろ、ってことな)


 女性は苦手でも、こういう時に言われることは大体分かっている。母のありがたい教育の賜物だ。それでなくとも今の話を聞いた以上、ここに残りたいとは思わない。


「……分かった。行くよ」


「はい、行きましょうっ! って、ようやくおしゃべりしてくれましたね」


 マリーは面白そうに言いながら、腰の小鞄ポーチからスマホサイズの石板を取り出した。見ていると石板に数条の光の筋が奔り、表面に紋様が浮かび出てくる。かと思うと、マリーが紋様に向けて口を開いた。


「こちらマリー、対象の二名と合流完了! ロビィ、回収おねがいっ!」


『こちらロベルタ。二名の魔力波形マナ・パターンを確認……照合完了。無事、終わりましたわね。座標ポイント・照準ロック範囲エリア・魔力転送テレポート、起動開始。近くに魔物はおりませんわね?』


 光の紋様がまたたき、甲高い女性の声が聞こえる。


「大丈夫だよぅ、そんなヘマしないって!」


『どの口が言うんですの? 座標ポイントを間違えて海岸に出たの、あなたでしょう』


「うぅっ! お、お客様の前でそんなこと言わなくたっていいじゃないっ!」


『恥をかきたくなくば、もっとしゃんとなさいな。……さ、始まりますわよ! お客様がた、その場から動かないでくださいましねっ!』


 言葉が終わるか終わらないかのうちに、四人の周囲に光輪が現れた。中空に光で紋様を綴ったようなそれは、徐々に回転を速めていく。

 やがて光輪が一点に収束したかと思うと、黎一の意識は空の青へと投げ出されていた。

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