ルーザー・ブレイヴ ~異世界転移で女子と強制ペア!底辺スキルの覚醒と工夫で最強の英雄になった件~

朴いっぺい

第一部【勇者降臨】 

第一章 俺と彼女が異世界でやることを決めるまで

始まりは森の中

 八薙やなぎ黎一れいいちは、森の中で困惑していた。

 一瞬前まで、朝のホームルーム活動が終わった教室にいたはずなのだ。目の前がいきなり明るくなり、気づいたらこの森にいた。


 (……寒い)


 今の黎一は、ざんばらの黒髪に、紺を基調として緑が差し色に使われたブレザーにワイシャツ、ネクタイ、スラックスといった制服一式と、”制服に着られている陰キャ”を地で行く出で立ちだった。

 だが、それでも寒い。教室では春先の陽気も相まって少々汗ばむほどだったのだが、今は身震いするほどだ。吐き出た息が白い靄と化し、凛とした森の空気に流れる。

 しかし目下一番の問題は、寒さでも、いきなり森の中にいたことでもなかった。


「あああっ、もうっ!! どこなのよここっ!!」


 発狂と憤怒が入り混じった大声は、黎一の左側から聞こえた。

 声の主は、黎一と同じタイプの制服を身に纏った色白の少女である。黒髪のミディアムロングにつり目が特徴の整った顔立ちと、短めに巻かれたチェックスカートから覗く白い脚には、思わず振り返る男もいるだろう。もちろん怒鳴っていなければ、だが。


(よりにもよって……)


 ――蒼乃あおのるな

 黎一と同じクラスのスクールカースト最上位にして、校内でも一、二を争うと噂の美少女だ。彼女は、森にいることを認識した時から隣にいた。体感で数分が経った今も、ひたすら喚き続けている。

 これこそが、黎一にとって最大の問題なのである。


(なんで……女……)


 女性という存在ものが苦手だ。寒さより、こちらの方がよほど堪える。

 気づかれぬよう、視線を向けず、カニ歩きの要領でそろりそろりと距離を取ろうとする。

 しかし足元の草が揺れる音で気づいたか、蒼乃の顔が黎一に向いたのが横目に見えた。


「……なんで離れようとしてるわけ? 状況分かってる?」


(分かってるから距離取ろうとしてんだよボケ)


 だが、声には出さない。蒼乃の顔が見える程度に顔を向け、ぎろりと睨むのみだ。

 気に食わなかったのは態度か素振りか、はたまた両方か。蒼乃は寒さの中にも拘わらず、白い肌をさらに紅潮させた。


「いやさぁ。今いるの、私とあなたの二人だけだよね? 女子を守ろうとか、大丈夫だよとか、そういうのないんですかっ!」


(お前の世界ならあるんだろう。俺の世界にはない)


 言葉の代わりに舌打ちひとつ飛ばすと、黎一はずかずかと歩き出した。ここがどこなのか、どちらに行けばいいかも分からないが、何もしないよりはマシである。

 蒼乃から、困惑の雰囲気を感じる。が、それはすぐに真っ赤な怒気へと変わった。


「……いや待って待って⁉ この状況で女の子一人で取り残していくとかありえなくない⁉」


(俺の中ではありえる)


 脇目も振らずにさっさと歩きだすと、不意に蒼乃が動く気配がした。


「ちょっとほんと……待ってよ! ねえっ!」


 肩をつかまれそうになる気配――。反応して、右斜め前方へ滑るように動く。蒼乃の手が空を切ったのが、振り向かなくても分かった。


「あのさぁ……あんたの女子への塩対応、有名だから知ってますけどね? けど、この状況だよ? いい加減やめないかな?」


(ああ、おおいに分かってる。故にやめる理由がない)


 女子と二人っきりで森の中にいることが、何よりの問題だ。

 ふたたび無言で歩き出した時、前方数メートル先にある茂みが、がさりと揺れた。思わず立ち止まると、茂みの中からいくつかの白い影が躍り出る。

 狼だ。雪をそのまま纏ったような白い毛皮に覆われた姿が六つ、黎一の行く手を阻むように立つ。


「グルルウゥ……」


「ウォン、ウォン!」


 吼え猛る狼たちに、歓迎の雰囲気はない。

 左斜め後方から、なにかが動く音がした。蒼乃が後退あとずさったのだと、勝手に予測をつける。


「ちょ、ちょっと! なにこれ聞いてないしっ!」


(誰も言ってないからな)


 続く言葉を心の中で斬り捨てながら、徐々に距離を詰めてくる狼たちを観察した。改めて見ると、体長は一メートルくらいだろうか。狼としては小柄な部類であろう。

 とはいえ、この数だ。取っ組み合おうにも、群れて来られた後は漏れなく狼たちの胃袋に収まることになる。運動には多少自信があるが、野生の狼から走って逃げられると思うほど自惚れてはいない。


蒼乃こいつエサにすれば……いけるかな?)


 冷徹な考えが脳裏をよぎると同時に、不意に寄ってきた温もりを避けるように身体を右に動かした。蒼乃が影に隠れるようにしてくるのを、反射的に避けたのだ。


「ねえ待って⁉ その動きマジでおかしくない⁉ カワイイ女の子が寄ってきたら普通庇うよねっ⁉ てかさっきからどうやってこっち見てるわけっ⁉」


(なるほど、カワイイという自覚はあるわけだ。素晴らしい。さぞかし立派なエサになるだろう)


 心の中で、せせら笑った時。

 喚き散らす蒼乃の声を合図にしたかのように、群れの左端にいた一匹が地を蹴った。その視線が捉えているのは、蒼乃ではなく黎一だ。

 だが当の黎一は、強い違和感に囚われていた。


(……いや、遅くね?)


 反応できる――。そう思った時には、拳に固めた左掌を狼の頬桁にめり込ませていた。躊躇わず腕を振り抜くと、狼は想像を絶する勢いで横っ飛びに吹っ飛んでいく。


「キャオンッ⁉」


「ウウウウウ……ワオォン!!」


「オォン!」


「グルルォン!」


 悲鳴とともに数メートル先に叩きつけられた仲間を見ていきりたったか、三匹の狼が一斉に飛びかかってくる。

 しかし、やはり遅い。

 その場を動かず右の拳で一匹を打ち落とし、喉を狙って飛びついてきたもう一匹の首を左手で掴んだ。だがそこに、遅れてきた残りの一匹が飛びかかってくる。


(やっべ!)


 反射的に右腕を掲げた。黎一の口から出た白い吐息が、刹那のうちに下腕部へと纏わりつく。それはまたたく間に氷の篭手となり、前腕にめり込むはずだった狼の牙を弾いた。


(はっ?)


 勢いで右腕を横に振るう。氷の篭手は形を変えて刃となり、狼の顎を斬り裂いて、砕け散る。

 左手で掴んでいた狼を投げ飛ばした。残った狼たちは戦意を喪失したのか、早くも逃げの体勢に入っている。


(なんだよ、今の……?)


 血すら滲まぬ右腕を呆然と眺めると、手の甲に見慣れぬものがあることに気づいた。

 黒い夜空を、型でくり抜いたように浮かぶ三日月の模様だ。見たこともないそれを観察していると、視界の端を白い影が走った。

 残っていた狼のうちの一匹だ。黎一の目を盗むようにすり抜けると、後方にいるであろう蒼乃に向けて飛びかかった。


「ウオォンッ!!」


「きゃあああああああッ!!」


(あ、そういやいたっけ。南無……)


 聞こえる悲鳴に、祈りをささげた瞬間。

 なにかが弾けたような爆音とともに、狼の身体が弧を描いて吹っ飛んだ。そのまま、目測数メートル先にある巨木の幹へと叩きつけられる。


(……は?)


「キャオァン……」


「オォン……」


「オン、オン……」


 劣勢を悟ったか、先ほど投げ飛ばした一匹と残っていた一匹が逃げていく。地に伏した狼たちは、ぴくりとも動かない。


「な、なに、今の。私が、やったの……? ってか、なによこれっ!」


(知るかボケ。……って、ん?)


 首を巡らせると、蒼乃が端正な顔を歪ませていた。その左手の甲には、夜空に浮かぶ三日月のごとき模様がくっきりと浮かんでいる。


(俺のと、同じ形?)


 などと考えていると、ふたたび草が動いた。

 音からして、先ほどよりも大きい。


(またかよ、今度はなんだ……?)


「あっ、このあたり……見つけたっ! アイナさん、こっちですよぉ!」


 身構えているところに聞こえてきた声は、ほんわかした女性の声だった――。

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