第4話 琥珀港の人々

・ゼビエ氏邸宅にて


 貝と魚醤、ハーブ、香辛料とを混ぜ、それを漬け込んだ料理がアーシヤの前に出される。 

 彼女はワインを口に運びながらぐるりと周囲の人々を見まわした。地主に豪商、学者、フィラリアの各組織の長から、言わずと知れた鉱山王まで。これほどの人物たちを集めることができるのは彼くらいのものだろう。彼女は素直に感心しながら、その意匠のこめられた料理に舌鼓をうつ。

 彼らが座る長いテーブルは、その家主の交友関係、すなわち社会的地位の高さを知らしめる役割を果たしている。庭園の見えるガラス細工の壁を背にして座る恰幅の良い男こそ、今回の『琥珀会』の主催者のゼビエ氏である。

 会の『平等』という理念を表すように持ち回りで主催者は変わる。しかし現在15人の会員を擁する秘密結社『琥珀会』の創設者であり、フィラリアの富の中心である彼が主催するからこそ、多忙を極める全15名の会員がここへ集まったのである。


「そういえばあなたの名前を聞き忘れていたけれど、『レゴーシュさん』でいいのかしら?」


 アーシヤは皆に聞こえるように、あの小包を届けた男に尋ねる。


「ええ、私はサンデル・レゴーシュ。自警団長である父、アドレス・レゴーシュの息子です」


 彼と面識があるらしい者たちは気に留めなかったが、ゼビエ氏は驚いたように腰を浮かせる。


「なんと、彼の代理人だとばかり。まさか倅だったとは。みな知っていたのか?」


「私も驚きました。アドレス氏からは言伝があるのですよね?」


 アーシヤが尋ねる。


「ええ、『檸檬畑の領主にあやかって養子を取った。よろしく頼む』と」


 それを聞いた人々は共通の感想を得た。

 檸檬畑の領主とはゼビエ氏を指したものだ。これは彼が今のような大富豪になる前、両親が残した檸檬畑から事業を起こしたことから、商人たちの間ではそう呼ばれている。そして彼もまた養子であった。

 ゼビエ氏のように優秀な養子をとったから、同じ境遇であるサンデルを無碍に扱えば彼の不況を買うぞという脅しともとれるし、ゼビエ氏に対しても、その良識を要求しているようにもとれる。

 みな心の中で、「誰かの入れ知恵だな」と思った。アドレス・レゴーシュは決して馬鹿ではないが、腹芸のできない人間である。 

 彼らの予想通り、この文言はアーシヤの創作である。しかしまったくの捏造でもない。ここまでの道中でサンデルから、アドレスの伝言が『よろしく頼む』だけであることを聞いた彼女が前の文言を付け足すように助言したのだ。アーシヤはその一言の真意はこういうことだろうという説明を加えたため、サンデルも素直にそれに従った。


「そうかそうか。それにしても古い話を持ち出してきたものだな。サンデルといったか。少し昔話をさせてくれ」


 彼は自分がサンデルと同じく養子であったこと、当時まだ自治政府でなかったフィラリアが王国によって蹂躙されその戦火で両親を亡くしたこと、残された檸檬畑から事業を起こして今の地位があることを話した。

 

「みなすまない。長くなったな」


「いえ、貴重なお話を聞かせていただきました。まだ未熟者ですが、いずれは父のようにこのフィラリアを守れるような立派な人間になりたいと、そう思うのです」


「あやつの人を見る目は信用している。きっとお前もそうなるだろうな」


「ありがとうございます」


 そのような一幕がありつつも、『琥珀会』の夜は更けていく。

 彼らは自らの事業の愚痴から風の噂まで、聞く人が聞けば値千金の土産話を持ち寄り、時には都市運営についての重要な決定を行う。当然、正式な会議や行政は街の中央にある公会堂で行われるが、『琥珀会』はもう一つの公会堂といっても過言ではない。


 サンデルの登場によってその場は盛り上がった一方で、数名の参加者たちは、とある議題を用意していた。


「そういえば、イギュールで聞いた話なのですが」

 

 商人のスキノヤが話し始める。彼は香辛料や貴金属といった大陸中央では手に入りにくいものを、遠路はるばる南方の島々をめぐりかき集め、それを王国へ高く売りつけて財を成した。それ自体は他の商人たちも行い得るが、彼は南方の地理や文化に精通しており、現地の人々しか知り得ない海路を使い、南方諸国との安定した交易を確立した人物である。

 ただし、本人は現在ではフィラリアを離れることはないため、彼の小麦色の肌は彼の所有する秘密のビーチで焼いたものである。


「実はわたしが面倒を見ている商人ギルドの組合員が少年奴隷の売買に手を出していたらしく、それを罰したのですが」

 

 フィラリアでも奴隷は一般的なものであるが、奴隷であっても人間として尊重するための最低限のルールが存在する。例えば奴隷は使用目的を明らかにしなければならない。私兵として扱うのなら傭兵奴隷、技術職に就かせるなら職人奴隷、女中や屋敷の管理をさせるのなら家内奴隷といったようにそれらを分類し、もとの用途以外で彼らに仕事を強制することを禁止している。

 性奴隷も存在するが、これは娼館で働かされるものたちの名称であり、年齢制限がある上、個人で所有することはできない。

 そのため性行為目的で売買される未成年者のことは少年奴隷と呼び、その売買はどのような権力者であっても厳しく罰せられる。


「その男が言うには、見た顔がそこへ出入りしていたと」


「見た顔というのは?」


 それまで赤ら顔でにこやかにしていたゼビエが厳しい目つきになる。


「それが、なんと」


 スキノヤはちらりとアーシヤの方を見る。


「冒険者協会の女中であると」


 彼の言葉を聞いた会員たちの目線は、一斉にアーシヤの方を向かう。それを嗜めるようにゼビエはその真偽を問う。


「スキノヤ、そう言ったからには証拠を用意しているのだろうな?」


 ゼビエが冷ややかに告げる。

 それに肝を冷やしつつも、スキノヤはすでに下調べを終え、証人を屋敷の前に待たせていた。


「その必要はありません」


 であるから、その一言はスキノヤを大いに驚かせた。


「どいうことだ?」


「わたしが少年奴隷を買ったことは事実ですから」


 会員たちがざわめき立つ。


「アーシヤ。わしが、というよりフィラリアで少年奴隷などというものが禁止されていることは当然知っておるな?」


「重々承知しております。しかし、お言葉ですが、法律では少年奴隷の売買を業とすること、個人間、組織間でそれらの奴隷を買い、それを使役することを禁止しております」


「なんだと?」


「わたしが言いたいのは、少年奴隷を買うこと自体は禁止されていないはずだということです」


 アーシヤはそれまで口数の少なく、端の席で気難しそうにしていたある男を見る。


「どうなのだ?タント」


 ゼビエとアーシヤ、ふたりの目線を集めた男は、静かにナプキンで口を拭く。


「彼女の言い分は、おおよそ正しい」


 彼はフィラリアの法学者であり、大陸の宗教的司祭や、上級役人に属さない、世にも珍しい純粋な裁判官でもある。しかし、正式な裁判が滅多に起こされることないこのフィラリアで彼は、毎日引きこもって読み書きに努めているのである。


「王国の法ではそもそも少年奴隷と呼ばれる存在がないため判例はないが、フィラリアで言えば亡くなった古い友人の娘である少年奴隷を買い、裁判の結果、無罪となった者もいる。公人としての意見は避けるが、個人的には少年奴隷を買うこと自体に罪はない」


 ただし、と付け加える彼にアーシヤの声が重なる。


「無論わたしは買った少女を奴隷として扱っていません。今、彼女は自分の意思で冒険者として自らの人生を歩み始めました」


 遮られたことに気を削がれたのか、タントは再び口をつぐんだ。


「なるほど奴隷を買っても解放すれば罪ではないと。アーシヤ、ではおまえはなぜその少女を?」

 

 当然の疑問である。それは話題を提起したスキノヤも調べ切れていなかった事である。


「理由は、そうですね。説明が長くなってしまいますから、先にそちらの方の話を聞きましょうか?」


 アーシヤは向かいに座る男、飛び出るほど大きく見開かれた双眸の中央に居座る黒目は、灯りの光をもってしても照らさぬほどに沈んでいる。

 

「なるほど心当たりがあるようだ。では聞くが、巷で噂の黒魔術師に関してなにか知っているのではないか?」


「答えるのなら『はい』と言っておきましょうか」


「なんだ、さっきから次から次へと!」


 その不気味な男の隣、イワンマが痺れを切らしたように立ち上がる。


「何年か振りに街へ帰って来たが、この女は一体どういうつもりなんだ!」


「そういえばお初にお目にかかりますね、イワンマ鉱山王」


「ふん、協会の管理官だと聞いたが、どうやらとんだ女狐のようだな」


「そういうわけではありませんが、そもそも腹心があるのならわざわざこのような場所で針の筵になろうとはしないでしょう?」


 それを聞いたイワンマは意外にもその怒らせた肩を下ろす。


「確かに一理ある」


 発言権を奪われた不気味な男は、彼が座るのを待って話し始める。


「先ほどの発言の意図を聞きたいですなぁ。黒魔術師による連続殺人を調査は我々、『魔術師組合』の目下の急務ですから」

 

 彼はその皺の寄った口から、呪詛のような不協和音を奏でる。


「バーゼス、その黒魔術師というのは」


「ゼビエ氏の耳にも入っているかと思いますが、近頃、フィラリアの同盟都市で魔術師による殺人が確認されております。その手口から同一犯のものではないかと推測できますが」


「手口というのは?」


「こう、首から下腹部まで」


 バーゼスは自らの体の中心を指でなぞる。


「ズバッと。面白いのは、いえ失礼。不可解なのは死体から血が抜き取られているのです」


「剣で、それこそ冒険者の持つあの不可解な」


「『遺物』ですかね?いいえ、なぜなら『遺物』というのはある種の呪いのようなもの。血を吸うことはできても、魔力のように『目に見えぬ痕跡』は消したりは出来ぬのです」


「なるほど、では魔術師の仕業か」


「ええ、ええ。それも血を吸う、人間の血液を集めるのは黒魔術師ぐらいのものです。それでアーシヤさん。あなたはその犯人に心当たりがあると?」


「はい、率直に申し上げまして『彼女』は黒魔術師などではなく『祈り手』と呼ばれるものであるかと」


 その言葉を皆が理解する前にバーゼスが口を開く。


「『祈り手』だと?教令会の修道女にそんな真似ができるはずがない」


「バーゼス氏は高名な魔術師でいらっしゃいます。わたしがこの数週、街の外から来た魔術師と行動を共にしていたことを不審に思い、わたしがくだんの黒魔術師と通じているのではと疑いを持ったのではないでしょうか」


「高名かどうかは知らんが、おまえの連れていた魔術師は明らかに常人ではない。そして恐らくは王都からやってきた」


「宮廷魔術師か!」


 イワンマが再び立ち上がる。


「昔、王都にいたから知っている。奴らは人を殺めることをなんとも思わぬ。黒魔術師とやらかどうかは知らんが、そいつは疑わしいな」


「元宮廷魔術師ですが、彼女が殺人犯でない証拠は用意できますよ」


「というのは?」


「殺人が起こり始めた時期です。その黒魔術師による殺人を、その場所と日時をどれだけ把握していますか?」


 バーゼスは自らの記憶を呼び起こすように、斜め上にぎょろりと目線を動かす。


「最も古い記録は、昨年の10月。場所はペリモント。次がデボンで1月。イギュール、3月。そしてフィラリア近郊で3日前」


「気がつくことは?」

 

 試すようなアーシヤの問いに苛立つそぶりもなく答える。


「場所の移動。主要なフィラリアの周辺都市を経由して南下しておりますなぁ。

 そして時期。だんだんとその間隔が短くなっている。これは殺人を目的にするものに多い。我慢が効かなくなっている証でしょう」

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