第3話 闇討ちに最適な夜

 気づいたのは、インガとかいう女魔術師の生み出した使い魔、あの大きなムカデは恐らくいの一番に逃げ出した青年の後を追って移動したということだ。

 門外漢であるおれには、彼女がどのタイミングで魔術を用いたのか、そもそもあれがどのような系統の魔術であるのかは皆目見当もつかない。しかし、しばしば大雑把な魔術というのは魔術師本人の意思を反映して実行される。あの青年は魔術師の怒りを十分に買っていたはずだ。


「リベルタくーん」


 まだ無事でいるといいが。


「おーい」


 路面に残った黒ずみを頼りに、港に向けて緩やかな傾斜の坂道を下っていく。すると路地の暗がりで何かが蠢いた。


「そこか」


 方向転嫁する。異臭のする水路の上、とばし飛ばしにかけられた朽木の板から落ちないように走り抜ける。

 その先は頭上に廃屋が延びて、月明かりの届かない暗い闇の洞窟の様相をなしていた。

 水路に面した掘っ立ての小屋に投げ捨てられた、端材であろう砕けたレンガを掴み、前方の走る影に投げつける。

 レンガは、彼が踏み込むはずだった橋板を跳ねさせて、踏み損ねた逃亡者を濁った水の中へ突き落とした。

 彼が落ちたところにはちょうど薄光が差し込んでいて、その月明かりを頼りに青年はこちらを振り返った。ばしゃりと水をかく音がして、水面が揺れる。


「参った!悪かったよ。ちゃんと話を聞くから暴力は勘弁」


 奇術師のような派手な服に藻をこびりつかせながら立ち上がる。


「おいおい、女より根性が無いんじゃあなさけないぜ」


「こっちは楽に金稼げるからって冒険者になったんだ。あんたみたいなのとやり合うつもりはないさ」


「まあ、いいか。それよりもお前。ここに来るまでに襲われなかったか?」

 

 あのムカデは間違いなくこいつを追っていたはずだが、路地に入った途端にその痕跡が消えたのだ。


「いや、なんの話だ?」


 そういえばここは、随分と狭く。彼らの狩場としては最適に思える。

 おれは水中で黒い影が揺れているのを見逃さなかった。


「ムカデってのは水面を泳ぐんだぜ」


 足元から飛び上がった二つの頭にそれぞれ短剣を突き刺した。が、片方はその兜に刃が弾かれる。

 深手を負った方は逃げるように再び水中へと潜る。


「おい、リベルタ。さっさと這い上がらないとそいつらの餌食だぞ」

 

 青年の方へと目線を戻すと、すでに彼は忽然と姿を消している。


「インガちゃん!後は任せた」


 声の方へ見上げると、手を振りながら頭上の廃屋の影に消えるところだった。

 2人は共謀し、女魔術師が有利に事を運べるところまで誘導して来たのか。ならば初めから彼らは。あれも演技だったのか。


「ぎゃー!ちょっと待って!おれだっておれ。ざっけんなよクソアマ!」


 違うな。おそらくリベルタくんは早々に捕まり、命じられたのか、自分から提案したのか、追跡を逃れるためにこの策略をしかけたのだろう。しかし、2人まとめてあの女魔術師に一杯食わされたようだ。


「不快」


 闇夜から出た女魔術師は先ほどまで羽織っていた陰気なローブを脱ぎ捨てて、あられもない姿を月夜に晒した。


「なんだ露出狂か」


 もちろんそんなわけはなく。水路からあの傷を負ったムカデが、彼女の剥き出しの腹に目掛けて飛びかかる。すると、その体を真っ黒いインクに変えて彼女の青白い肌の上で刺青となった。

 もう一匹のムカデも彼女の方へと這いずっていき、托卵するように女の体を抱きしめる。

 そして彼女の肌の上では悍ましい名の知らぬ蟲たちが蠢いていた。


「きっしょ。お前、友達とかいねぇだろ」


 その魔術は明らかに東方のもの。気味の悪いものは大概東からもたらされたものだというのがおれの持論だ。しかし、そうなると得意の暴力で即解決とはいかない。

 ちなみに冒険者が『魔術師』全般に相対して行うのが、交渉、逃亡、命乞いである。

 なぜなら基本的に魔術に対抗するためには、こちらも魔術を使わないと難しい。案外、というか魔術師も自らの限られた魔力や、せこせこと準備した武器を消費することを嫌うため、比較的に交戦を避ける傾向がある。

 

「そうも言ってられねぇな」

 

 戦闘らしい戦闘をするのは何年かぶりで、最近は特に膝の筋がよく痛む。借りた金を返したあとは、街で『葉っぱ屋さん』でも開きたい。フィラリアへ居着いて10年近くになる。この街で第二の人生をスタートさせるのも悪くないなぁと、女魔術師が放つ蟲の無慈悲な凶刃を受けながらそんな妄想続ける。

 先ほどの話の続きだが、魔術に対処することは困難だが、魔術師を倒すということは実は不可能ではない。

 見たモノを死に至らしめる魔術があれば、おれなどはひとたまりもない。だが、触れたモノを屠る魔法ならば触れられなければどうと言うことはない。ここに魔術というものの欠点がある。

 かれらは正面からではおれに触れることすらできない。これはおれに限った話ではなく、ほぼすべての魔術師の運動能力は著しく低い。

 というのも魔力を行使する間、かれらは肉体へ多大な負荷を強いている。詠唱するとき、魔法陣に魔力を流し込むとき、使い魔を使役するとき、かれらは涼しい顔をしているが、その実、全速力で急勾配を駆け上がっているいるようなもの、らしいのだ。

 当然そのことを考慮して、かれらは動かなくともすむような魔術を使い、相手を圧倒する。

 彼女の場合、使い魔が刺青の状態ならば大して魔力を消費しないが、いざ形を変えて相手へと仕向ける間は高度な魔力操作を強いられ続けるはずである。


「さあ、どこまでもつか」


 オオムカデの顎を短剣でかち上げ、大鎌を持つヨロイムシの懐へ滑り込む。魔術師との戦闘で最も重要なのは根性、根気強さである。



 

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