雪の降り積る日
オオバ
仕事帰り
しんしんと雪が降り積もる。そんな日の事でした。
僕にはある癖がありました。雪が夜通し振り続けると、天気予報で予報士の方が、注意してくれる日には、誰よりも遅くまで職場に居残って、消灯、戸締りをした後に、フラリと適当な駅へ向かうのです。
最後まで残ると言っても、僕の職場は所謂ホワイトな企業の小さな会社で、社員同士の関係も良好です。故に小回りも効いていて、職場に居残ると言っても、社員同士の会話が主な残業扱いです。仮に何かしらの失敗で居残るとしても、社長や誰かしらが手伝ってくれます。
ですから、僕みたいな普段話さないキャラの人間は、居残る理由を作る方が大変なのです。何せキャラがキャラですから、お優しい皆さんと話すにしても、まずは話す話題を探す所から始めなければなりません。その上で、飲みに行こうだとか、そういうお誘いも断らなければなりません。
なら何故、僕がそこまでして居残るのか....それは拘りです。直感です。気まぐれです。
勿論、理由が一切無いわけではありません。雪が降り積もる日には思い出があるのです。でもそれはおまけ程度の理由です。人間と言うものは時に、なんの意味もない事をしたくなるのです。いつかの幼少時、誰しもがジャンプと言う行為に惹かれる様に、今の僕にはこれが必要な行為となっているのです。
今日は珍しく、仕事で大きなミスがありまして、何か理由や予定がある人以外はそれを手伝っていました。僕も例外ではありません。内心ラッキーだなんて罰当たりな事を考えながら、パソコンに向かっていると、作業が終わる頃には、時計の太い針が10の数字を捉えていました。
この職場においては、とても珍しい出来事なので、僕も皆も驚いていますと、ミスをした方が、涙ながらにごめんなさいと謝るものですから、余裕がある人達がその人を連れて、夜の街へと消えていきました。僕はどうやってそこから抜け出したかと言いますと、驚く事に社長の方から「何時ものやつだろ? 戸締りよろしくな」と、鍵を渡されて、自然とそういう事となりました。
社長はいつも周りを気にかけていて、信頼出来る方でしたが、今日この時を置いて、彼は僕にとっての理解者へと変わりました。彼にとっては、きっと何気ない事なのでしょうが、僕にとっては感動を覚えてしまうような出来事だったのです。
やっぱり、雪が降り積もる様な日には僕にとって重要な事が起きる日の様です。
皆の背中を見送った後、戸締りを済ませて職場を出ると、チラチラと雪が降っていて、それが頬に触ると、ひんやりとして心地が良いような、何処かへ連れてかれてしまいそうな気持ちになりました。
少し浸った後、家とは反対方向の道へと歩き始めました。未知の道....そんな寒いギャグが浮かんでしまうほど、この雪の日にご機嫌なのでした。
住宅街、繁華街、住宅街、と景色はどんどんと流れていきます。駅はもう4駅は過ぎ去って行きました。今日は中々直感が舞い降りてきません。
暫く寒い中を歩いていたので、手は感覚が薄れる程冷え切り、頭も頭痛を覚える程になってきましたので、頭に少し積もった雪をふるい落として、コンビニに入る事にしました。
子気味の良い入店音と共に、暖かい店内が僕を迎えてくれました。芯まで冷えきっていた体が解凍されていき、ブルブルと震えました。
まだ僕の夜は長い。暖かいコーヒーでも買おうと、店内を奥へと進みますと、また入店音が鳴りました。こんな寒い日には皆暖かさを求めるのでしょう。
沢山の飲み物が入ったショーケースへ見入っていると、ひとつの缶コーヒーが僕の目に、一際買ってほしいと言うアピールを引っさげて飛び込んできました。
「クリスマスプレゼントキャンペーン!! 1本買うともう一本当たるかも?!」そんなシールが缶の上部に付いていました。
12月も中旬、そういえばクリスマスも近いなと、自分には関係の無いことを頭の隅に置くと、店内音楽もクリスマス仕様だと言う事に気づきました。少し昔の名曲でした。直感でそれを買いたいと思ったので、ショーケースを開けて、その缶を掴むと、とても暖かくて、頭の中にぬくぬくと擬音が浮かんだのです。
お会計を済まそうと、レジへ向かいますと、気だるそうな中年の方が不機嫌そうに両足を組んで、漫画を読んでいました。
僕はコーヒーを1本だけ買うのが申し訳なくなりながらも、お願いします。と声をかけて、レジへ缶を差し出すと、態度は一変。
「今日も寒いですもんねー、雪まで降っちゃって」とニコニコ顔で、小話をいくつか挟みながらレジを気持ちよく済ませてくれました。きっと、漫画のシーンがシリアスだったりしたのでしょう。人は見かけによらないだなんて諺を思い出しました。
「あ、それ当たり付きですよ。スマホで今すぐに読み取ってみたらどうですか?」
そう促されて、もし当たったらそれはカイロ代わりにでもしたらいいと思ったのでQRコードを読み取ってみると、なんと当たってしまったのです。
「おお、おめでとうございます。お兄さんラッキーボーイですねぇ。お祝いにコレあげますよ。」
と店員さんに差し出されたのはチロルチョコのミルク味でした。どうやら、レジ横の商品だった様です。それにはお買い上げシールが貼られていました。
買ってもいないのに、貰うのは不味いのでは無いのかと問いますと、
「前のお客様が忘れてったんですよ。その人いつもチロルいっぱい買って行くんですが、今日は1つ落として行っちゃいまして....私が食べようとも思ったんですけど....勤務中に食べるのはどうかと思ってたんで、贈呈しちゃいます。」
と、案外生真面目な事を言いながら、店員さんは半ば強引にチョコを僕の手に握らすと、カウンターから出て、コーヒーを取ってきてくれました。
これも1つの縁かと、チロルチョコをポケットに放り込んだ所で、僕は閃きました。僕もコーヒー1本を置いていこうと。こんな寒い日に、暖かいものを渡されて困る人は居ないはずだと思ったので、その旨を伝えると
「粋ですねぇ。かしこまりました!」
といい返事を返してくれました。僕も何かいい事をした気分になり、ルンルンとした気持ちでコンビニを出ますと、凍てつく風が僕の体に直ぐに染みて、大振りの両手も直ぐに何時もの場所へと戻ってしまいました。
1つ息を吐けば、真っ白な息が目の前に広がって行きます。
ある意味風情とも言える何かを感じながら、ピーンと来る駅を探すべく、缶コーヒーを両手で握りしめながら、また歩み始めました。
それまでふわふわとしていた目的地は、すんなりと固まりました。次に通り掛かった、都会から少し外れた駅でピーンと来たのです。
フラフラと歩道橋を上がって、構内に入ると、もう人の嵐は過ぎ去った後らしく、ゴミやらなんやらが散らかっている事以外は、静観な場所になっていました。
電子掲示板をみると、時刻も遅く、次が終電の様でした。
急いで、切符を買って、ホームへと降りました。1番高い切符を買ったので、どこで降りても問題は無いはずです。
胸高らかに、電車を待って居ますと、数分で来ました。
中はガラガラで人っ子一人居ませんでした。僕は真ん中らへんの車両に乗りました。横一列の席だったので、おおちゃくに、これまた真ん中にドーンと座りました。
ぷるると、列車の発車を知らす音が響き、これからの短い旅を想像して心を躍らせていると、この車両に滑り込みをしてきた方がいました。それは僕が知っている顔でした。
ドタドタと彼女が入ってきて、地べたへと座り込むと、間もなくして、列車の扉は閉まり、走り出しました。
少し驚きながらも、奇跡的な偶然だろうと、僕が流れゆく外を眺め始めると、僕の向かいへと座った彼女が話しかけできたのです。
「こんばんは、先輩。今日も一緒に仕事してたし、なんかこの挨拶だと変ですね。」
もう仕事モードがオフになっていた僕は、頭に言葉が浮かんでこなかったので、とりあえずで彼女の方へと振り返ると、彼女の手には僕と同じコーヒーが握られていました。
もしかして、つけられていたのかと、自意識過剰になりつつも、なんとか正気を保っていると、こちらの返事を待たずに、話し始めたのです。
「私気になったんです。先輩が毎年この時期になると、最後まで残る日が唐突にあるじゃないですか? 一体何しとんのかなぁって思ってたの。」
まな板の上の鯉とはこの事だろう。何もやましい事は無いはずなのに、僕はサスペンスの終わりに推理を聞かされる犯人の様にフリーズしている。
「だからつけちゃいました。私、自分も変わった人だと思ってるんですけど、先輩も案外変わった人だったんですね。雪の日に宛も無くフラフラと。私はもっと都市伝説的な何かを期待してたんですけど。」
悪びれが一切感じられないストーキング発言。状況が飲み込めずに、まだ彼女を見つめていると、彼女はニッコリと微笑んだ。
「先輩って面白いですね。百面相みたい....あ、このコーヒーご馳走様でーす。私は流れ乗って、野菜ジュースを置いてきましたよ。わらしべ長者キャンペーンみたいな? あ、ちょっと違いますかね。」
もう会社に勤めて5年。雪が降り積もる度に、ずーっと1人で乗ってきた雪の日の電車。理解は飲み込めずとも、気分が変わる様な事が起きている事は分かるのです。
「類は友を呼ぶですか....僕は静かに乗りたいんです。目的は終わったんでしょう? 次で降りたらどうです?」
彼女の後ろの景色を見つめながら、そう言い放ってやりました。
いつかの日も、こうやってガラガラの電車に2人....人も違えど年齢も違えど、僕にとっては凶兆なのです。
僕の言葉を聞いた彼女は、「ふーん」と呟くと、僕の隣へと席を変えてきました。そうして景色を眺め始めたのです。
「なんですか?」
その問いに、彼女は人差し指を口に当てて制止してきました。静かにしていると言うアピールなのでしょうか?
仕方なく、僕も外を眺めるのを再開すると、段々と雪の降る勢いが強くなっていくのが、目に見えて分かりました。
暫く眺めていると、なんと電車が止まってしまいました。
電車運営としても予想外の出来事だった様で、アナウンスが流れ始めました。
内容としては「雪が収まってきたら線路を辿って、次の駅まで歩くらしい。もし収まらなければここで立ち往生」との事でした。このルーティンを5年続けても1度も遭遇しなかった出来事に、少々動揺しながら、隣に目をやると、そんなアナウンスなど聞こえていない。と言わんばかりに目を輝かせて外を見つめる子供の様な大人が居たのです。
「ねぇ」と話しかけても、また「シー」とやるばかりなので、僕も根が折れまして、話していいと言いますと、開口一番に
「いいですね! 普段見れない景色....! 私、気に入っちゃいました! これは先輩がフラフラと時間を潰してたのも分からないでもないかもなぁ....ほら! あの明かりなんか綺麗ですよ!」
別にそれだけが目的では無い....と言えば話が続いてしまうので、嫌々と、先程のアナウンスの内容を伝えると、彼女は奇妙にもクスクスと笑い始めたのでした。
「ふふふ....あ、ごめんなさい。私、社会人になってから変わらない日常がつまらなくて....こういう非日常的な事に遭遇すると楽しくなっちゃって....」
そう彼女は照れながら語ってくれました。
そして僕は彼女とは「合わない」と確信しました。なぜなら僕にとって日常が1番大事な事だからです。自分から日常を壊そうとするだなんて、理解ができません。
「そう。」
「はい!」
再度、電車の外へと目を向けると、そこには冷めきった僕の顔と、彼女の子供の様な無邪気な顔が対象的に写っていた。
僕の思い出とは正反対な状況。あの日、僕がするべきだった顔が、今ここにある。
何だか悲しくなってしまって、顔が暗くなっていくのが自分でも分かったので、乗り出していた体を戻すと、自分のズボンを見つめる体制へと変えたのです。
やっぱり、この状況は凶兆でした。電車が止まってしまったのもこのせいだ。
卑屈な感情を握りこぶしに込めていると、横から缶コーヒーを開ける音がしました。
目をやると、彼女が缶コーヒーを....形容するなら正にがぶ飲み、喉を鳴らしながら飲んでいました。
見ていたのがバレた様で、彼女はニヤリ、と視線を返してきました。
「先輩もコーヒー飲んだらどうです? 良い冷め方してますよこいつぁ」
酔っ払ってでもいるのかと言うテンションでニシシと笑う彼女に乗せられるのは少々尺だったのですが、気づけば何かを口にしたい気分だったので、飲むことにしました。
「随分と美味しそうに飲んでたから、飲む訳じゃありませんからね。」
「えー、なんすかそのツン....それに私コーヒー苦手だしブラック嫌いなんで、正直不味かった。」
職場でも度々思っていましたが、この人は本当に天邪鬼だと思いながら、コーヒーを飲むと、何故かいつもよりコーヒーが美味しく感じられました。
冴えた頭で、雪に覆われゆく綺麗な外を眺めていますと、偶に彼女が話しかけてくる様になったので、適当に相槌を打っていると、時間が結構経ったようで
「先輩? お腹すきません? 帰れたらサラダチキンでも買いません? 太んない! 多分!」
だなんて喚き始めましたので、ポケットに入っていたチロルチョコを差し出してやりました。
「え?! いいんですか?! またまたゴチでーす」
僕の手からチロルチョコが掠め取られました。程なくして、包装を解く音が聞こえてきました。随分と苦戦している様でしたので、何事かと思えば、車内の気温が下がっている事に気づきました。手が悴んで開けにくいようです。
「先輩。糞さぶくないですか?」
「下手な敬語はいりません。」
「先輩。どちゃくそ寒ない? マフラーも手袋もしてないのに平気?」
僕の出身は、元々寒い方でしたので、寒さは慣れっこでした。昔は良く、1番大事な友達と寒さなんか忘れて外で遊んだものです。
「僕は慣れっこですので」
「ふーん....あ!」
自分から聞いておいて、適当に返事をしたかと思うと、とうとう封が開いた様で、彼女が歓喜の声を上げていました。
「ねぇ先輩。チロルチョコ真っ二つにするにはどうしたらいいと思う?」
「無理だと思います。」
「そっかー」
その会話を最後に、彼女は食べ始めたのかと思うと、僕の目の前に半分になったチロルチョコを差し出したのです。
「ん」
「....人が口つけたチョコとか正気ですか?」
「正気だよ! 先輩私の扱い酷くない?!」
しっしっとチロルチョコを追い払ってやりますと、渋々彼女はチョコを口に放り込みました。
「このお返しはホワイトデーにでもしたげるね」
「お気づかいなく」
そんな話をしていると、またアナウンスがなりました。
僕の知らない内に雪が収まってきていた様で、近い駅まで歩くとの事です。
「あーあ、幻想的な時間も終わりかー」
車掌さんの指示に従いながら、線路へと降り様とすると、もう雪が積もっていて、線路は見えませんでした。
「先輩先輩! まだまだメルヘンですよコレ! 音鳴る! 足跡付く!」
辺りを見渡してみると、お客さんはどうやら僕ら2人しか居なかった様子で、運転士さんと車掌さん、僕と彼女、の4人で駅へと向かう事となった。
道中、車掌さん達が「すいませんね〜」としきりに謝ってきましたので「気にしないでください」と返していると、彼女が「ならなんか奢ってくださいよ」とかぬかしやがりましたので、叱ると、車掌さん達に笑われてしまいました。
案外駅は近かった様で、10分も歩けば着いてしまいました。
僕達が構内に入ると、これまた不幸中の幸いで、雪の勢いが強まったのです。
車掌さん達は「タクシー代出しますよ」と言ってくれたが、それを丁重にお断りして、改札を出ました。
すると、遅れて後ろから彼女が走ってきました。どうやらタクシー代をもらった様です。
「先輩待ってー! 約束ー!」
人間、約束と言われれば覚えがなくとも立ち止まってしまう物で、彼女に追いつかれてしまったのです。
「全く! このタクシー代でサラダチキン買う!」
「....色々置いといたとしても、了承した覚えがない。」
「無言は了承だと教わりまして!」
まるで鬼の首を取った様に、彼女はドヤ顔をしてきました。
内心腹が立ちつつも、何故か付き合ってもいいんじゃないかと思い始めていた自分に驚愕を覚えずには居られませんでした。
「そ! れ! に! 先輩! いつの間にか敬語とれてるし! もうこれ友達だよね? フランクに行こう! フランクに!」
高い声できゃーきゃーと喋る彼女に、いつかの友達が重ねて見えたのでした。あの日から、心を閉ざしてきた毎日。今1度人と関わりを持ってみてもいいのでは無いだろうか? と不覚にも思わされてしまったのです。
「....サラダチキンってコンビニ?」
「私としては7の付くコンビニのーー」
やっぱり、雪の降り積もる日には僕にとって重要な事が起きる日のようです。
また、1つ。雪の降り積もる日に思い出が増えたのでした。
雪の降り積る日 オオバ @shirikachan
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