第26話 里香の終着点【里香視点】

 里香は三人の三年生女子に囲まれて、半ば引きずられるようにして別棟へと連れていかれた。

 そこは視聴覚室だの理科室だの音楽室だのの特別教室が並ぶ棟だ。

 その中のひとつ、生徒会室へとむりやり連れ込まれた。


「……なんですか」


 聞くと、三年生の中の一人が口を開いた。

 すらりとした黒髪ロングストレートの、女子にしては長身な美人。

 見覚えがある、生徒会副会長だ。


苅澤かりさわさん、私聞いたんだけど。あなた、私の恋人の友達にひどいことをしたってね?」


 ハスキーな声で聞いてくる。

 恋人の友達?

 どいつのことだ、それは?

 ひどいことといっても、思い当たることが多すぎてわからない。


「誰のことですか?」

「言わない。あなたに仕返しされると悪いから」


 ちっ、めんどくせえ。


「で、なんだっていうんですか?」

「ちょっと見てほしい動画があるの」


 副会長は自分のyphoneを取り出すと、画面をタップする。

 すると、そこに映し出されたのは……サッカー部の寮?

 まちがいない、寮の一室。

 カメラはどこかに置いてあるのか、壁と二段ベッドを映しているだけだ。

 だが、声だけははっきり聞こえる。


『おいてめえ、金持ってきたんか?』


 それは間違いなく、里香自身の声だった。

 編集されているようで、相手の声は聞こえない。


『あのさあ、ただでハッパ楽しめるわけねーだろ?』


『三万だよ三万。払えないならどうすんの?』


『ちっ。じゃあ客紹介してやるからさ。身体売れ』


NSノースキンで一人二万で客引っ張ってくるからよ。お前が相手して紹介料は半分私がもらうから。三人客とれば払えるだろ?』


『怖い先輩ついてるから。逃げられると思うなよ』


 くそ、どこでこの動画撮られたんだ?

 心当たりがありすぎる。


「苅澤さん。これ、どういうことか、わかるよね?」


 サッカー部と武士郎の件では無関係をよそおって逃げきれたと思ったのに。

 こんな証拠をつかまれてるとは。


「私のところに相談にきた生徒がいてね。ほかにもいろいろ情報が入っているよ?」

「……脅しかよ? きっしょ。どうしたいん? てめえ」


 もう上級生とか関係ない。

 里香は副会長に凄んでみせる。


「あのよお、副会長さんよお。私が言えばおめえだって先輩たちに輪姦まわさせることだってできんだぞ? あんまりなめてっと……」

「苅澤さん。私は脅しに来たわけでもあなたに何かお願いがあるわけでもないの。これは通告」


「通告?」

「そう。あなたみたいな人は私たちの学校にいてもらっては困る。だから、この動画はすでに先生に渡してあります」


「はあ?」

「今日、放課後に先生に呼び出されてるでしょう? もうほぼほぼ退学処分が決まっているんだ。残念だね、苅澤さん」


「てっめ……!」

「そうそう、あとひとつ。君がハッパを手に入れてた売人バイニンの先輩いるでしょ? 君が彼からハッパを買っていたという証拠も私は持っている。未成年の高校生にハッパ流していたとなると罪が重くなるからねえ。すでに私から話をつけて彼は手を引くことになっているから。私を輪姦まわす? 誰が私を輪姦するの? そんなツテ、あなたにもはもうないよ?」


 なんだこれは。

 なんなんだこれは。

 逃げきれたと思ったのに。


「管理売春。強姦。違法薬物。あなた、十七歳だっけ、でもちょっと罪が重いから少年院じゃすまないかもね。あなたの人生終わりだ」

「……どうすりゃいいんだよ」

「二度とこの学校の生徒にかかわらなきゃそれでいい」


 くそ、少年院じゃすまない?

 初犯だから少年院送致のはずだ、いや待て、少年院ならいいのかよ、高校くらいは卒業したいんだけど。

 くそ。


「……わかったよ。もう私は手を引く。悪かったよ、あんたの友達にもな。これでいいんだろ?」

「そうだね、それでいいよ」


 まあいい、あと二年間くらいは大人しく普通の女子高生やってやるさ。

 生徒会室を出ると、里香はインナーカラーでピンクに染めた髪の毛をなびかせながらさっそうと歩く。

 しばらく大人しくしてたら噂も落ち着くだろうし、正直地頭はそこそこいいから勉強すればそこそこの大学へ行けるかもだし、これからの人生なにも心配ない。

 うん、うまくいくはずだ。

 里香のせいで人生を壊された人たちのことは忘れて、これからはまっとうに生きていこうと思った。

 大丈夫だ、私は大丈夫……。


 だが。


 教室のある棟へ向かうために廊下を歩いている最中、里香の意識がふわっ遠くなった。足に力が入らず、膝から崩れ落ちた。

 貧血で倒れたような感じ。

 ここしばらくの異常なストレスのせいだろうか、と思いつつ、里香は意識を失った。


     ★


 白衣を着た男性医師が言った。

「妊娠6週目ですね。まだ17歳の高校生? どうするかは親御さんとよく話し合ってください」


     ★


 里香の母親は瞳孔が開いたおかしげな目つきで里香を見ていた。

 十数年前に悪徳霊媒師のグループに入ってからはいつもこの目つきをしていた。

 父親はいない。

 この母親が売っている、どんな病気にも効くという神様が認めた不思議なニンジンの売り上げで里香は育ってきたのだ。

 もちろん薬機法違反の薬効のないニンジンである。これを信じたせいで何人の患者が犠牲になったのか、里香は考えたくもない。


「堕ろすなんて神様が許しませんからね。絶対に産みなさい。お母さんと一緒に赤ちゃんを育てましょう」


     ★


 都会の繁華街、深夜。

 里香は一人、路上に立っていた。

 正確には一人ではない、この道路には里香と同じような女性が等間隔で並んでいてみなうつむいてスマホを眺めている。

 結局里香は実家を飛び出しでこの街に来た。

 この年で子供を産むなんて冗談じゃない。

 そもそもガキなんて嫌いだし、育てるなんて絶対にいやだ。

 100%虐待する自信があった。

 しかし、少女が一人で生きていくためには、その方法は限られていた。

 年齢が若すぎるし親の了解も得られないし、そもそも身分証明書も健康保険もないから、働く場所なんてなかった。

 風俗店ですら全部断られた。


 だから、こうして路上に立って売春をするしかない。

 こどもは客に紹介してもらったあやしげな医者のところで堕ろした。

 その料金は借金だ。

 それを返すために、今日もこうやって立ちんぼをしている。

 今日はすでに二本処理している。

 終電までにあと一本くらいなんとかしたい。

 っていうか最近あそこがかゆい、おそらく性病にかかっている、治療費も稼がなければ。


「ねえお姉さん、いくら?」


 里香の大嫌いな見た目――明らかに還暦を過ぎていて、太っていてハゲていて背が小さくて笑顔が気持ち悪いじいさん――が声をかけてきた。

 余裕があるときならこんな男は無視だ。

 だけど今は金がほしい。

 里香はぶっきらぼうに、


「二万。生なら三万」


 と答えた。


     ★


 乱暴で汚らしい行為をさせられたあと、里香はホテルの浴室で身体を洗い流しながらふと鏡を見た。

 ストレスのせいで食べ過ぎている上に飲んでいるピルのせいで十代とは思えないほど崩れた体型、疲れ切った顔はまるで四十代のおばさんだ。

 こんな顔ではそりゃ二万五千円に値切られるよな、と思った。

 デブだしな。

 そういやいつもの客に痩せられる薬を買わないかと言われていた。

 1グラムで数万円するらしいけど、ほんとに痩せられるならやってみようか?

 それがどんな薬かなんて里香はよく知っている。


 でも、薬でもやらなければこんな生活続けてられないじゃん?


 ――私の人生はこれからどうなるんだろう? まだ十七歳なのに?


 自分の醜い顔と身体を眺めながら、里香はすべてをあきらめた。

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