第18話 お兄ちゃんに見せてやりたい!

 ゴールデンウィークが明けた。

 学校の廊下を歩く笠原舞亜瑠まあるの足取りは軽かった。

 たった今(元)義兄の武士郎に弁当を渡し、少し話してから教室にもどるところだった。


 ――今日のお弁当、おいしくできていたかな?


 味の感想を聞くのが不安でもあり楽しみでもあった。

 今日は卵焼きにホウレンソウとチーズを混ぜ込んでみたのだ。

 おいしいと言ってくれるといいんだけど。

 でも、おに……山本先輩は優しいから、きっとどんな味でもおいしいと言ってくれるだろうな。

 廊下を歩いている自分の身体がふわふわしている気がする。

 なんだか最近、いろいろ楽しい。

 本来であれば両親が離婚してしまって母親の実家に引っ越したばかり、しかも祖母が厳しくてyphoneは取り上げられるし、趣味だったネット配信も禁止される、というとてもストレスフルな状態のはずだったのに、むしろ毎日が楽しくて仕方がない。


 憧れだった人。

 一生自分のものにはならないと思っていた初恋の人。

 絶対に手に入らない、好きだしずっと近しい距離にはいられるのに、だからこそ永久に苦しまなければならないんだ、と思っていた恋。

 きっとほかの人のものになってしまうところを一番近いところで見なければならないんだ、と思っていた。

 そのときどんなにつらい思いをするんだろう、と思っていた。

 それが、両親の離婚により自分にも可能性が出てきたのだ。

 兄じゃなくなったのなら。

 私が妹じゃなくなったのなら。

 妹じゃなくて……。


「うふふ」


 自然に笑みがこぼれる。

 お兄ちゃん、はVの配信のときに呼べるし。

 あとは山本先輩。

 あとは……もしかしたら、武士郎さん、とか!?

 お兄ちゃんの友達みたいにタケ、って呼ぶとか!?!?


「うぎゃーーーっ」


 にやにやにやにやしながら廊下を歩いてしまう舞亜瑠まある

 すれ違うほかの生徒がその表情を見てちょっとびっくりしているのにも気づかない。

 と、そこに。

 一人の生徒が声をかけてきた。

 舞亜瑠まあると同じ赤いリボンの女子生徒。


「あのー、笠原……さん?」


 よく知らないけど、同じクラスの小島こじま美幸みゆきだ。


「ん、うん? どうしたの?」


 クラスメートとはいえ、あまり話したことない人に突然話しかけられて驚いた。

 なにかの用事かな?


「あのね、笠原さん、えっとさ、ちょっとお願いがあるんだけど?」

「うん、なに?」


 学校の行事とかかな? 


「あのね、私のお姉ちゃんが今美容師やってるんだけどさ」


 美容師? 突然なんの話だろう? 

 不思議に思ったが、舞亜瑠まあるは今機嫌がよいので笑顔で答える。


「美容師さんか、かっこいいね! 素敵じゃん!」

「うん、でもお姉ちゃん、まだ新米だから、いろいろ練習中なの。で、カットモデルを探してるんだけど……」


 この場合のカットモデルってのは、美容師が練習のためにヘアーカットするモデルのことで、たいていは無料とか格安でカットしてくれるのだ。若手の練習とかだと一流美容師とは違うから、それなりの仕上がりになる可能性もあるけれど、無料ってのはでかい。


「あの、舞亜瑠まあるちゃん、怒らないで聞いてね、今お姉ちゃん、ストレートパーマの練習したいんだって。で、そういうのにむいている子、同級生とかにいたら紹介してほしいって言われたんだけど……」

「あ、なるほど……」


 そう、舞亜瑠まあるの髪質はふわふわの軽い天然パーマ。

 今日はふわふわのツインテールにしているけど、そういえばストレートパーマとかあてたことないなあと思った。高いし。


「ストレートパーマあてさせてもらえるカットモデルって、興味、ない?」


 小島美幸は舞亜瑠まあるの表情をうかがうような、ちょっと怯えた表情で聞いてくる。

 しかし舞亜瑠まあるは今浮かれていて、会話相手のそんな細かい表情の変化には気づかない。

 一瞬考えて、舞亜瑠まあるは答えた。


「ある! やってみたい! カットモデルって、お金はどうなるの?」


 その答えを聞いてなぜかさらに顔をこわばらせて美幸は言う。


「えーと、お金は無料なんだって。全部無料」

「やったー! 小島さん、いい話ありがとー! ストパーって一回一万円とか二万円とかかかるでしょ? いつ? いつならいいの?」


「きょ、今日でもいいんだけど……。今日、一緒にお姉ちゃんのお店行く? 放課後なにか用事あったりしない?」


 聞かれて、舞亜瑠まあるは、うーんお兄ちゃんとの配信はしたいけど無料のストレートパーマは超お得! やってみたい! っていうかサラサラの髪になった自分をお兄ちゃんに見せてやりたい! と思った。


「うん、今日は暇、暇だよ! じゃあ、一緒にお店連れて行ってよ! どこにあるの、お店?」


 美幸はひきつった表情で、


「あ、あの、寺尾町のゴマラーメンのお店の近く……」

「知ってる! 前家族でゴマラーメン食べに行ったよ! うん、じゃあ放課後に一緒にね!」


 やったぜ、と舞亜瑠まあるは思った。

 正直、この自分の髪質は好きではあるんだけど、ちょっとコンプレックスでもあった。

 友人の小南江さなえのサラサラヘアーとか、いつもうらやましく思っていたのだ。

 舞亜瑠まあるは高校生になったばかり、中学生のうちは母親がそこまで美容室のお金だしてくれなかったけど、無料ってのなら文句はないはず。もう中学生じゃないし、高校生だし。

 一度やってみたかったのだ、ストレートパーマ。

 舞亜瑠まあるは浮き浮きな気分で教室に入っていく。

 今は自分のyphoneを持っていないので、小南江さなえからお兄ちゃんに今日の配信は中止、とRINEしてもらおう。

 あしたお弁当渡すとき、ストレートヘアの私を見たらお兄ちゃん、いやいや山本先輩、……武士郎さん……ぐふふ、私のこと褒めてくれるかなあ?

 もうほんと、今毎日が楽しいよ!



 浮かれていたので、舞亜瑠まあるが教室に入った後、美幸が隣で聞いていた上級生の先輩に、


「うまくやったな」


 と褒められて泣きそうな顔をしていたのにはもちろん気づかなかった。

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