第5話 兄は怖い

 どうしてこうなった。

 俺はあの後、ゆっくり校舎を散歩でもしようと考えていた。

 それなのに。


「クルードォォォォォッ!」


 今、俺は最も会いたくない人間と対峙していた。

 遠くの方からズンズン歩いてくる実の兄、エレガス。

 普段は温厚かつ優し気な表情が、今は鬼のように歪んでいる。

 その姿、まさに怒髪天を衝く勢いであった。


「よ、よぉ。兄貴…………」

「お・ま・え・はァッ! 何をのんきにうろついてんだっ!」

「まぁまぁ一回落ち着こう、な?」


 エレガスが怒っている理由は分かっている。

 分かったうえで、一旦落ち着いて欲しいのだ。

 だから俺は努めてフランクに振る舞った。


「…………そうか」


 その態度が、兄の神経を逆なでるとは知らずに。


「やはり一度――――痛い目を見ないと分からないらしいな」

「うえっ!?」


 エレガスは高らかに声を上げると、腰に帯びていた剣を抜き取った。

 この学校では、非常事態を除いて真剣を所持することは禁止されている。

 故にエレガスが握っているソレは、何の変哲もないただの木剣。

 それでも。


「剣を抜け、クルード」


 身体から立ち上る覇気は、真剣を持った戦士そのものであった。

 額を汗が流れ、緊張感が全身を包み込む。

 どのように言い訳したものかと、心の中で考えていたその時。


「まぁまぁまぁ! お兄様、落ち着いてくださいな!」


 間に割って入ったのは、今まで後ろから状況を眺めていたホーネス。

 ホーネスは二人の喧嘩を諫めるように、いたって軽い口調で言葉を吐いた。


「今回の件は全面的にクルード様に非があります!」

「おい」

「ですがお兄様も、、ご存知でしょう?」


 俺の言葉を完全に無視し、ホーネスはエレガスに語りかける。

 その言葉、そこに含まれた意味を悟りエレガスは顔を歪ませた。

 怒りから戸惑い、そして少しの悲嘆を滲ませる表情。

 そして。


「はー……………………」


 エレガスは深いため息を吐きながら、木剣を鞘に納める。

 剣吞な雰囲気もなりを潜め、緊張感もどこかへ消えていった。


「ほんと……、ホーネス君に感謝するんだな」

「あぁ、ありがとうな」

「いえいえ、クルード様のためならば」


 ホーネスは何も気にしていないという様子で微かに頭を下げた。

 その姿に、そして先程の言葉に感謝の念が湧き上がる。

 これでようやくひと段落、安心して学校生活を送れるだろう。

 そんな風に安心していた俺の心を裏切るように、エレガスは優しく微笑んだ。


「じゃあ、お前らは急いで1年生教室に急げよ」

「……………………ん?」


 なんだそれは。

 全く意味の分からない発言に、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。


「あー……。やっぱりクルード様、覚えてなかったんですね」

「何が?」

「1年生の時…………」


 ホーネスの言葉に、自分の記憶を必死に漁る。

 何か忘れているような、あと少しで思い出せるような気がするのだが。

 首を傾げながら唸る自分に対し、エレガスは呆れた様子で口を開く。


「3年生は半年間、新入生の補佐をする決まりだろうが……」

「あぁ!? そういえばっ!」

「興味ないことに対しては、本当に覚える気無いですもんね……」


 エレガスとホーネスは共に呆れた表情を浮かべる。

 仕方ないだろう。

 自分の時は、色々あって補佐をする人間が担当を外されたのだから。


「まぁそういう訳で頼んだぞ」

「……わかった」


 その言葉に渋々頷くと、エレガスは優しく微笑んだ。

 そして。


「そうだ、お前の担当する生徒だがな――――」



 エレガスの口から告げられた内容に、思わず天を仰ぐのだった。



 ☨  ☨  ☨



「――――と、いうわけだ」

「最悪です」


 場所は変わり、先程まで三人が言い争いを繰り広げていた、聖キャバリス学院中央広場。

 生徒たちの憩いの場、そして鍛錬を行う場所の一角にて。

 二人は顔を歪めながら対峙していた。


「俺だって最悪だ! なんでこんなクソ生意気な奴を担当するハメに……」

「私の方が最悪な気持ちです。よりにもよって、本当にあなたが本物のクルード様なんて……」


 二人の間で、ため息と罵倒が飛び交う。

 どうしてよりにもよってコイツなのか。

 まるで運命の悪戯としか思えない現状に、俺は思わず天を仰ぐ。

 思い返すは、新入生と担当する生徒を引き合わせる、エレガスの言葉。


『お、なんだ。お前ら知り合いなのか。なら話は早いな。同じサボり同士、仲良くやれよ~』


 ふざけるな。

 何が楽しくやれだ。

 もう二度と顔を見せるなと言ったばかりだったのに、こんな恥ずかしいことは無い。

 そんなことを想いながらふと視線を目の前のこいつに向ければ、同じように天を仰ぐ少女の姿。

 嗚呼、コイツも同じことを思ってるな。


「まぁなっちまったもんは仕方ねえ。お前、名前は?」

「…………イリスです」

「はんっ、生意気なお前に似つかわしくない響きだな」

「はい? 変態騎将に言われたくないんですけど」

「不名誉な名前つけんな! ったく、可愛くねえ」


 ああ言えばこう言う。

 どんなに足掻こうとも口から相手を馬鹿にする言葉が漏れてしまう。

 本当に、どうしてこうなってしまったんだ。


「クソ、兄貴が怒ってなければ………」

「もう、先生が怒ってなかったら………」


 ポツリと、愚痴るように小さく呟いた言葉。

 それが何故か、同じ内容をイリスも口に出した。

 ということは、まさか。


「お前……、兄貴に𠮟られたろ?」

「えっ! エレガス先生って、へんた――――先輩のお兄様なんですか!?」

「困ったことにな」


 あまりの驚きに大きく口を開けるイリス。

 その様子に、今度はこちらが驚いた。

 七雄騎将に憧れていると思っていたから、てっきり知っていると思っていたのに。


「なんだお前、知らないのか? 俺に憧れてるなら、あの人のことも知ってると思っていたが」

「憧れを捨てようか迷っている所ですが、一体何の話ですか?」


 おいおい、マジかコイツ。

 俺は呆れた表情を浮かべながら、目の前の無知な小娘に教えてやった。



「兄貴は七雄騎将で、序列三位だった人だ」

「………………………………えぇぇぇぇ!?」



 その瞬間。

 広大な広場全体に、悲鳴とも取れるような甲高い声が響き渡った。

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