第7話 堕ちかけ天使

奇妙な青年が落ちている。私の人生では出会ったことのない珍装。どんな服装かというと、まず大きな羽が広がった状態になっている。そして、服はオリエンタルな雰囲気のずるずるしたものだ。髪の毛は透き通った金髪で、全体的に煌めいている。

 私はとても放置したかった。しかし、帰宅中であり家の玄関の前に倒れているのをどうしろと言うのだ。踏みつけるにも倒していくわけにもいかない。

「あの……」恐る恐る声をかけると青年は小さくうめいた。すこし、触れる。暖かいが、何があったのだろうか、外傷は見えない。私が携帯を取り出して救急車を呼ぼうとすると、私の声に小さく青年が動いた。

「……人、呼ばないで」

 私は一度電話を切ると、青年に近く。「呼ばないで?」青年はゆっくりと起き出す。

「ごめんなさい、大丈夫なんです」

「大丈夫ってことないでしょう」

「貴方が特別見えるだけのようで、僕は天使なので誰にも見えないんですよ」

「……」

「疑う気持ちもわかりますし、証明することも今はできないんですが……。 よろしければ、一枚羽を差し上げます。 あまり恩恵が得れるかはわかりませんが、記念程度にどうぞ」

 青年は羽を一枚取って、私に手渡してくる。私は怪訝な気持ちを隠せないままに触れる。鳩のような羽で、少しコシがある。

「なんで、倒れていたんですか?」

「……ここで説明するのはいいんですけど、僕他人には見えないのでーーーー良ければ自宅に上がっても?」気まずそうに言う青年。私は後ろを見る。今は一人だったが、アパートに住んでいることを考えるとなんだか外にいるのはまずいような気がした。

「どうぞ……」私はなんだか不信感を拭いきれないままその青年を部屋を通すことにした。青年は申し訳なさそうに私の部屋に入り込む。私は普段人を通した時をなぞるように青年にお茶を出す。私の家はカーペットを敷いており、その上に小さいテーブルを置いているようなこじんまりとした1DKだ。羽を持っている珍妙な青年が浮いて仕方ない。青年は一言私に礼を言い、そのお茶を飲む。

「見慣れないと思うんですが、しまいようもないのでお許しください」

「いえ……なんというか、本当にそうなのか疑問に思いますけど、大丈夫です」

「良ければ触ってみますか?」

「そんな触っていいようなものなんですか?」

「大丈夫ですよ。あんまり引っ張られると痛いくらいです。

とは言っても、僕に取ってはもはや無用の長物というか、もういらないんですけどね」

「じゃあ、失礼します」

 ゆっくりとその羽に触れる。少し暖かいその羽に偽物ではなく本物であるのを感じた。けれどやっぱり信じられない私はその羽をそのまま少し引っ張る。すると青年は小さくうめいた。

「痛かったですか?」「少しだけですから平気ですよ」なんだか申し訳なくなった私はその部分を撫でた。

「これで少し信じていただけましたか?」

「なんだか、まだ信じがたいですけど」

「まあ、貴方が『見える人』なだけで大体の人には見えませんから」そう言うと彼は遠くの方を見るように見上げた。

「倒れていた理由なんですけど、僕は天使としてダメなやつでして」

「そうなんですか?」

「別になんか、誰かを貶めたりとかしているわけではないんですけど、神様と反りが合わないと言いますか……。お恥ずかしい話、天使の中の変わり者なんですよ」

「なるほど、喧嘩でもしたってことですか?」

「そんな感じです。僕は神様の言いつけを守れない者として追放というか、追われる身で。

 いっそ追放してくれたら僕も楽というか、そうですね。楽なんですけど」

「よくわからないですけど大変ですね」

 青年はお茶を飲んで、私を見る。するとフワリと微笑んだ。

「ええ、ですから。こんな風にお茶を振る舞っていただけるなんてとても貴重で、幸せです」

 小さな部屋に大きな羽を持つ天使。お茶は入れたてで、暖かな日本茶。夢をみているような心地で、でも暖かさを覚えている。

「そうですか……布団が。一つありますから、しばらくいますか?」

「……⁉︎ いいんですか?」

 青年は抜けたような声で私に言う。面倒事なんて嫌なはずなのに、気づいたら続けて肯定していた。どこか自身ではないようなものを私は感じている。

「貴方のお名前はなんて言うんですか?」

「ごめんなさい、名前は言うことはできないので、貴女の好きに読んでもらってもいいですか?」「好きに……」私は反復するように言うと、少し黙った。

「例えば、私が天使って呼ぶって言ったらそれでいいって事?」

「僕と貴方の間でわかればそれでいいんですよ」再び私は黙る。なんでもいいと言われても失礼なこともしたくないからだ。

「ーーじゃあ、天。天使のテン」

 青年は目を見開くと、優しげな顔になる。

「なんだか誇らしいな。懐かしさもあります。

 これからよろしくお願いしますね、秋穂さん」

「……なんで名前!」

「それくらいは、わかりますよ。腐っても天使ですから」

「……よろしく、天」

「はい。よろしくお願いします」


* 


 天と私の生活で私が何か変化したことはほとんどない。日中私は外にいないし、私の部屋からあまり天は出ない。もしかしたら日中出ているのかも知れないが、私にはわからない。帰るといる。天使の天はご飯は娯楽でしかなくて、食べる必要がないため食費が増えたりすることもない。基本的に何かが変化したということはほとんどないが、家が少し綺麗になった。

「わざわざ掃除してくれたの?」私が言うと天は当然だと言った。

「僕が世話になっているわけなんだから、家事くらいは当然だよ」

「そんなもんかしらね」

「僕は人じゃないからわからないけど、そうあるべきかなって」

「天使って家事ができること自体に驚きよ」

「修行で地上で数ヶ月くらい人間と一緒に生活するからね」

 遠い日を思い出した様子で天は天井を見た。私は後ろを向いて着替えを出す。

「じゃあ、知り合いとかいるの?」

「いないというか、僕は覚えていても相手は覚えていないから」

「狐につままれたような話ね。 ……現状天使が目の前で家事をしているのも同じ気持ちだわ」

 大学生の私はサークルにも入らないで家でぼんやりとしているのが好きで、とはいえ大学が長引けば遅くなるし、バイトがあれば遅くなる。私は家に帰ると電気がついている環境はとても懐かしくて、ついつい天に甘えてしまう機会が出会って間もないのに増えていた。

「でも、逃げているわけじゃない? 見つかったりしていないの? 天使ってどこでもわかってしまったりしそうな気がするけれど」

「そうだね、まだ見つかってはないみたいだ」

 天は素っ気なく言った。あまり聞かれたくなかったのかもしれない。私は夕ご飯の支度をしながら、天の羽を眺めた。夜を寝なくてもいいらしく、羽をしまったり寝転がらなくても疲れたりはしないようだけれど。私はなんだかうらやましいなと思った。

「人間はなんで疲れやすいんだろう」

「言ってしまえば生きてないようなものだから、疲れ自体も曖昧ってことで……あんまり、良いものでもないよ」

 そう言って、私の分の箸とコップを出してくれた。天は浮世離れしたとても綺麗な男性で、天使だとわかっていなければ、出会いが人間同士のものであったとするならばきっと恋に落ちてしまっていたに違いなかった。

「天使ってみんな美形なの?」

「どう言う風に映っているか自覚はあるのだけど、人の理想の姿になるようになっているんだ。 だから人によって見え方が違うと言うか……まあ、基本的には見えない人の方が多いわけだから、秋穂さんの見えてる姿は秋穂さんが望んでいる天使像ですよ」

「なるほど。 それじゃあ、もしも他にも天使を見る機会があるとするなら、天と同じ姿をした人がいっぱいになって、天がわからなくなっちゃうかもしれないってことだよね」

 すると、天がすこし眉を下げて困った顔をする。私は料理を持ってテーブルに行く。テーブルの上にはもうすでに大体の準備ができていて、料理を置くだけだ。

「秋穂さんに僕も少し愛着を感じているので、わからなくなってしまうのはなんだか悲しいですね」

「……わかるか、わからないけど他の天使はあなたと仲が悪いなら怖いと思っておくことにするわ」

 なんだか居心地が悪くて目を逸らす。天は嬉しそうにご飯を少し食べている。「おいしいね」と言うので気まずいので「おいしいね」と返事をした。天といるのはとても心地がいい気がするのに、なんだか居心地が悪い気がして、お茶を飲む。少し冷たくてほっとする。少し体が熱くなっていたようだ。

「よかった。 わからなくなってしまわれたらきっと、ものすごく悲しいから」

「……それはなんで?」

「だって、僕はこんなに優しくしてもらったことないから」

 幼気に笑う天に居心地が悪くて私は素っ気なく返すとご飯を平らげてお風呂に入ることにした。最初はお風呂に入ることも気を使っていたが、今となっては堂々としている。天に安心しきっているもの少し良くないのではないかと思うのだった。

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