メニュー開発


 車両基地にポツンと取り残された食堂車に、ルナと私二人。メニューの考案に励んでいた。


「OKコンピュータ、レシピデータの仕様書を見せて」


 ……。


 …………。


「OKコンピュータ?」


 ……。


 ……コンピュータが応答しない。今日はやけに反抗的だな。


 ルナが肩を揺らして必死に笑いを堪えている。


 そうだった! 火星のコンピュータは呼び出し方が違うのだ。


「ヘイ、アシスタント。レシピデータの仕様書を見せて」

『了解しました』


 手元のデバッグ用コンソールに仕様書が表示される。


 笑ったお返しに、私はルナに軽いローキックを入れた。


 さて、資料に目を通す。


「ふーむ……」


 フードレプリケーターは地球にはない技術である。


 いや、あるにはあるが、完全栄養食トフーオしか作れないので、火星のディストピア飯製造装置に比べても非常に粗末なものである。家庭料理の文化が復興した現在では、トフーオ自体があまり食べられなくなった。そのため、フードレプリケータの技術がそれ以上発展しなかったのだ。エスプロリスト号の食堂車にすら積まれていない代物だ。


 しかし、食糧事情が厳しい火星では、資源の再利用の観点でも欠かせない技術となっているのである。


 ちなみに、具体的に何を再利用しているかについては、あまり考えない方が良いらしい。某ソイレント・グリーンではないことを願う。



「確か、フードレプリケータって、原理は物質転送と同じなんなんだよね」

「はい。どちらも物質をビームに変換し、再び物質化するものです」

「物質転送よりもフードレプリケータの方がエネルギーが必要なのはなぜなんだろう?」

「物質転送とフードレプリケータの大きな違いは、二つ。データ化するかどうか、転送中に加工するかどうかです」

「具体的には?」

「物質転送は、データ化も加工もしません。分子配列や運動量を観測せずに、丸ごと量子的な波のビームに変換して移送し、そのまま無加工で再物質化します」

「意外とアナログなんだね。一旦データ化してると思ってたよ」

「データ化のために観測すると、ハイゼンベルクの不確定性原理が働き、素粒子レベルの正確な位置と運動量の状態が損なわれますからね」

「ハイゼンベルクさん、何か聞いたことある。猫ちゃんだっけ」

「それはシュレディンガーです」

「そうだった」

「フードレプリケータは、ペースト状の原料をビーム化し、データに従って分子配列を再配列した後に、物質化する仕組みです。同じ技術を使っていても、方向性は真逆なんです」

「フードレプリケータは、データ化する時点で正確性を捨てているし、転送中に加工もしてると」

「そうです」


 つまるところ、方式こそ異なれど、性質としては三次元プリンターに近い技術なのだろう。


「つまり、複雑な形状の物質はデータ量も多くなるし、加工も大変。物質化に必要な時間も長くなるから、その分エネルギーも必要ってことかぁ」

「姉さんにしては良い理解です。敵は時間なんですよ」


 それならディストピア飯も理解できる。必要な栄養素を固めた直方体をぷるんと出せば良いのだから、省エネで合理的だ。


「ヘイ、アシスタント。トフーオはある?」

『トフーオという名前のレシピは存在しません。絹ごし豆腐のことですか?』

「絹ごし豆腐あるんだ。それを出して 」


 光とともに豆腐が実体化する。


 私はデバッグコンソールで使用電力の推移を確認する。平均三百ワットで一秒。つまり三百ジュールだ。


「ヘイ、アシスタント。ハンバーグ単品、百五十グラムを出して」


 光の粉がハンバーグの形に集まって行くが、なかなか実体化が完了しない。平均五百ワットで六十秒。つまり三万ジュールである。



「思った以上の差だね」

「そうですね。きっとハンバーグは挽肉や空気の細かい構造があり、タマネギや小麦粉などの食材も混じっているのが理由でしょう」



 なるほど、ハンバーグが高級品になるわけだ。


「ヘイ、アシスタント。スパム肉、百五十グラムを出して」

『スパム肉というレシピは存在しません。ランチョンミートでしょうか?』

「そうそれ」


 今度は三百ワットで二秒。六百ジュールである。


「同じ肉でも随分違うね」

「ランチョンミートは、おそらく密度と均一度が高いからでしょう。その上、本物のランチョンミートに比べて脂肪分の塊がなく、より均一に混ざっているように見えます」


 確かに、魚肉ソーセージのように、均一にピンクである。つまり、細かくすり潰せばコストは下がる、ということか。


「ライス。百五十グラム」

「切り餅、焼く前の。百五十グラム」


 ライスは二万ジュール、切り餅は三百ジュール。


 そうやって試していくと、ルナの言うように分子構造そのものの複雑さよりも、形状や構造の複雑さのほうがエネルギーに影響するようだ。空気が入っていないものほど省エネ、均一に混ざっているものほど省エネである。同じ物でも焼いたパンケーキと焼く前のパンケーキの生地では焼く前の生地のほうが圧倒的に省エネだ。


 もしかすると、データサイズも影響しているのかもしれない。例えば、均一な一センチ角のデータをリピートしたデータと、食べ物丸ごとの生データを再現した巨大データでは後者の方がデータ転送にも時間がかかるはずだ。


「ヘイ、アシスタント。ハンバーグのデータから中央部を一センチ角の立方体で取り出して、テスト食品ヒカリ〇〇一として保存できる?」

『はい可能です』

「では、テスト食品ヒカリ〇〇一を百五十グラム分の個数だけ出力して」


 結果は、驚きの一万ジュール――同じ重さなのに通常のハンバーグの三分の一である。つまり、ストレージからのデータ転送に三分の二の時間を食っていた、ということなのだ。サイコロ状にして複製すれば、フルサイズのハンバーグに比べて必要なデータ量は小さくなる。それでもまだ生成に時間が掛かるのは、構造自体が複雑だからなのだろう。


 方向性は見えてきた。多品目でも複数個のお弁当を同時出力すれば、この特性を活かせるかもしれない。



 それでは、実食。


 ルナと半分こして、味を確認する。



 もぐもぐ……ごくん。


 ……んぐ。



「ルナと一緒に食べると、何でも美味しく感じるよ」

「姉バカここに極まれり、ですね」


 つまり、不味いということである。


 ……んぐぐ。


 うーん、ハンバーグはやはり元データの時点で焼きすぎなのだ。ただ、それもデータ化の都合なのかもしれないし、やっつけでデータ化されたけなのかもしれない。


「OK……じゃなくて、ヘイ、アシスタント、ハンバーグのレシピデータは誰がいつどのような目的で作成したものなの?」

『このデータはアメリカ中部標準時二一四九年一月三十一日、アレス計画に基づくアメリカ航空宇宙局からの委託によりコスモガストロノーツテクノロジー社が制作した第一次データバンクに収録されたものです。第一次データバンクは地球上の様々な食品や食材の分子レベルスキャンデータを幅広く収集することを目的に作成され――』

「ちょっと待って、フードレプリケータは地球で開発されたの?」

『はい。フードレプリケータは、アレス計画のサブプロジェクトとして開発されました。資源が限られた火星において、多種多様な民族が食事を楽しむことを可能にすることを目的に開発されたものです。遺伝子編集による複数の藻類やリサイクル原料を衛生的に利用するために――』

「JAXAは絡んでなかったの?」

『フードレプリケータの開発プロジェクトに、日本の宇宙航空研究開発機構は参加していません』

「なるほどねー。だから、忘れられた技術なんだ」


 現在、地球上の人口は新旧人類合わせて三百万人ほどだ。そのほとんどが日本列島に集中している。アメリカや欧州にも衛星都市はあるが、数えるほどだ。これは最終戦争前の新人類の人口分布がそのまま反映されている。文化技術復興省の史跡調査も、旧日本国地域が中心であり、それ以外の地域の調査は進んでいない。フードレプリケータの存在が忘れられていたのはそれが原因だろう。


 これは一大ニュースだ。データのクオリティはアレとはいえ、人類の失われた文化の重要な記録である。文化技術復興大臣に、NASAの遺跡でフードレプリケータの技術を調査するよう進言しておこう。



「この絹ごし豆腐は、悪くありませんよ。むしろ、なかなか美味しいです」


 と、ルナ。


 私も一口含む。


 滑らかな口触り。豆腐は豆乳から作られていたのだと思い出す、そんなクリーミーで優しい味。これは明らかに量産品ではない。高級品あるいは手作りの品だ。


「本当だ。ちょっと待って。ヘイ、アシスタント。醤油とすりおろしショウガを少量お願い」


 小鉢に実体化されたそれを、豆腐にかける。


 醤油の香りと、ショウガの辛みで、味がぐっと引き締まる。


「うん、なかなかクオリティ高い」

「地球でもなかなかこのレベルの豆腐は食べられませんね」


 ペロリと食べてしまったルナは、まだ物足りなそうな表情をしている。私の分を分けてあげると、頬を赤らめて満面の笑みを浮かべた。


 その笑顔でお腹いっぱいだ。


――だってお姉ちゃんだもん❤️


 それで思い至る。このレシピには何となく家族愛を感じるのだ。


「ヘイ、アシスタント。絹ごし豆腐のデータは誰がいつ作成したの?」

『このデータは、パブリックドメインとなった個人用データバンクに含まれます。作成者はミツキ・ホーソノ、作成日は日本標準時間二一五〇年一月三日、説明文には、「宇宙に旅立つ、親愛なる孫達へ」と記載されています。詳細は不明です』

「えっ!」

「ミツキ・ホーソノ? 誰でしょうか」

祝園ほうそのアカネって人なら知ってる。私の母方の曾祖母。もしかしたら関係あるかもね」


 詳しいことは割愛するが、曾祖母は過去の世界から複製召喚され、文化の復興を担ってきた人物だ。複製元のオリジナルの祝園アカネも、遠い過去に実在した人物である。ミツキ・ホーソノ氏は、その子孫である可能性は否定できない。珍しい名前だから、史料を調べれば何か出てくるかもしれない。


「ひいおばあ様は、確か百十歳ぐらいでしたよね」

「うん。ナノマシンで延命してまだまだ元気だけど、早く調べないとね」


 アストロ・レールウェイの開業が予定通り進めば、火星でオリジナルの祝園アカネの子孫とご対面なんて流れになるかもしれない。


 まあとにもかくにも、絹ごし豆腐のおかげで、私達は人権を取り戻した。ミツキ・ホーソノ氏には感謝である。


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