壮行会


 そんなこんなで、壮行会が執り行われた。


 ブリッジで簡単なセレモニーが行われた後は、食堂車で立食形式の懇談会が行われる。といっても、勤務時間中のクルーもいるため、お酒はない。時間を見つけて入れ替わり立ち替わり、同僚が顔を見せてくれるという感じだった。


 シェフが、余分の冷凍食品やレーション、先日のラーメンの食材の残りなど上手く活用して食事を作ってくれたので、宇宙任務にしてはかなり豪勢な品揃えとなっている。そもそも宇宙で立食形式という時点でかなりの贅沢なのだが、船長とシェフに感謝である。


 それにしても、ルナが衆目を集めたせいで、私達は知らぬうちに有名人になってしまっていたようだ。顔も知らないクルーに握手を求められたり、サインをねだられたりした。え、なんで?


 サリー少尉が声を掛けてくれた。


「おめでとう、ヒカリ。これで胸を張って火星に送り出せるよ~」

「はい。ありがとうございます」

「でも、こんな手があったなんてね~」

「えっ?」

「あ~、私もヒカリの妹になりたいな~」

「それは……さすがに年上の妹は無理では」


 そればかりは今の法律では何ともならない。もしかしたら、自称年齢を登記できるようになる時が……来るかもしれないが。


「そうだ。弟がいるから、一つアドバイス。あいつら、憎たらしいときは本当に憎たらしいからね。プリン勝手に食べるし」

「サリー少尉の? プリンを!? ……何と命知らずなことを」

「私そんなに怖いかな~?」


 満面の笑みで黒炎纏いしサリー少尉。


「ひいい」


 そこへ、クレイ中尉もやってくる。


「そうだ。今のうちに言っとくけど、火星でこっそり俺の椅子を狙うなよ」


 そういえばこの二人、地味にブリッジ以外でも同時にエンカウントする確率が高い。えっと二人はどういうご関係で?


 機関主任のエド少佐も時間を見つけて立ち寄ってくれた。


「二人とも、火星でも頑張れよォ」

「ありがとうございます」

「ん、エスプロリスト号の整備記録。役立ててェくれ」


 エド少佐は、私にデータチップを渡すと、そそくさと去って行った。こういう場は苦手なんだろうな。その後ろ姿に心の中で感謝を向ける。


 こうしてお世話になった人々と歓談を交わした。



 喧噪が去った後、食堂車はルナと私の二人きりになった。


 シェフは、せっかくだからと残った料理をディナーコースに仕立て直してくれた。私達にはほとんど食べる暇がなかったのでこれはありがたい。


 窓には、憧れていたあの赤い星が間近に見える。食卓はその温かい光に照らされていた。


「何だか不思議な気分だね」

「……そうですね」

「ルナ、二人の時はタメ口でいいよ。ダメ姉に気なんか遣わなくていいんだからさ」

「いえ、丁寧語の方がツッコみやすいので、これでいいです」

「……そこをなんとか!」

「じゃあ今だけですよ。……お姉、食べ方汚い。ご飯粒残さないでよ、恥ずかしいから」

「うひひ~公式の供給マジ感謝~」

「……やっぱやめます」

「え~殺生なぁ~」

「テーブルマナーの特訓を始めます!」

「助かる~」


 そうそう、カトラリー捌き一つ見ても、ルナってどことなく育ちの良さが垣間見えるんだよね。テーブルマナーとかは、庶民は割と適当だし、アストロ・レールウェイの訓練所で学ぶことでもない。多分、私とは違って結構な上流家庭の出身なのかもしれないな。


 可愛い我が妹だけど、知らないことばかりだ。


 食後のデザートを平らげた後、私達はぼんやりと窓の景色を眺めていた。


 ルナが、ふと立ち上がって、ハラリと窓に駆け寄る。


「見てください。あれがユートピア・プラニティアです。そして、その下に見えるのが、エリシウム・プラニティア。私達が行くところです」


 私もそれに続いた。


「クレーターが沢山あるね」

「コロニーはクレーターの一つを利用したドームになっています。多分あの白く見えるのがそれですね」


 ルナが一点を指さした。


「え~どれ?」


 私は視点を近づけようと、少し身をかがめ、顔を寄せる。


「あれです」


 その指の先には、確かに人工物のような物が、太陽光を反射してキラキラとしている。


「あれか~! 歓迎して貰えるといいね」

「そうですね」

「……」

「……」


 一瞬の沈黙の後、お互いに顔を見合わせる。


 すると、ルナが額を私の額にコツンとぶつけた。


「どうしたの?」

「妹だから、いいですよね?」


 ルナの方から接触通信インターフェースを通じて接続要求が送られてきた。これは、私が出発の時に家族と交わしたような、家族にのみ許された親愛表現である。


 一世紀前までは、こうした直接接続は親しい友達同士でも気軽に行われていたことだが、伝染病の影響で家族に限定されるようになり、その後、家族の親愛表現として特別な意味をもつようになった。


 私も、医療用端末との接続を除けば、私も両親――実質的には新人類の父親のみだが――としか交わしたことがない。


 だが、ルナが要求してきたのは、私のシステムに対する全権であった。


 我が妹よ、それはやりすぎだ。親子で……いや、医者でさえ普通は全権までは要求しない。


 ……けど、受け入れちゃう。


 だってお姉ちゃんだもん❤️


 とはいえ、無条件ではない。私はルナに対しても同じ権限を要求した。こういうのは片務的であってはならないのだ。


 こうして、私とルナはお互いにお互いへの全権アクセスを承認した。


 ……。


 …………。



 次の瞬間、溶岩のように熱くドロドロとした、身を内側から焦がすような焔が、私の脳に直接流れ込んだ。それが、ルナの巨大な嫉妬の塊だと気づくのに数秒を要した。息が苦しい。まさか、ルナはこんな苦しみに耐えて毎日を生きていたのか。 


 同時に、ルナの記憶が、走馬灯のように流れ込んでくる。


 ルナの両親は、彼女を愛して、甘やかしてさえいた。しかし、嫉妬心が強く癇癪持ちの彼女に少なからず手を焼いていたようだった。根は聡明で優しいルナのことである。両親の苦悩に気づいた彼女は、幼くして嫉妬心をマイルドに見せかける術を身につけた。生意気少女ルナの誕生である。しかし、それと引き換えに、生の感情をぶつける相手を失い、家庭でも孤独になってしまったのだ。


 ルナのツンケンした態度も、ナルシストじみた言動も、実のところ、嫉妬に駆られて私に対抗心を燃やしていたからだったなんて。


 接続解除したときには、私はもう疲労困憊に陥っていた。完全にルナを誤解していたんだな、私。


 いや、ほんと、自分の走馬灯を見る前に妹の走馬灯?を見るのは不思議な気分だよ。


 一方のルナは憑きものがとれたような表情だ。


「……ふう、スッキリしました。今、人生一平穏な気分です」

「ちょっと待って、私、感情のゴミ捨て場にされた?」

「ヒカリ姉さんには、火星がこんな風に見えているんですね! 旧人類の視覚映像って、なんだかエモいです。はぁ~なんて素敵なんでしょう」


 ルナの頬は赤らみ、目がキラキラと輝いている。えー、こんな表情もできるの!? 我が妹は。


 ……これが嫉妬に支配されていないときの、彼女なんだろうな。


 は~マジ感謝。公式様々である。


 片や、私の心は人生一荒んでいた。ルナの負の感情が転移してしまったようだ。私のものではない、私自身に向けられた嫉妬心が、私の心の中でメラメラとしている。


「あー、何て私が羨まし~! コンジットの音ぐらいで楽しめるの羨まし~! いきなり名前を教えろと命令できる図太さ羨まし~! 勉強を楽しめるのも、成長が早いのも羨まし~。妬ましい、私が妬ましくて死にそう~。ワケわかんない! うがががが」


 自分自身への嫉妬の炎に焼き殺されそうだ。なんだこれ。


「火星が綺麗ですね。着いたら、一緒にコンジットの音、楽しみましょうね?」


 ほんわかと微笑むルナ。勝手に浄化されやがって、本当にこいつはもう!


「あ~妬ましいー!!!! 火星コノヤロー!!!」



 車内放送が着陸予定時刻を告げる。


 憧れの星の地を踏むまで、あと数時間を切っていた。



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