席を守るということ
(サリー少尉の視点)
海に例えるなら、ここは排他的経済水域と領海の境目である。
エスプロリスト号は、火星高軌道上を周回しながら火星指令からの低軌道への進入許可を待っていた。着陸許可が出るのはさらにその後である。火星政府は慎重を期しているのか、判断をギリギリまで先延ばしにしているようだ。少なくとも私の次のシフトが始まるぐらいまでは暇な時間が続くだろう。
判断先延ばしといえば――。
私はいつものように、運用コンソールに流れる情報を目で追っていた。ホログラムシミュレーター室の電力消費量を見て、試験が始まったのだと悟る。
「気になるか? ヒカリ少尉の試験」
暇そうなクレイ中尉が話しかけてきた。自動操縦だからといって気を抜かないでほしいのだけど。
「やっぱり、気になりますね~」
「席を奪われないか心配なんだろ?」
「あんなのは、ビギナーズラックですよ。それに試験に合格すれば、火星に置き去りですから、心配ないですね~」
「おい、言い方それでいいのか?」
とはいえ、驚かなかったといえば嘘になる。運用主任には総合的なスキルが求められる。基礎的な能力が一つでも欠けていれば、短時間であっても務まらない。幸運はあるだろうが、ヒカリが最低限の基礎能力を備えているのは疑いのない事実だ。
「正直、私が怖いのはヒカリよりも、ルナ准尉ですよ」
「ここだけの話、鬼教官ぶりがすごかったよな」
私が怖いのはそこではない。
二人の間に何があったのか知らないが、ルナ准尉は、一日でヒカリをやる気にさせ、三日目までには一通りの基礎を叩き込んだということになる。ヒカリには文化技術復興省での専門知識や、元来の素質があったのかもしれない。けれども、たったの三日である。それは恐ろしい事実だった。
なぜならば、それは私の代わりをいくらでも育てられるということを意味するからだ。もし彼女が訓練所の教官になれば、優秀な新人を量産して、私などあっという間に埋もれてしまうことだろう。
正直、彼女がヒカリの補佐官として火星に二年間滞在してくれるのは、ありがたいことだった。その二年間の間に、私はなんとしてでも中尉に昇進しなければならない。
「そんなことより、いいんですか~? 次はパイロットの席を狙われるかもしれませんよ」
「まさか! 運用主任が究極のゼネラリストなら、こっちは究極のスペシャリストなんだ」
「ヒカリはスペシャリストタイプ……というかマニアタイプですよね。シミュレーションをやり込んで来ますよ、絶対」
「マニアに負けるもんか」
「どうでしょうかねぇ~」
代理で船長席に座っているシエラ副長が会話に加わる。
「案外、次に狙われるのは、私の席かもしれないぞ」
また船長のモノマネだ。足を組んで、肘掛けで顎肘をついている。仕草まで微妙に似ているものだから反応に困る。
「そんなことになったら、一番苦労するのはシエラ副長ですよ」
「ルナ副長にすべて任せて、私は楽しい楽しい研究に打ち込むわ」
「副長の本業はそっちですもんね~」
「でも、もう一年も新しい論文出せてないのよねぇ。本業とはもう言えないかも」
「もう~、リアクションに困ること言わないでくださいよ~」
副長は、ひょいと立ち上がる。私たちの近くで身をかがめ、小声で尋ねた。
「ところで、サリー少尉は、もし一緒に火星に二年間派遣されるとしたら、ヒカリ少尉と働きたいと思う?」
「え?」
「もしの話よ、もしの話」
「……うーん、私は、ルナ准尉が手綱を握ってくれるなら、という条件付きですかね。私のことだから、多分、二人きりだと数ヶ月で大喧嘩してしまいます。友達でいたいので、少なくとも、べったりはしたくないですね~」
自分の心の狭さは自覚している。親しくなった人は皆、私の本性を知って、私から離れていく。だから、ヒカリとは良い距離を保って、いつまでも友人でいられたらいいなと思う。
「へぇ~意外ね。クレイ中尉は?」
「俺はああいうタイプも歓迎ですよ」
「それは同僚としてですよね~?」
思わずツッコミを入れてしまう。何故か私のこめかみがピキピキと鳴るのを感じた。
「当然だろ。他に何があんだよ」
「だったらいいんです」
「ぶっちゃけ、アストロ・レールウェイって、お役所みたいなもんで、ぶっ飛んだ奴はあんまりいないだろ? ああいうのがいたら、何となくバランスが取れるんじゃって思ったんだよ」
そんな他愛もない会話。
思い返してみれば、ここ数日、ヒカリとルナ准尉の話でもちきりだ。私はああいう風に悪目立ちしたくはないが、彼女たちのようなタイプは意外と上から気に掛けて貰えるのだ。私はどうだったかなと振り返る。
これは本当にヒカリ船長とルナ副長のコンビが誕生するのも時間の問題かもしれない。
(サリー少尉の視点 おわり)
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