作戦開始
――乗務日誌 Z時間 二四一三年九月一日 一三〇〇時記入
――我々は『エアセクション』からの脱出のため、小惑星と亜光子を用いたスイングバイを決行する。念のため記録しておこう。クルーは勇気とユーモアを持ってこの事態に立ち向かった。
気温は既にセ氏三度を切っている。電力の残りは四七パーセント。
私は作戦開始までのカウントダウンを始めた。
「Tマイナス三〇秒」
「ヒカリ少尉、十五号車、切り離し準備」
「了解」
私はコンソールにコマンドを打ち込む。
そんなときにも茶々を入れるのがクレイ中尉である。
「ところで、切り離しの訓練もやったんだろうな」
「……」
「なんで黙るんだよ」
「……えぇ……あの……実は……」
「何だ言えよ」
「……切り離しに失敗して、生存者ゼロでした」
「おい」
船長の笑い声が割って入る。
「いいじゃないか。次は成功するだけだからな」
クレイ中尉はあきれ顔だ。
「Tマイナス一〇秒」
『こちら機関部! 全員退避完了! ブリッジに向かう』
エド少佐の報告の後、カエルム船長が命令を下す。
「ヒカリ少尉、十五号車を解結しろ」
「了解、三、二、一」
まず、十四号車と十五号車の通路、十五号車と十六号車を封鎖する。内部センサーを確認し、誰も乗車していないことを確認。まずは十四号車と十五号車の連結を解除する。
「クレイ中尉、よろしくお願いします」
クレイ中尉が、遠隔操作で、十五号車の推進エンジンを一秒間噴射。ゴウンという低い音と共に、前に押し出される感覚があった。これが反作用か……。
さらに、遠隔操作で十五号車と十六号車の連結を解除。クレイ中尉が十六号車の推進エンジンを操作し、十四号車に再連結する。
再びゴウンという音が響く。
「十五号車のみ切り離し完了しました」
クレイ中尉の遠隔操作により、十五号車は単行列車として小惑星に対して進み始める。そして、距離を置いて、我々が追いかける。
ブリッジにエド少佐がやってきた。
前方に見える十五号車に対して、
「すまねェな……」
と小さく呟いたのが聞こえた。
技術者であれば、自らメンテナンスしている機械に多かれ少なかれ愛着を持つものだ。それ故に、最後の命令を入力するのは、その技術者本人でなければならない。
「エド少佐、頼む」
船長の命令で、エド少佐は副長のコンソールを操作する。
十五号車が小惑星に衝突する直前、十五号車の車内に閃光が走る。刹那、まるで沸騰したヤカンから吹き出す蒸気のように、光の粒子が放出された。亜光子の崩壊である。やがて、小惑星がぼんやりと青白く光り始めた。
「船長、重力の変動を感知。今です!」
シエラ副長が報告すると、カエルム船長は直ちに命令を下した。
「やれ、クレイ中尉」
「了解」
クレイ中尉がコンソールを操作する。
Tプラス一五〇秒。列車は推力全開で小惑星へと向かう。列車は動揺しながら前方へと加速する。
重力補正装置のない生の加速度が、私たちを襲う。私は椅子の背もたれに身体が押さえつけられ、気が遠くなるように感じた。おそらく五Gを超えている。
「構造に歪みが生じています。三号車にマイクロクラックを検知」
私はコンソールに出力されるログを読み上げると、同時に、念のために連結部のエアロックを封鎖する。
「作戦続行!」
Tプラス一五九秒。予定通り、推進エンジン噴射を停止。残りの推力は姿勢制御に用いる。
「現在の速度は八三二KPH」
「予定通りね。重力加速度がピークに達しました。四〇メートル毎秒毎秒」
列車は小惑星と亜光子が発する重力に導かれながら、小惑星の地表スレスレまで接近する。手に汗握る光景だ。
私はスリルを楽しむ一方、補助席に座っているルナは、もはや失神しそうである。
「クレイ中尉! 進路補正。方位〇〇一・二五三、俯角三パーミル」
「了解」
「方位三五九・五〇一、仰角二パーミル。中尉、地球と違って小惑星は小さいから、誤差を一パーミルに抑えて」
「やってます!」
「編成全体の動揺が大きくなってます!」
「クソッ! 手動で個別補正する」
列車は小惑星にぐんぐんと引き寄せられる。
「速度は九〇〇KPH……。一〇〇〇……。一五〇〇……。二〇〇〇……。三〇〇〇……」
「亜光子が半減期です。四・三メートル毎秒毎秒」
小惑星の砂埃を浴びながら、列車は弧を描き小惑星の軌道を離脱した。
「重力圏離脱!」
「……四〇〇〇KPH到達!」
列車は進路補正を繰り返しながら、そのまま火星へと向かう。
しかし車内の気温は既に零度まで低下しようとしていた。凍死が先か、『エアセクション』脱出が先か。固唾を飲んで見守る。
「渦の重複度は五〇パーセント未満に減少。予想よりも早く減少しています。これなら共振が致命的な大きさになるまでに、重複区間を抜けられます」
シエラ副長が凍えながら報告すると、カエルム船長は命令を下す。
「よし、エド少佐、
「おゥ」
「……タービン始動、出力三〇パーセント」
私はかじかむ手でコンソールを操作する。
「予備電力充電中。まもなく、完了。九〇パーセント、一〇〇パーセント。全システムの電源を投入します」
「やってくれ」
「さあ、頼むわよ――」
ウォォォオオンという音と共に、ブリッジの照明が再点灯する。続いて、コンソールパネルが次々に点灯してしていく。空調の吹き出し口から暖かい風が吹き出した。
ブリッジに歓声が沸く。
「亜光子フィールド復旧します」
クレイ中尉の報告の直後に、コンピューターが自動音声で警告を発する。
『警告、人工重力が復旧します。落下に注意してください』
次の瞬間、空中浮遊していたクルーが全員、床に叩き付けられた。椅子に座っていた私でさえ、突然の重力変動が内臓にずんと来る。これは……改善の余地があるのでは。
私は吐き気を堪えながら、各システムをチェックして行く。喜びを分かち合うクルー達に合流したいが、私の仕事はまだ残っているのだ。
「主要システム、正常に機能しています。十五号車のキャパシタがない分、亜光子フィールドが不安定ですが、正常範囲内に収まっています。それ以外は特に問題ありません」
私は報告を終えると、脱力して天井を見上げた。喜ぶ気力などもう残っていない。サリー少尉なら、きっと余裕なのだろう。
ルナが駆け寄ってきて、私に寄りかかるように、へなへなと崩れ落ちた。彼女は気丈に振る舞っていたが、誰よりも恐怖と闘っていたのだろう。お祭り騒ぎには加われないが、こうしてお互いの生存を感じながら、静かに喜びを分かち合った。
すると、カエルム船長が私のもとへやってきた。
「よし、よくやったヒカリ少尉。活躍に免じて、実技試験は免除してやってもいいぞ」
「ありがとうございます。 ……あっ、いえ、それはちょっと困る……かも?」
実技試験を免除されてしまうと、貴重な得点源が減ってしまい、苦手科目の点数配分が相対的に増えてしまうのだ。だが、船長は私が遠慮したと思ったらしい。
「遠慮しなくてもいいぞ? 実際、初めての実務で、ここまでできるクルーは少なかろう。私も驚いている」
すると、ルナ准尉が船長に具申する。
「船長、意見を述べてもよろしいですか?」
「いいぞ」
「『免除』ではなくて、『実地試験』扱いで採点されてはいかがでしょうか」
「……? ……あぁ、そういうことか。ハッハッハ。いいぞ、そういうことにしておこう」
「感謝します」
……た、助かった。
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