方針会議


「船長……!?」


 シエラ副長は一瞬慌てた様子を見せたが、それはすぐに杞憂だったと明らかになる。


「最悪の事態は覚悟できた。少しずつ状況を良くしていこう」


 船長がそう言うと、ブリッジの空気が一転した。そうだ、この事態はこれ以上悪くならないのだ。


「ヒカリ少尉」

「はい」

「君はこういうのは気に入らないかもしれないが、念のため君を臨時の第二副長に任命する。私とシエラ副長が指揮能力を失った場合、君に全権を委任する。予め命令しておく。救援が来るまで生き残ること、そして可能なら一人でも多くの生存者を残すこと。」

「……はい。了解しました」

「よし、ブリッジにクルー全員を集めよう。エネルギーの節約と、少しでも気温を保つのに役立つだろう」


 船長は車内放送で全クルーに命令した。


「船長より、全クルー。ブリッジへ集合せよ。防寒着、食料、水をブリッジに集めてくれ。それから、エド少佐、君は直ちにブリッジへ」


 しばらくして、油まみれのエド少佐がブリッジに現れる。見た目は旧人類に例えれば六十歳前後。新人類は長寿故に若見えするから、実年齢は九十歳ぐらいだろう。超ベテランの技術者である。


「揃ったな。さて、今後の方針について、意見を出してくれ」


 カエルム船長が意見を求めると、先陣を切ったのはクレイ中尉だった。


「推進エンジンを全開にして、引き返してはどうです? 救援車とのランデブーを早められます」


 シエラ副長が首を横に振る。


「良くて数分でしょう。現在の位置を維持するために温存しておくべきです」

「何もせずに死を待てと?」


 クレイ中尉は苛立ちを隠さない。それに対するシエラ副長も辛辣だ。


「下手に歩き回る遭難者は助かりません」


 危機的な状況において、冷静を保つのは難しいのだろう。だが、誰もが一線を踏み越えないよう自制を保っているように見えた。


 今度はシエラ副長が、エド少佐に尋ねる。


「タービンの異常振動を承知で、発電機を動かせませんか」

「そいつはオススメできねぇな。もし万が一亜光子の制御を失えば、重力子の乱放射により爆縮が起きかねない。メリットがリスクに見合わねぇ」


 やや気後れしながら、私も手を挙げる。


「あのーちょっと良いですか?」

「聞こう」

「原因追及は後回しというのは承知の上ですが、私はどうしてもコンジットの音が気になります。変な音が混じっていることが、タービンの異常振動の原因になっているとすれば、それを取り除く方法を考えられませんか?」

「音ねェ」


 首を捻るエド少佐。


「……あっ」


 と、シエラ副長が手を叩く。


「亜光子渦流の周波数がズレているのかも」

「なるほどナァ。それなら説明が付く」


 勝手にわかり合っている二人に対し、クレイ中尉が抗議する。


「いや、俺にも分かるように説明してくださいよ」


 シエラ副長は、一瞬だけ「それぐらい分かれよ」と言いたげな表情を見せる。


 ……怖っ。


、改めておさらいすると、アストロ・レールウェイの車両は、超指向性の亜光子の渦を発電のエネルギー源にしています。つまり、それが架線の代わりね。でも、地球で発生させた渦は、火星に至るまでに拡散しすぎてしまい使い物にならなくなる。だから、精密にタイミングを同期させて、地球と火星の両方から渦を発生させている。今ここは火星と地球の中間地点だから、どちら由来の渦も受け取っている。ここまではいいわね」

「……それは基礎の基礎だ」

「もし仮にこの二つの渦の周波数がずれていたら、どうなると思う?」

「渦が乱れる……んじゃないのか?」

「そう。その上、二つの似て非なる波が重なり合うことになるから、取り込まれる波動の周期も狂う」

「まさか、良く聞く位相のズレってやつですか!?」


 古典SFといえば位相のずれだよね、などと思いながら私がミーハーな質問をすると、エド少佐がそれを否定した。


「いやあ、位相のズレ位なら大したことはねぇ。せいぜい効率が悪くなる、一八〇度ずれると打ち消されて出力がほぼゼロになりやがるってぇぐらいだ。むしろ、実害が大きいのは周波数自体が微妙にずれている時なんだ。ビート現象ってぇやつで合成波に長周期の周波数成分が発生しやがる。そいつが、タービンそのものの共振周波数に重なると、タービンが共振して揺さぶられちまうってわけだ」

「ただ、これは状況証拠による推測で、確認する術がありません。亜光子そのものは直接観測できないので」


 それなら、明確に反論できる。


「でも、副長。コンジットの音は聞こえます。私の聴覚でコンジットの音を録音していたので、ブロードキャストでそれを送ります。正常時の音と、異常時の音です。私の聴覚は旧人類のものなのでノイズが多いと思いますが……」


 ルナの手がピクリとする。何を録音してるんですか、とドン引きの表情だ。え、オタクたるもの、録音は基本でしょう。


 副長は、私からのデータ送信をまず個人端末で受け取り、コンソールに転送する。幾つかの分析を掛けた結果、一つの結論に達したようだ。


「……確かに、これは、周波数のズレがありそうですね。合成波にビート現象による低周波成分が認められます」


「原因がその周波数のズレだとして、前回の無人貨物列車は無事だったんでしょう。今回だけなんておかしいじゃないですか」


 と、『なんか俺変なこと言ってます?』と言わんばかりのクレイ中尉。


 私の文化技術復興省での業務では、技術に関する様々な過去の文献に触れる機会がある。それには鉄道に関するものも含まれる。通過するときは問題ないのに、停車したときには発車できなくなってしまう事象――私には一つだけ思い当たることがあった。


「そっか……エアセクションだ」

「エア……セクション? 少尉、それは何ですか?」


 ルナの問いに答える。


「二十世紀前後の鉄道では、架線の電気的境界にエアセクションやデッドセクションというものが設けられてたんだよ。そのうちエアセクションは二つの架線が重複している区間のこと。列車が通過する分には問題ないけど、そこで停車すると、架線が焼き切れてしまうっていうね」

「ああ、電位差ですか」

「そうそれ」


 私は皆に向き直って、言葉を続ける。


「――つまり、エアセクションで停車してはいけなかったんです。原理は違いますが、そういうことじゃありませんか?」


 副長はなるほど、と頷く。


「つまり、例えるなら、亜光子渦流の重複区間が『エアセクション』で、無人貨物列車は『エアセクション』を通過したから問題なかった。我々は小惑星のせいで『エアセクション』で停車してしまったから問題が起きた、そういうことね」

「その『エアセクション』てぇ奴に長時間留まって、共振が大きくなっちまったってことだな。だから、タービンを停止せざるを得なくなった。筋は通る」


 そこに船長が割って入る。


「じゃあ一体、どうすれば良いんだ。二十世紀はどうしていたんだ」

「編成の中から、エアセクションに掛かっていない車両を探し、その車両だけパンタグラフを上げて通過するんです」

「……それは無理ね。重複区間は数万キロメートルは続いてるはずよ」

「次善の策として、片方の送電を停止するという方法もありました。火星か地球のどちらか片方に渦を止めて貰うことはできませんか?」

「それでも渦が消滅するのに数日かかるわ」


 アイデアが出ては消えていく。


 そう、緊急時に原因追及が役に立たないと言われるのは、原因が分かったところで打つ手がない可能性があるからだ。些細な問題への原因追及そのものが原因で墜落した航空機の事例もある。これは失敗したかもしれない。


 窓から外を見ると、我々を窮地に陥れた元凶の

小惑星が悠然と宇宙の旅を続けていた。なんだあいつ。ムカつく。爆破したい。



 ふと、脳裏を過る言葉があった。


――『無重力空間で身動きが取れなくなったときは、物を投げろ』

――『速く動きたければ質量を使え』


 ルナに教えて貰ったことだ。私は彼女を小声で呼んだ。


「ルナ」

「何ですか」


 私は小惑星を指さす。


「思いつきなんだけど、アレ、使えない? ほら、作用・反作用でしょ?」

「……確かにあの近くで推進エンジンを噴射すれば、数倍ぐらいの推進力は得られるかもしれませんが、安全に接近するには何倍もの推進剤が必要です」

「……じゃあ、スイングバイとかには使えないの?」

「あの小惑星程度の速度と質量では大して効果は……。残念ですが」


 ですよねー。


 誰も話題に出さないことを考えると、あの質量を利用したくても安全に利用できない、はなから選択肢に入らないということなのだろう。


 せめてあいつを爆破したい。


 確か訓練シミュレーションでは、私のせいで十五号車の爆発に巻き込まれたんだっけか。いや、正確には爆縮か。


「……十五号車を、アレにぶつけたい」


 そうすれば、せめてもの気晴しにはなりそうだ。


 うっかり、そんなことを口から漏らした瞬間、ブリッジが静まり返った。私に視線が集まっている。


「あっ、いや、これはその!」


 余計なことを言ってしまったと、あたふたとする私。


 エド少佐は難しい表情で思案を巡らせた後、呟くように言った。


「……案外行けるかもしれねェ。その発想はなかった。天才だな、少尉さんよ」

「えっ、な、な、何が」

「十五号車には、亜光子を一時的に蓄える亜光子キャパシタがあるの」


 シエラ副長の答えに、エド少佐が補足する。


「レールの亜光子フィールドを安定させるために一定量の亜光子が一時貯蔵されてンだ」


 訓練で制御を失って爆縮したやつだ。


 シエラ副長は説明を続ける。


「出発の時、亜光子は崩壊するとき光子と重力子を放出すると説明したわね」

「はい。確か、それで光るレールと人工重力を作っている、と」

「そう。つまり、亜光子をあの小惑星にぶちまけれて一気に崩壊させれば、一時的に、あの小惑星に地球並みの重力を生み出せる。そうすると何ができると思う?」


 私とクレイ中尉、そしてルナがほぼ同時に答える。


「自由落下運動ですか?」

「スイングバイだ」

「ハンマー投げのハンマーになれます」


 お互いに反論しようとした瞬間、シエラ副長が制した。


「すべて正解。まず、自由落下運動で加速する」

「でも、それだけなら、脱出時に減速して、結局同じ速度になってしまうんじゃ……」


 クレイ中尉が反論する。確かにクレイ中尉の言うとおりだ。位置エネルギーとか何かの保存則があったはずだ。中学時代の知識をたぐり寄せる。しかし、シエラ副長は首を横に振った。


「そう思うでしょう? でも亜光子の崩壊で発生する重力は、指数関数的に減衰するから、突入時の重力加速度と離脱時の重力加速度には大きな差ができる。上手くタイミングを合わせれば、トータルではその差の分だけ加速できる」

「……普通のスイングバイよりも加速できるってことか」

「そう。スイングバイは自由落下のベクトルに加え小惑星の公転ベクトルを利用して加速するわけだから、仮に重力子で重力加速度だけが上がっても、この小惑星では心許ない。でしょ?」

「……確かに」

「でも、スイングバイももちろん行う。使えるものは使う。何でもね」


 クレイ中尉は満足したようだ。しかし、ルナの説はどうなるのだろうか。


「そして、最後に、ハンマー投げのハンマー。これも正解ね。小惑星が投擲手とうてきしゅ、重力子はワイヤー、そして我々はハンマー。小惑星自体の質量はそれほどでもないから、このスイングバイで小惑星も動く。その質量と運動量も利用して加速するというわけ」

「あ、運動量保存の法則! 聞いたことあります!」


 ルナズ・ゼミでやったやつー!


「自由落下、スイングバイ、ハンマー投げ。それらの要素を組み合わせれば、ざっと四千KPHぐらいまでは加速できるはずです」


「つまり、渦の重複区間を数時間で抜けられる」


 と、クレイ中尉。


「亜光子をぶちまけるには、十五号車は犠牲にせざるを得ないが、分散動力の予備設備だから、無くても支障は無ェ」

「……だが、一度限りのチャンスになる」


 そう言う船長の額には、汗が滲んでいた。一度限りの賭けに乗るかどうか、決断するのは彼だからだ。


「……よし、やろう。シエラ副長、エド少佐、軌道計算と実施計画の策定を頼む。三十分以内だ」

「はい」

「おうよ」

「クレイ中尉、シエラ副長に付いて机上訓練をしろ」

「ヒカリ少尉、ルナ准尉、引き続き、二人協力して運用主任の任に当たってくれ。残りの電力に注意しろ」

「はい」

「了解」

「必ず生きて火星に行くぞ! 作戦開始は一三〇〇時――」


 その時、船長の言葉を遮って、通信機が鳴った。


『こちら地球指令、今話しかけたのは誰ですか? パンが何ですって? ラーメン食ってて良く聞こえませんでした。再送信してください』


「だってよ」


 船長はおどけた表情で、大げさに両手を挙げてみせた。


 それを聞いて、エド少佐がぼやく。


「……締まらねェな」

「ハッハッハ。ヒカリ少尉、私の代わりにもう一度言ってやれ」

「は、はい」

「救援車として十五号車の代車を要請するのも忘れねェでくれよ」

「そこにラーメンの食材をたっぷり積み込むこともな。命令だぞ」


 最後のはカエルム船長……ではなく、シエラ副長だ。副長が船長の口調を真似ているのだ。そして、私を指さしてウインクする。こ、これはネタ振りだよね!?


「了解、


 私が殊勝な面持ちでそう答えると、ブリッジはドッと沸いた。


「じゃあ、俺は塩ラーメン」

「味噌」

「醤油」

「豚骨」

「ニンニクマシヤサイマシマシカラメマシ」


 各々の勝手な希望を述べて、一人一人散っていった。


 

 私は地球への通信チャンネルを開くため、電力を調整しながら、ルナを引き寄せる。


「ルナ、楽しいね」

「た、楽しい!? ……頭どうなってるんですか?」

「ハイになってると思う」

「……ドクターに診て貰ってください」

「そう言わずに。結局、辛いことも悲しいこともあるけどさ、それも含めて最期の一秒まで楽しまないと、人生って損じゃない?」

「……分かりません。私は怖いです。作戦が失敗すれば、こんな所で私は死ぬんです。私は……嫉妬だけの人生でした。今だって、こんな状況を楽しめる少尉に嫉妬しています。こんな人生……もう嫌です」

「うん」


 私が、ルナの手を強く握り返すと、彼女の目に光が戻ってきた。


「……だから、絶対に生き残ります!」


 そう来なくっちゃね。


 ルナに、気弱な顔は似合わない。自信に満ちて、ちょっと生意気なぐらいがちょうど良い。


 その後、私は地球指令のラーメン氏に救難信号を再発信した。もちろん、ラーメンの注文も忘れない。もしかすると、公式記録に残る最期の声がラーメンの注文かもしれないだなんて、どう考えても面白すぎるでしょ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る