作用と反作用
訓練車に到着すると、ホログラムシミュレーター室の中で、腕を組んで仁王立ちしているルナの姿があった。
「ヒカリ少尉、出頭いたしました」
「よろしい」
と、鼻息混じりの鬼准尉様。今日も絶好調である。彼女は説明を始めた。
「訓練の続きを始めます。いいですか、大事なことは、等速直線運動と、作用・反作用です。OKコンピュータ、シミュレーションを開始してください」
すると、ホログラムシミュレーター内に、空っぽの白い部屋が投影された。天井にも壁にも床にも白いマットが敷き詰められた立方体の部屋である。広さを例えるなら、ミニバスケットボールのコートより少し狭いぐらいの空間だ。見た目も感触も、まるで現実と区別がつかないほどよくできたシミュレーションである。しかし、照明がないのに室内が明るく照らされているのを見ると、これがホログラムシミュレーションなのが分かる。不可視のランプオブジェクトが部屋の中央にあるんだろうな。
……などと考えていると、ふわっと体が浮く。無重力状態となったのだ。
「わわわわ……」
空中で藻掻きながら、あらぬ方向へ飛んで行く私。ルナは溜息をつくと、スッと姿勢を伸ばし、トンと壁を蹴った。洗練された美しい動きで私を追いかける。
「暴れないで。暴れるから変に回転するんです。私に掴まってください」
彼女は私に背中を見せながら、目の前をゆっくり追い抜こうとしている。彼女の手を掴もうとしたが、上手くいかない。
「後ろからしっかり抱きついてください。その方が分かりやすいですから」
彼女のお腹のあたりに手を回して、ギュッと引き寄せる。
……温かい。
新人類は、排熱の関係上、旧人類よりも体温がやや高い。私の場合、ハイブリッドだから、旧人類と同じぐらいだ。旧人類の体組織をなるべく利用する形で新人類のシステムが機能しているからである。まあ……、そのせいで、むしろ冷え性で困っているのだが。
こうして、実際に違いを感じてしまうと、やはり少し寂しくなる。似たような姿形なのに、私たちは別の種族なのだと否応なしに思い知らされるからだ。かつて存在したライガーやレオポンも同じような気持ちだったのだろうか。
「……」
「痛いです。私はぬいぐるみじゃありませんよ」
ルナが不機嫌そうな声で抗議した。
「ごめんごめん」
いつの間にか力がこもってしまったようだ。腕の力を少し緩める。
「いいですか? ジタバタしなければ、姿勢が狂うことはありません。ジタバタしてもしなくても、等速直線運動です。まあ、ここには空気があるので、風で多少は方向を変えられますが、それよりも姿勢を崩さないことのほうが重要です」
確かに、いくら藻掻いても私は進む方向を変えられなかった。
反対側の壁にゆっくり接近すると、ルナが壁をそっと蹴って方向転換する。私たちは、反対側の壁に向かって直線に進み始めた。彼女が器用に手足を動かして姿勢を制御すると、私たちはくるりと宙返りする。反対側の壁に着地?すると、ルナは再び壁を蹴る。今度は別の方向に向かって一直線に進み始める。
「これが基本です。私のまねをしてください」
ルナの動きに合わせて身体を動かし、蹴る、宙返り、蹴る、宙返りを繰り返した。彼女に促され、今度は私だけが身体を動かす。ある程度、空間を自由に動けるようになってきた気がする。
「何だか大昔のコンピューターゲームみたいだね、ブロック崩しとか」
「何ですかそれは」
「まあ、簡単に言うと、等速直線運動をしているボールが、壁で跳ね返ったりするんだよ」
「……それのどこが面白いんですか?」
「今度アーカイブで遊んでみる? 意外とハマるよ」
「いいえ興味ありません」
「なんで~」
「……でも言い得て妙かもしれませんね。無重力空間では、物体は教科書的な理想に近い動きをします。等速直線運動もその一つです。昔のシミュレーションプログラムでは計算量の都合で細かい計算は省略されているでしょうから、似たような動きになるのかもしれません」
「なるほど、そういうことかぁ」
……いや、重力や摩擦、空気抵抗が完全再現されたブロック崩しは……クソゲーでは?
すると、ルナは、コンピュータに指示する。
「OKコンピュータ、私たちの位置と初速度ベクトルを変更してください。位置は、中央。初速度ベクトル、ゼロ、ゼロ、ゼロ」
ルナがそう言うと、シミュレーターに投影されるホログラム空間全体が走馬灯のように瞬時に移動する。私たちは、いつの間にか、部屋の中央で静止していた。壁に手を伸ばすが、遙か遠く。届きそうにない。静止状態だから、どこにも向かえない。
「このように、周りに触れるものがないとき、どうすれば良いか分かりますか?」
「……泳ぐ?」
「やってみましょう」
ルナは私を背に乗せたまま、平泳ぎやクロールの動きをしてみせるが、身体が回転するだけで、ほとんど前に進まない。風のおかげで、動くには動くが、緊急時にはまったく役に立たない速度だ。
「このまま永遠に部屋の中を漂い続けるの!? ……最期に一緒にいるのがルナでよかったよぉ……」
「何諦めてるんですか。あなたと死ぬまで一緒なんてまっぴらごめんですよ」
「そんなぁー」
「こうすればいいんです」
ルナはもぞもぞと私の腕を解き、方向転換する。お互いに向き合う形になった。顔が近い。いや~なんだか照れるなぁ~と思った、次の瞬間、彼女は蔑むような表情を浮かべ、私をドンと突き飛ばした。
すると、お互いに真反対の方向へと、しかし同じぐらいの速度で進み始めた。そう、私だけでなく、彼女も反動で動いているのである。そして、二人ともほぼ同時に、背中から壁に到達する。
「これが、作用と反作用です。同じぐらいの質量なら、作用と反作用の速度はだいたい同じになるということが分かりましたか?」
「……なるほどね」
「でも、こうするとどうでしょう?」
ルナは、今度は自らの靴を脱ぎ、勢いよく投げ捨てる。ルナは靴と反対方向に移動し始めるが、靴の速度に比べるとナメクジのように遅い。
「軽いものを投げると、こうなります。質量とは動きにくさだと習いましたよね」
「……そ、そうだっけ……? そ、ソウダッタキガスルナ」
ルナはこめかみに手を当てる。
「……はぁ、本当に、良かったですね。あのままだったら、基礎的な知識もなく、実務に入ってたんですよ? 恥をかくところでしたよ」
そう、私は自らの尊厳の問題から、一度火星行きをキャンセルした。今は、自らの意思で志願するために、基礎能力試験を受けることになっているのだ。しかし、キャンセルさえしなければ、試験を受ける必要もなかった。全く無知のまま業務に入るはずだったのだ。大臣は任務を拒否することを『我が儘』だと言ったが、あのままだったなら火星側の職員からどのような目で見られただろうか。
「わ、私、専門は技術文化史だから、大丈夫だもん」
「専門以前に、中学で習う基礎の基礎ですよ?」
「皆まで言うでない……」
私は文系のエンジニアだ。人文的な文脈の中でのエンジニアリングに興味があるだけで、これまでは理系のアレコレには興味がなかった。ぶっちゃけ授業すら聞いていなかった。それがここに来て障壁になろうとは、人生分からないものである。
「得られる反作用は、投げる物体の質量によります。質量が大きいものを投げれば、それだけ速い反作用を得られるわけです。OKコンピューター、四トンの鉄球を出してください」
彼女の手にに直径一メートルぐらいの鉄球が現れた。
彼女は、その鉄球を両手で前に押し出す。すると、鉄球はほとんど動かないのに対して、彼女は壁を蹴ったのと同じぐらいの速度で、鉄球と反対方向へと押し出された。
なるほど、質量の大きさは動きにくさ、とはこのことか。逆に、動く鉄球に全力で投げ飛ばされたら、私はどうなってしまうのだろう。
「これだけは覚えていてください。『無重力空間で身動きが取れなくなったときは、物を投げろ』『速く動きたければ質量を使え』、です。いいですか? ふぎゃ」
彼女はすまし顔のまま、頭から壁に衝突したのであった。ちょっと抜けているところが、憎めないよね。
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