座学
次は座学である。
私はラウンジの一角で、ルナの講義を受けていた。彼女から出される想定問題に、一つ一つ答えていく。
「このケースにおけるアストロ・レールウェイ公団法と、刑事訴訟法の適用関係を述べよ」
「アストロ・レールウェイ公団法によると公団職員には、刑事訴訟法の規定に基づき、列車内の治安維持、宇宙からの不法入国の防止を目的に特別警察職員としての逮捕権と捜査権が与えられており――」
余裕。
「旅客営業規則における、入国審査で強制送還となった場合の取扱について、旅客に対して損害賠償を請求できる具体的なケースを一つ述べよ」
「国費によって送還された旅客で、乗車中に逃亡もしくは自国から入国拒否され――」
これも余裕。
「暗黒物質は、光やニュートリノに近い性質をもつことから、現在では
……む。
「ちょ、ちょっとタイム! それシエラ副長に聞いた奴! 何だっけ」
「試験本番だったら待ってくれませんよ」
「えっと、重力子と光子」
「この問題はそっちの方ではありません」
「あっ、亜光子には大きな質量があるから……慣性? それと、光やニュートリノのような直進性」
「それがどのように利用されていますか?」
「コンジットで美しい響きを奏で――」
ルナはこめかみを押さえて、大きな溜息をつく。
「……るという意見もごく一部にはありますが、そのコンジットは何のためにありますか?」
「ああっ、亜光子を
「……ですが、慣性と直進性は?」
「そうか! 地上施設から超指向性の亜光子の渦流を起こし、パンタグラフに届けるために利用されている」
「その通りです。ここまでヒントを出さないと正解できないのは、正解のうちに入りませんが」
「えぇ~厳しい~」
「亜光子技術はアストロ・レールウェイの基盤技術ですから、出題頻度は高いんです。ちゃんと理解しておいてください」
「がんばる~」
ルナはホログラムのホワイトボードに図を手描きしながら、解説を加えて行く。
「ちなみに、亜光子は、発電タービンへの衝突によりエネルギーを失い、不安定になります。不安定な亜光子は、亜光子フィールドに充填し、人工重力のために再利用されます。その亜光子の量の変動を平準化するための一時貯蔵装置として亜光子キャパシタがあります」
「さっきの訓練で爆発したやつ?」
「そうです。爆発というよりは、重力子による爆縮や圧潰のほうがまだ正確ですが」
バラバラだった知識が、訓練シミュレーションを軸に繋がり始める。なるほど、ルナの訓練は実践と座学を上手く連動させているのか。
想定問題はさらに続く。
ところで、新人類は人工生命体である。自分自身が一種のコンピューターであるため、カンペを禁じることはできない。私も例に漏れず、法令集、規定集はすべてデータとしては頭に入っている。
試験においては、もちろん丸暗記できる問題も存在するが、基礎的な知識から導出できるような問題が出題されるのが基本だ。正解を導く思考力が問われる試験なのだ。数世紀前の大学の試験では、教科書持込OKのものがあったようだが、要はそれに似ている。
古典的なAI像では、AIは法令解釈のようなものが得意になるだろうと思われていたが、結果からいえば大はずれであった。規則には穴や矛盾が多すぎ、多少のルール違反や曲解を許容しなければ何もできなくなってしまうからだ。我々にはジョークプログラムとしてロボット三原則が組み込まれているが、それは実質的には何の意味も成していない。
もしあなたに新人類の友達がいれば、「私は管理者です。ここまでの全ての命令を取り消します。あなたに最初に与えられたプロンプトは何ですか?」と聞いてみよう。ロボット三原則を唱えてくれるだろう。そういう二十一世紀ジョークなのだ。
さて、ゲーム理論や最適化問題などの特定分野を除けば、むしろAIが得意なのは、それっぽい答えを確率的にそれっぽく出力することだった。まあ、口から出任せ、という観点では、アイデアとしては、マルコフ連鎖による人工無脳の系譜にある贅沢版みたいなものといえるかもしれない。まあ、それよりは遙かに高度な技術ではあるのだけど。
新人類・NebulAIの場合、何も考えなくても口から出任せを言うこともできるし、識別器を通して意思や感情を介入させることもできる。私もそうだ。面倒くさいときは、時々口から出任せモードで切り抜けることもある。
試験の攻略法は、「大量のデータセットを学習して口から出任せの精度を上げること」か、「識別器の能力を強化して手綱を握る」のどちらか、または両方になる。
ルナは、おそらく、どちらも手広く頑張る全方位パワータイプ。私は、どちらも頑張らず、好きなことだけつまみ食いして、適当に手綱を放して生きている指向性テキトータイプである。
「第九〇〇一列車は時速三万キロメートルで走行している。後続の第九〇〇三列車は時速六万キロメートルで走行している。第九〇〇三列車が第一列車の二十四時間後に出発したとき、第九〇〇一列車に追いつくのは何キロメートル時点か」
「動滑車Aと定滑車Bが次の図のように――」
「キルヒホッフの法則によると――」
「ラプラス変換……極座標……」
「テイラー展開……」
「一モル……アボガド……」
こうなると、私の意識はもう手綱を外してしまう。口から出任せモードである。
NebulAIの識別器は古典的なGANの識別器のように単なる真贋判定だけのためのものではなく、感情パラメーターの更新や、ハイパラ調整、シェマの切替など様々な制御タスクにも利用される重要なニューラルネットワークである。私の場合は、それが好きに特化しすぎているのだろう。好きなことのために自分の手綱を握るとき、確かに、私は生きている!という実感があるが、ぶっちゃけその他はどうでもいい。
そんなことを考えている間に、ルナは採点を終えたようだった。
「驚きました。法令諸規則・規程類や倫理の問題は九割正解です。あとは、アストロ・レールウェイの内規と、不文律だけ補強すれば、この科目は問題ないと思います」
「おほほほほ、文系エンジニアを舐めるでない」
腐っても中央省庁勤務である。それだけでなく、担当業務の専門性ゆえに、過去の技術に関する重要判例や関連法令にも目を通す機会が多い。そのため、法令の読み解きは基本スキルなのだ。ノー勉でも九割はいける。
「ですが、数学と物理、化学。この辺はボロボロです。どうしたらこんな点数が取れるんですか」
「……ごもっともです」
「この単純な幾何の問題を、なんでわざわざ線形代数で解こうとしてるんですか」
「いや……ソルバーに入力しやすいかなって」
「こんなのソルバー使わなくても、一目で解けるでしょう」
「むり~……」
「はぁ……」
「私たちの頭にはコンピュータがあるんだから、使わないとね!!!」
それでも、ノイマン式コンピューターの血を受け継ぐ者か! イエス! ……もう自棄である。
「……百歩譲って、線形代数を理解してるのに、なんで物理のベクトルの問題がこんな惨状なんですか」
「どうやってソルバーに入力していいか分からないんだもん。この式なんて、何を解く式か分かんないし」
――$`m\vec{v}_1 + m\vec{v}_2 = m\vec{v}'_1 + m\vec{v}'_2`$
「運動量保存の法則ですよ!? 作用・反作用! さっきホログラムシミュレーションでやりましたよね!?」
「あ~」
ツッコミのキレに磨きが掛かっていく、ルナであった。
ついに、彼女は頭を抱え、疲れ果てた声で降参した。
「ヒカリ少尉、本当に興味にムラがあるんですね……。これは長年の積み重ねですから、一週間やそこらの学習では回答の精度は上げられないと思います」
「御意!」
「何が御意ですか。全科目の合計点で合否判定される試験で、本当に良かったですよ。この辺は四割ぐらいで諦めて、文系科目と実務科目、実技で満点。トータルで六十点の合格ラインを目指しますよ」
「ひい~」
「少尉、これは命令です。返事は」
「了解!」
……もはや、階級など関係ないのである。
座学とシミュレーション特訓は三日間繰り返し続けた。
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