理解
「五号車一番、と」
自室の前で、指差し喚呼で部屋番号を確認し、扉の解錠操作をする。間違えて他の人の部屋に入ったら大変だからね。
扉が開くと、そこには目を疑う光景が広がっていた。あのルナ准尉が、ベッドに正座し、難しい表情で、壁に耳を当てていたのである。あの裏にはコンジットがある。
「あっ」
「えっ」
衝撃のあまり、私は手に持っていた個人端末を床に落としてしまった。
「……つ、ついに、コンジットの響きの魅力に!?」
ルナ准尉は、顔を真っ赤すると、跳ね上がるようにベッドを飛び出した。その際、上段のベッドに、ゴンと頭を打つ。
「あたっ」
「おお、同志よ!」
「ちがっ、あなたなんかと同類ではありません! こ、こ、こ、これは違うんです。ああ~」
彼女は頭を抱えながら、ヘナヘナとベッドに座り込んだ。
これは主従逆転?のチャンスだぜ!と一瞬思ったが、サリー少尉の言葉が頭を過る。
『彼女があなたに何を期待してるか知って――』
そうだ。私から、真剣にルナ准尉に向き合わなければならないのだ。それなら今がチャンスなのかもしれない。ちょっとサリー少尉の話術を借りてみよう。馴れ馴れしいだろうか……。いや、改まった態度よりも、馴れ馴れしいほうが私らしいし、まいっか。
私は、ルナ准尉の隣に座った。
「ちゃんと聞くよ。私たち、これまでちゃんと話したことがないでしょ?」
「こっ、これは、そんなにコンジットの音がそんなに良いというなら、聴いてみようと思っただけで」
「むふふ~分かった? この美しい音色を」
「分かりません。まったく」
「え~……」
「分かるはずがないじゃないですか。私にとってはただの雑音でしかありません」
「でも、ありがとう、私みたいな変人に歩み寄ってくれて」
「か、勘違いしないでください。ちょっと気になっただけで」
「うんうん。そのうち良さが分かる日がくるよ」
「そんな日は来ません」
ルナ准尉は腕を組んでむくれてしまった。いつもの私なら、頬をツンツンするところだが……。
「ところで、ルナ准尉。火星側への派遣には自分から志願したんだってね。どうして?」
「話せと、ご命令ですか?」
「ううん、公式な志願理由は見たよ。本当のところを知りたいだけ」
「……笑いませんか?」
「もちろん、理由次第では笑う」
「……。まあいいです。理由なんてないんです。私はただ、火星に住んでいる人がいるから、火星に行かないと気が済まないんです」
「行かないと気が済まない?」
「はい。昔から星を見るのは好きでしたが、火星コロニーのニュースを聞いたときから、もしかしたら行けるかも?と思ったんです。そしたら、その気持ちが止まらなくなって」
「おお、同志よ!」
すると彼女はキッと私を睨んだ。
「は……?」
明確な敵意を向けられ、とっさに私はおどけるしかなかった。
「おいおい、上司への言葉遣いはそれで良いのかね?」
カエルム船長のモノマネのつもりである。
「……すみません。でも、あなたは私に気に入られようとして、嘘をついていますよね」
「どうしてそう思うのかな?」
「良いんですか? 言っても」
「率直な意見を述べたまえ」
すると、ルナ准尉は噛みつかんとする勢いで、私に詰め寄った。
「あなたは! ただ、旧人類と新人類のハイブリッドというだけで、何の努力もせずに任務に選ばれただけじゃないですか! 色々お辛いことがあったとは思います。思いますよ? でも、選ばれたからには真剣になってほしいんです。何だか、あなたの言動一つ一つが、これまでの私の努力や選択を全部茶化されているように感じて、嫌なんです! ムカムカするんですよ!」
「……!」
「はっ! わっ、私、なんて事を!……言い過ぎました」
ルナ准尉は、慌てて自分の口を塞いだ。その顔は真っ青だ。
本当だよ。この野郎。
……でも、考えてみればそうだ。私は夢を掴み取るために、どれだけ真剣に努力してきただろうか。そう言われても仕方がないのではないか。
「ううん。そこまで見抜かれてたんだって思って、びっくりしただけ。正直、私がこの任務に乗り気じゃないのは本当なんだ。ハイブリッドだから選ばれただけなんだよ。そんな理由で選ばれたくはなかった。我が儘だよね。我が儘なんだよ……私……」
私がそう言うと、ルナははどう返答するべきか迷っているようだった。私は言葉を続ける。
「でもね、心配してくれてるみたいだから、ちゃんと話すけど、この身体だからって、今まで、あんまり辛い思いはしたことはないんだ。私の背中がああなのも、酷い目に遭ったとかじゃなくて、単に体組織がキメラ状態だからだし」
「……そうだったんですか。よかった」
本気で安心したような口調。やはり根は良い子なのだ。
「心配してくれて、ありがとね」
「ならば、行きたくもない火星に――」
「それも違うよ。私も火星に行きたい。でも、こういう形で火星にいくことは望んでいなかったってだけ」
「……そう……なんですか?」
そうか、彼女は私が何一つ火星に興味がないのに、嫌々行かされている不真面目人間だと思っていたのか。
「うん。私、専門は技術文化史で、火星そのものもそうなんだけど、人々と技術の関わりに興味があってね。でも、その興味を持ったきっかけは、ルナ准尉と一緒なんだ。小さい頃に見たあのニュース。火星と地球は二五〇年ものあいだ断絶していて、お互い独自の発展をしてきた。ルナ准尉も火星の人に興味があるんだよね。どんな生活してるんだろう?って想像するだけでワクワクするよね」
「……はあ」
「研究者としてもマニアとしても、この道はいつか火星に繋がると信じて、一歩ずつ歩いてきた」
私はルナ准尉みたいにストイックにはなれないけどね、と肩をすくめる。
「本当はね、身体がどうだとか、国益がどうだとかじゃなくてね。ただの乗客として、火星に行って、人々の暮らしを自分の目で見て、火星の文化を学び……歴史あるエネルギーコンジットに……スリスリ……したかった」
なぜ、涙声が混じるのだろう。
「……」
ルナ准尉は、私の顔を見たまま言葉を失っていた。私、そんなにひどい表情をしているのかな。
「ほらそこ引かない」
何とか茶化そうとするが、なぜか、目から涙が溢れ出していた。それは地球の周回軌道に乗ったとき、私が流した涙と同じ味がした。感動の涙ではない。こんなに美しい光景を、純粋な気持ちで喜べないことへの悔しさの涙だ。
「悔しい……。」
今、口に出して分かってしまった。
そう、私は、悔しかったのだ。
「なんで……ちょっと我慢すれば良いだけなのに……なんでこんなに……」
自覚すると、もう涙は止まらなかった。大粒の涙がとめどなく流れた。
予想外の展開に、ルナ准尉はしばらくあたふたとしていたが、やがて覚悟を決めたように、肩を貸してくれた。時々、震える手で私の背中をさすってくれる。普段はツンケンしているけれど、やっぱり根は優しいんだなと思う。それにしても、どうしてこんなに格好悪い展開になってしまったのだろう。
それから何時間経っただろうか。
「……落ち着きましたか?」
「……ごめん」
すると、ルナ准尉は言葉を選ぶように話し始めた。
「……嘘じゃないのは、分かりました。今までの無礼を謝罪します」
「こちらこそ、ごめんね。ルナ准尉の気持ちまで気が回らなくて」
「……いえ、さっきの暴言は、言ってはいけないことでした」
「いいよいいよ、気にしてない」
「気にするべきです!」
「えっ」
「気にするべきです。少尉にとって大切なことなんですから。少尉は怒っていいんです。ちゃんと怒るべき時に怒らないから、傷が深くなるんですよ!」
そんなことを言われたら、また涙が溢れてしまう……。再びルナ准尉の肩で、大号泣してしまったのであった。
しばらくしてから、ルナ准尉が切り出す。
「……でも言わせてください。私思うんですけど、それって志願すれば良いだけの話じゃないですか?」
「……えっ? どういうこと?」
「少尉の夢は、火星の情勢が安定し、火星との友好関係が結ばれ、なおかつアストロ・レールウェイが無事開業することが大前提ですよね?」
「……うん」
「認めたくはありませんが、その大前提の突破口を最短で開ける可能性があるとすれば、少尉だけです。客観的事実として、地球側は旧人類は送りたくない、火星側は旧人類を派遣してほしい。その条件を一人で折り合わせられるのは、世界でただ一人、あなただけだからです」
ルナ准尉はもっと何か言いたげだったが、言葉を呑み込んだようだった。想像はできる。彼女は自ら志願し、首席候補者でありながら選ばれなかったのだ。ただ、種族が新人類だからというだけの理由で。私は自分のことしか見えていなかったが、考えてみれば、彼女は私の裏返しのような体験をしているのだ。それなら、少なくとも私と同じぐらい、いや努力の人である分、それ以上に悔しかったに違いない。
彼女はさらに続ける。
「この任務は少尉ご自身の夢を叶えるために避けられないことです。国から指示されてもされなくても、その事実は変わりません。だったら、自分から志願すればいいんですよ。難しいことは抜きにして、ご自分の夢を叶える為に」
私は考えを巡らせる。私はなぜ自分の尊厳が傷付けられたと思ったのだろうか。明言こそされなかったが、特に実績もない無能な私が、暗にハイブリッドであることだけを理由に、一方的に危険な仕事を押し付けられたからなのだ。だから、夢を踏みにじられたような気持ちになった。もし、その前に私がアストロ・レールウェイ・プロジェクトに誘われていたなら、私は心から喜んで志願したことだろう。まあ、私は無能だから、誘われるはずもなかったんだけど。
「もう過ぎたことなんだよ……」
「そうでしょうか? その辺は任せてください。私のほうが頭が良いので」
ルナ准尉は、ナチュラルな失言を交えつつ、色々教えてくれた。書類上、火星に着任するまで、私はこの船に所属していることになっていること。それ故に、火星への転属には船長の同意が必要となること。つまり、船長が却下すれば、国が何と言おうと、火星への配属の話は一度流れるということ。それならば、船長の責任で国のメンツを潰すことになるため、私個人の責任は問われないであろうこと。そして、その上で、私は改めて志願できるということ。そのため、一度話を流し、火星到着までに志願すれば良いということだ。
書類上だけの話かもしれないが、私は選択をやり直すことができるというのだ。
船長はそんな面倒臭いことに協力してくれるだろうか。
『ハッハッハッ、よく言った。覚悟は人に言われてするものではなく、自分でするものだからな』
彼のそんな言葉を思い出す。
きっと、協力してくれるだろう。これは私が覚悟を決めるために必要なことだからだ。
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