離陸


 私は副長に誘われ、副長の隣の補助席に腰掛けた。シートベルトを忘れず着用する。


「パイロット、離陸準備開始。ユー・ハブ・コントロール」


 船長の一言で、ブリッジの空気がピンと張り詰める。


「離陸準備開始、了解。アイ・ハブ・コントロール」


 クレイ中尉は、船長の命令を復唱し、コンソールパネルを操作する。


「機関部、発電機確認」


 船長がそう指示すると、船内通信で応答がある。


『こちら機関部。亜光子渦流取込装置パンタグラフヨシ。亜光子あこうしタービン、回転数安定。発電機、出力安定。問題ねェ』


 船長は、満足そうに頷くと、さらに指示を続けた。


「パイロット、亜光子あこうしフィールドエミッター起動」

亜光子あこうしフィールドエミッター起動、ヨシ」

「進路構成、方位〇三〇、仰角九〇パーミル」

「進路構成、方位〇三〇、仰角九〇パーミル、ヨシ」


 すると、グォンという低い響きとともに、二筋の青白い光が夜闇を切り拓いた。その光は弧を描きながら、遙か上空へと伸びていく。その光跡に導かれるように光の粉が集まりはじめ、やがてそれはレールと枕木の形を形成して行く。


「これが、亜光子あこうしのレール……」

「見るのは初めてですか? 少尉」


 副長は手持ち無沙汰なのか、私に話しかけてきた。副長は指揮部門に所属するものだと思い込んでいたが、制服には科学部門を表す「SCIENCO」の文字がある。なるほど、科学部門は離陸時には蚊帳の外らしい。


「はい。綺麗ですね。暗黒物質と呼ばれていたものが、こんな風に光るとは」 


 亜光子は、二十一世紀までは暗黒物質と呼ばれていた物質である。暗黒物質は、光や電磁波を発さず、観測できないから暗黒物質と呼ばれていたはずのだが。


「厳密には、亜光子あこうしそのものが光っているのではなく、亜光子あこうしフィールドによって凝集した亜光子あこうしが崩壊する過程で、重力子と光子が放出されているんです。それを人工重力に利用しているの」


 ただ、一つだけ疑問がある。


「……ところで、なぜ古めかしい枕木の形なんです? 理論的には、せめてスラブ軌道のような形の方が人工重力が安定するんじゃ」

「『映え』よ」

「『映え』かぁ……」


 それじゃあ仕方がない。


 世の中は『映え』で動いているのである。それは、つい技術者が忘れがちなことだが、歴史が証明している。ある意味、それが文化といえるものなのだろう。私が文化技術復興省で学んだことの一つだ。


 そんな私たちの会話をよそに、船長はさらに指示を続ける。


「サリー少尉、ATC切替」

「ATC切替ヨシ、太陽系ATCに切り替わりました。移動閉塞フィールド展開……ヨシ。TCAS互換モード、有効です」

「では、指令に発車許可を」

「地球指令、こちら九〇〇一列車、発車を許可願います」

『こちら地球指令、九〇〇一列車、発車を許可します。良い旅を』


 続いて、パイロットのクレイ中尉が報告する。


亜光子あこうしフィールド安定。信号、三万KPH。発進できます。ご命令を」


 一瞬の静寂。全員が船長の声に耳を傾ける。


 船長が前方を指差し、命令を下した。


「九〇〇一列車、発車!」


 パイロットがコンソールパネルのマスターコントローラに指を滑らせる。


「九〇〇一列車、発車。了解」


 列車が前進すると、ふわりと浮く感覚があった。シエラ副長によると、これは亜光子による重力制御のタイムラグによるものだ。


 列車は光のレールに沿って、空に吸い寄せられるようにぐんぐんと速度を上げていく。列車はプラズマの光に包まれながら、周回軌道を目指した。


 空気抵抗を受けて車体が大きく揺さぶられる。シートベルトを着用していても、投げ出されるのではないかと思ったほどだ。幸いにも重力補正があるため、車内は1Gを保っているが、どうも制御のタイムラグで内臓が気持ち悪い。夕飯を後回しにして正解だった、などと思う。


 やがて、振動は小さくなり、プラズマの光が薄れて行く。


 いつしか窓の外には青く美しい星が見えていた。


「周回軌道に乗りました。各システム正常」


 歓声とともに、空気がいくらか和らいだのが分かった。


 船長は私に振り向いて微笑んだ。


「ヒカリ少尉、宇宙へようこそ」



 そう、私は今、宇宙から故郷の星を見下ろしているのである。その美しい光景を眺めるうちに、いつしか私の頬には涙が伝っていた。しかし、その涙の味は……。

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