B個室シングルツイン5号車1番パン下上段


 カエルム船長が言った『覚悟は自分でするもの』という言葉が耳から離れなかった。それは優しくもあり、最も厳しい言葉であった。私には覚悟がない。私は心を地球に置き去りにしたまま、列車だけがどんどん先へと進んでいるように感じていた。


『ヒカリ・サガ少尉の部屋は五号車一番です』


 コンピューターに案内され、なんとか私は自室に辿り着いた。寝台車は五号車から七号車で、すべて個室寝台である。


 扉を開けると、二、三畳ほどの狭いスペースに、枕木方向の二段ベッドと、執務机がコンパクトに詰め込まれていた。窓は大きく、上部は少し湾曲して天井の際まで達している。上段でも車窓を楽しめる仕様だ。幾分こざっぱりとしているが、調度品に無機質な印象はない。旅客用車両のプロトタイプなのだろう。


 五号車はすべてこのタイプの個室のようだ。案内図にはB寝台シングルツインと書かれている。六号車には一人用のB個室ソロ、七号車にはA個室シングルデラックスとS個室スイートがあるらしい。設計図を参照すると、S個室スイートには専用トイレやバスタブまであるとのこと。なんだそれ、うらやまけしからん。


 まあ、部屋の数から考えても、貴賓や船長クラスじゃないと利用できないのだろう。しゃーなしである。



「そうだ、アレを試してみよう。OKコンピュータ、私物を物質転送して」

『物質転送します』


 荷物車に持ち込んでいた私物のキャリーケースが、シャラーンという共鳴音とともに目の前に実体化した。


「うへへ~、これだよこれ~」


 最新技術はただ愛でるのみである。


 さて。


「OKコンピューター、扉をロックして」

『ロックしました』


 キャリーケースから私服を取り出して、制服のジャケットを脱ぐ。


 地球アストロ・レールウェイ公団の制服は白と濃紺のツートンだ。


 基本的なデザインは高級ホテルの詰め襟タイプのベルボーイの服を二十一世紀のNASAの船内服に寄せたようなデザインである。ただ、 ワッペン類は省略され、シンプルな社名ロゴと肩章の階級章のみとなっている。生地は分厚く高級感がある形態安定生地である。左胸に部門別のアクセントカラーのラインがあり、そこに地球公用語で所属部門名が書かれている。私の場合、橙色のラインに「INGXENIERO」――つまりエンジニア、技術部門である。


 格好はいいが、正直言ってなんというか窮屈だ。見た目に反して、ジャージー並みに伸縮性と通気性に優れた素材だから、それは物理的というより精神的なものなのだろう。私は、一刻も早く脱ぎ捨てたかった。


 また、涙が溢れそうになる。


 ……どうして、私はこうなんだろう。我が儘で救いようがなくて。でも趣味を追い求める心は止められれなくて。けれどもやっぱり許せなくて。


 私はそんな思いを振り払うように、ジャケットをハンガーに掛ける。


 心を空に……しようとすると、今度は、ルナ准尉のゴミを見るような目が脳裏を過る。


 そういえば、ルナ准尉の制服は青色のラインに「PASAGXERO SERVO」(旅客サービス)と書かれていた。だから、私は案内係だと思い込んだのであった。


「あーあ、失敗したなあ」


 考えてみれば、ルナ准尉はこの船のクルーとしてではなく、火星の駅の旅客サービス係として着任する予定だったのだろう。私だってこの船じゃ妖怪コンジット頬ずり人間(?)であって、エンジニアというわけでもないし。


 しかし、どうしたものか。第一印象を拭うのは難しいということは私もよく知っている。それだけに、二年間をともに過ごす同僚に嫌われては、先が思いやられる。


 溜息をついて、インナーウェアを脱ぐ。これも支給品である。


 その時だった。


 突然、部屋の扉が開いた。


「うわっ」

「ぎゃっ」


 立っていたのはルナ准尉だ。


 あれ、私ロックしたはずだよね!?


 私はバグを疑う一方、ルナ准尉の顔には怒りが満ちていく。


「私の部屋で何してるんですか! そんな格好で」


 ルナ准尉は、ずいと踏み込んでくる。


 何かとんでもない誤解を生んでいるような気がして、私は反論した。


「え、私の部屋はここですけど?」

「!? ……そんなはず! OKコンピューター? 私とヒカリ少尉の部屋を教えてください」

『ルナ准尉とヒカリ・サガ少尉の部屋は五号車一番です』


 つまり、それは――。


「ルームシェアってこと?」

『その通りです』


 コンピューターは私の問いに肯定した。


 ルナ准尉は目を白黒とさせた後、眉間にしわ寄せ、こめかみを押さえた。


「……船長ですね」


 その推測は恐らく正しい。クルーの人数よりも個室は多いはずなのだ。一人一部屋を割り振っても余りが出る。つまり、誰かが意図を持って同じ部屋を割り当てたことになる。その権限があるのは基本的には船長である。


 ルナ准尉は隠そうともせずに大きなため息をついた。


「まあまあ、ルームメイトとして仲良くしましょうよ」


 そう言いつつ、早く着替えを終わらせたい私は、私服のインナーウェアに手を伸ばす。


「あなたのような人と……」


 そこまで言いかけて、彼女は目を見開いた。


「ちょ! 少尉!」

「……?」

「OKコンピューター、ブラインド!」


 彼女が慌ててそう言うと、車窓が白く曇った。


「おおっ! そんな機能があったなんて」

「一体、何を考えてるんですか!? ブラインド閉めずに着替えるなんて」

「えー、宇宙ですよー。誰も見てませんよ」

「いいですか、少尉。ここから夜の地球が見えるということは、夜空を見上げる人、みんなに見えてるってことなんですよ。そういう趣味なんですか!?」

「そう言われると恥ずかしい気もしてきたけど……」


 うーん、いや、高速で動く光の点としか見えないのでは……。


 まあいいやと、インナーウェアに腕を通そうとする。だが、ルナ准尉は不満爆発といった様子でくどくどと説教を続けていた。淡くて儚げな声質は、耳には心地よいが、辛辣である。


「少尉、出向者とはいえ、あなたはアストロ・レールウェイの上級職員です。風紀を乱……ひっ!?」


 またもやルナ准尉が絶句する。チラリと目をやると、彼女の目は私の背中に釘付けになっていた。


「ああ、これ気になります?」


 そりゃびっくりするよね。


 私は日系の旧人類の家系のため、基本的には黄色人種の外見である。ただ、知っての通り私は新人類とのハイブリッド。私の左の瞳はブラウン、右の瞳は鮮やかなグリーン。そして、癖っ毛の黒髪にメッシュのように混じる青緑の毛髪。旧人類と新人類の特徴が混ざっている。ある意味分かりやすい外見だ。


 でも、それだけではないのだ。


 背中や四肢には、新人類の白い肌の部分がまだらに混じっている。見た目を例えるなら、ボロニア地方のモルタデッラソーセージ(ただし、グリーンペッパー抜き)のような感じだ。そのため、虐待された痕だとか、ひどい火傷の痕だとか勘違いされることも多い。


 ルナ准尉は視線を泳がせ、顔色をコロコロ変えたのち、


「き、気になりません! 何も見てません! 失礼しましたっ!」


 そう言って、下段のベッドに飛び込み、カーテンをピシャリと閉めてしまった。彼女も勘違いした口だろう。


 誤解を解くべきか、しばし考える。まあ、少し反省してくれるならそれで良いか。


 ……というより。


「あのー、私下段がいいんですけど」


 私がそう言うと、カーテンの奥から小声が聞こえてくる。


「……この真上には亜光子渦流取込装置パンタグラフがあります。上段の方がコンジットも近いので振動も楽しめますよ。よかったですね」

「そっか、ありがとう」


 なんだ、可愛いところもあるじゃないか。


 そんなことを思いながら、私は上段のベッドに上がり、壁に頬ずりしながら眠りに落ちた。


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