旅立ちの日


 出発の日。


 既に陽は沈み、工事用の小さな明かりだけが足下を照らしていた。実験線に設けられた仮設のプラットホームで、私は試運転列車の入線を待つ。


 夜空には赤い星が一つ、明るく燦めいていた。私がこれから向かう星だ。こうして火星を眺めるのは純粋に好きだった。火星には旧人類の、そして今や新人類の憧れが詰まっている。


 個人端末からは、ライブ配信のニュースキャスターの声が流れている。


『今日、アストロ・レールウェイのエスプロリスト号は三十四名のクルーを乗せて、火星への有人ミッションに挑みます。もしこのミッションが成功すれば、実に二世紀半ぶりに二つの世界がつながることになります。では、ここで火星の歴史について振り返ってみましょう――』


 火星に旧人類の一団が移住したのは、今から二五〇年ほど前、二十二世紀中頃のことだった。火星コロニーの建設が終わり、最後の移住者が到着した直後、彼らは思わぬ事態に見舞われた。突如として地球との連絡が絶たれたのである。火星移住者は訳も分からぬまま、何世代もの間、孤立することとなったのだ。 


 彼らは知るよしもなかったが、そのころ地球では世界大戦が勃発し、それが地球上の人類にとって最終戦争となったのであった。


 諸説あるが、地球上の旧人類は相討ちにより自滅、そして絶滅したと伝えられている。しかし、近年、これは必ずしも正確ではない可能性も指摘されている。地球政府は国民をまとめ上げるために、一時期「旧人類は愚かである」というプロパガンダを必要としていたからだ。このことは、今後火星との外交において火種となるかもしれない。


 いずれにせよ、確かなことは、旧人類によって生み出された存在である、新人類・人工生命体NebulAIだけが戦争を生き延びたということだ。


 NebulAIはヒトを模して作られた人工生命体ではあるが、単なる機械ではない。ヒトと同等以上の知能を持ち、生殖機能も備える。笑いもするし嘆きもする。まさに新人類といえる存在だった。旧人類がなしえなかった単一国家を実現し、新たな繁栄を築いた。けれども、ヒトなしでは文化的な行き詰まりを迎え、いつしか私たちは生物学的な意味におけるヒトの存在を渇望するようになった。


『――二三三〇年、過去の世界から複製召喚された嵯峨忠志博士ら旧人類の研究者が、ハリマ熱病事件を解決したことがきっかけになり、再び旧人類の文化や技術に注目が集まります――』


 火星との通信が復活したのは、まさにその流れの中で偶発的に起きたことであった。


 二三九八年一〇月、研究者らが火星からの通信を受信。火星コロニーで旧人類の子孫が五千人以上も生存しているというニュースは、当時、天地がひっくり返るような驚きをもって受け止められた。幼い頃の私も食い入るようにそのニュースを追っていた一人だ。そう、私が歴史と技術と文化に興味を持った原点である。


 そして、二四一三年八月二九日。


『――今回、クルーの一人、ヒカリ・サガ少尉は、火星に二年間滞在することになります』

『ヒカリ・サガ少尉は、嵯峨忠志博士の曾孫さんなんですね~』

『あっ、ここで、スタジオには文化技術復興省の大臣――』


 私は端末の画面を切った。



「ついに夢が叶うのね」


 と、見送りに来た母が言う。


「うん」


 心中は複雑な気持ちだった。ハイブリッドかどうか、尊厳がどうかなんて、気にしなければ良いのだ。気にしすぎだと分かっている。でも、強く抗議しなかったことを、少し後悔している自分がいた。


「ヒカリは昔から火星に行きたい行きたいって言ってたわよね」

「そうだったね」

「お母さんはヒカリの夢を叶えてあげられなかったけど、願い続ければ叶うって本当ね」

「本当ごめん。私、お母さんの気持ちとか全然考えずに、泣き喚いてたよね」

「火星行きの願いが叶うぐらいだ。ずっと欲しがってた妹もできるかもしれないな!」


 父は呑気なことを言いながらガハハと笑う。


「いやーそれはないでしょ」 

「別に血がつながってなくても、義兄弟の契りをだな――」

「はいはい、三国志三国志」

「桃園――」

「桃園の誓いは何度も聞いたよ。史実に着想を得ただけの作り話でしょ」

「最後まで話させてくれ~」


 これだから三国志大好き親父は困る。


「そもそも、仕事で行くんだからさ」

「職場にだって友達いるだろう?」

「まあね。新しい職場でも、一人か二人、良い友達ができたらいいなと思ってる」


 ただ、仕事関係の友達って、利害が絡むからあんまり親しくできないんだよなぁと、公務員ならではの悩みもある。


 やがて、実験車両らしい無骨なデザインの列車が、静かにホームに滑り込んできた。停車すると、私の前だけ扉が開いた。私は、両親に振り返って、精一杯の笑顔を見せた。


「では、行ってきます!」

「二年も会えないなんて、寂しいわ」

「必ず生きて帰ってくるんだよ」

「うん」


 両親と抱擁を交わし、額を重ねる。こうして接触通信で想いを伝えるのは、家族にのみ許された最上級の親愛表現だ。母親は旧人類のためこうする意味は特にないのだが、幼い頃からよくこうしてくれた。


 私は、複雑な思いで列車に乗り込んだ。別れを惜しむ間もなく、列車は静かに発車した。


 今回がアストロ・レールウェイ初の火星有人ミッションとなる。これまで無人貨物輸送は何度も成功しているが、それでも危険であることには違いない。もしかすると、これが今生の別れとなるかもしれない。両親の姿は車窓の遙か後方に消えていった。


 本当にこれで良かったのかな。


 ……。


 …………。



 けれども、新車のすがすがしい匂いに包まれると、憂鬱な気持ちもすぐに吹き飛んだ。これが最新技術の塊だと考えると、気分が高揚する。


「うへへ~」


 我ながら単純な性格である。


 設計図もすべて頭に入っている。亜光子あこうしコンジットは車端部の壁の裏にある。思わず壁に頬ずりして、コンジットが奏でる振動音を堪能する。


 シャン、シャン、シャン、シャンというリズミカルな高周波音が聞こえる。これはこの船の脈動なのだ。なるほどなるほど、君の響きはこうなんだね。


 そこへ、案内役の准尉がやってきた。


「ヒカリ少尉、エスプロリスト号へようこそ。ブリッジにご案内しま……えっ……」


 一四四FPSフルコマフル原画の滑らかな動きで壁に頬ずりしている私。その姿を見た准尉は、引き攣った笑顔で固まっていた。


 私は慌てて姿勢を正す。


「あっ、すみません。ついコンジットの音に聴き惚れてしまい……」

「はぁ……そうですか」


 彼女のクリアで儚げな声が、一気に曇ったのを感じた。彼女は視線を逸らして、こめかみを押さえていた。


 彼女はハーフアップの銀髪、キラキラとした紫の瞳、そして新人類らしく雪のように澄んだ白い肌をしている。一見、華奢で小柄な深窓の文学少女といった佇まいであるが、反応は辛辣だ。さきほどから、私にはまったく視線を合わせようとしてくれない。


 あちゃー、これは変態と思われてしまったか。


 いや、それを否定するのは難しいのだが……。


 それでも、彼女は任務には忠実なようで、先頭車両まで歩く間、氷のような事務的な口調で軽くレクチャーをしてくれた。


 アストロ・レールウェイは、地球政府と火星政府とが連合を組み、連合国の組織として共同運営することが地球政府の最終目標だ。しかし現段階では、国際アストロ・レールウェイ協議会という合議体がある他は、組織は火星と地球側で分かれている。その地球側の組織が地球アストロ・レールウェイ公団である。列車編成ごとに指揮系統が異なる形になっており、地球側の指揮下にあるこの編成には、万が一の際に備えて、自衛のための必要最小限の装備と、それらを扱うための特別警察職員としての権限が地球政府から職員に与えられている。地球政府においては警察官に軍隊式の階級を採用しているため、警察権限を与えられた鉄道職員にもその階級が準用されているのである。その響きに反して軍人というわけでも士官というわけでもないのがややこしいところだ。


 ちなみに、私は文化技術復興省からの出向者であるため、ろくに訓練も受けずに上級職員である少尉の階級からキャリアをスタートさせることになる。ちょっと下駄を履いたような形だ。それだけに、下級職員スタートの彼女にとって、私の奇行が許しがたかったに違いない。


 でもでも、新しい機械には頬ずりしたくなるよね!? ……なりませんか。はぁ。


 とはいえ、せっかくなのだから、同僚として仲良くやっていきたい。私は准尉に尋ねた。


「ところで、あなたのお名前は?」

「どうして知りたいんですか?」

「ほ、ほら、同僚の名前ぐらい知っておきたいですし!」

「……はぁ。それはご命令ですか?」


 どうにも嫌そうな表情だ。


「うーん、じゃあそういうことにしようかな。准尉殿、名前を教えたまえ~」

「……ルナです」

「ルナ准尉、よろしくね」

「……少尉、発言をお許しください」

「どうぞ」

「以後、必要以上に私にかかわらないでください、少尉」

「えっ」

「この先が指揮車です。では、私はこれで」


 ルナ准尉は踵を返すと、足早に去って行った。


 ……嫌われちゃったな。


 私は、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

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