かいこう-4-
次の日も、その次の日も。
二人は海の真ん中で逢瀬を重ねた。
仲間が漁に出ている時間の逢引だから知られることはない。
もしバレたとしても漁師がボートを使うのは自然なことだ。
調子が良くなったから素もぐりをしていた、とでも言えばいい。
海上で見つかっても女ならすぐに身を隠せるだろう。
いささかの後ろめたさはあったが、女と言葉を交わせる喜びに比べれば些細なものだ。
「ねえ、それは何?」
「スカーフさ。本当は頭や首に巻くんだけど」
男は市場で買ってきた赤いスカーフを
「これで似たような船が通っても区別がつくだろう? きみに会いに来るときはこれを結んでおくよ」
そよ風になぶられたスカーフが恥ずかしそうにはためいた。
女の頬にわずかに赤みが差す。
幸せだった。
彼は満たされていた。
陸にいても、漁に出ても満たされなかったものが。
ここでは――。
彼女といるときだけはあらゆる不平や不満を忘れることができた。
「――だから天気の良い日は遠くまで泳ぎに行くこともあるの。この辺りの海で知らない場所はないんだから」
「遠くってどこまで?」
「ずっと向こう! このボートじゃ行けないところね」
彼らはいろいろな話をした。
町のこと、海のこと、星空のこと、趣味、好きな食べ物……。
似ている部分もあったし、正反対のこともあった。
共通点があればお互いに嬉しくなるし、そうでなければよい刺激になる。
彼と彼女の交流は、二人にとっては驚きと発見の連続だった。
「羨ましいな。僕たちは長い時間、泳ぐことはできないから」
「ふうん……人間ってとっても不便な生き物ね」
彼女はよくこう言う。
けして人間を見下しているのではなく、自分との違いにいちいち驚いているのだ。
「前にも訊いたけれど、きみは何者なんだい……?」
問いに女は少しだけ悲しそうな顔をした。
「あ、いや、言いたくないならいいんだ。今さらきみが何者であろうと僕の気持ちは変わらないし――」
「私は鏡みたいなものなの」
彼女は天を仰いだ。
「私のことを人魚だと思っている人にはそう見えるし、怪物だと思っている人の目にはそう映るの」
それから真っ直ぐに彼を見つめ、
「あなたは? 私がどんなふうに見えているかしら?」
期待と不安が混じり損ねたような声で問う。
男はしばらく黙っていたが、やがてためらいがちにこう答えた。
「とても……魅力的な女性に見えるよ」
彼の手は自然と伸び、彼女の白く柔らかな肩に触れていた。
冷たい。
釣ったばかりの魚のような、ひんやりとして弾力のある感触だった。
「うれしい……」
彼女もそうした。
そして互いの距離をゆっくりと縮め、唇を重ねる。
ああ、この幸せが。
いつまでも続けばいいと。
彼も彼女も思った。
だが日没がそれを引き裂く。
昼が終わり、夜が始まると男は灯台の光に向かって帰っていく。
女はそれを見送る。
これが二人の、変わらぬ営みであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます