17・18 今はただ、二人のために (2月5日更新)
詩梛が去った病室は静まりかえっていた。
佩李はまた本を手に取り、読み更けていた頃、
「佩李様ぁ、来ましたよ」
「……佩李様」
壱景と千梛がドアの向こうから顔を覗かせる。
佩李は思わず眉をひそめる。
「………明日、退院すると言ったはずだが……」
「はい、手帳に書き込みました」
「退院のサプライズも用意しました」
千梛の口にした後の「しまった」という表情と、壱景の驚愕した表情を交互に見比べながら佩李は思わず笑ってしまう。もうすでに「来なくていい」と何度も伝えたはずである。それでも来るのだから、もう止めるまい。
「……そうか」
佩李は手に持っていた文庫本を脇に置く。
「……壱景、千梛。体調はどうだ?」
「元気ですよ」
「…大丈夫、です」
二人ともそう言って顔を見合わせ、佩李に笑顔を見せた。
「よかったな」
佩李はただそれだけ言って静かに目を閉じた。
藤沢真紀子が無事であることは千梛から聞いていた。千梛の前では話題に出すことを避けていた二人であったが、意外にもそのことを報告したのは千梛の方からであった。
「藤沢先輩、私立の高校に転校したらしいです。そっちで元気にやってるって…」
千梛は表情を変えることなく坦々とそう言った。もともと、兄に似て表情には出づらい性格であったが、今回に関しては感情を隠すような素振りさえ見せることはない。佩李と壱景からすると、そのことの方がより不安を掻き立てた。しかし、本人が触れない以上、こちらから言及する必要もないだろう。
「あの人もまた、被害者なんで」
千梛は藤沢のことをそう言ったが、壱景は納得していないようだった。親友であり、仕事仲間を拉致監禁した事実は、彼女の中で相当に重い。ただ、本人がその事を咎めてないからこそ、千梛の思いを無下にはできなかったのだ。
だから佩李もまた………ある事実を彼女たちに言わなかった。
「佩李様、これからなぎちゃんと映画を見に行くんです……」
「映画?」
本から顔を上げ、ゴロゴロと佩李のベッドの上でくつろぐ壱景に視線を送る。佩李に見られていることに気づいてか、壱景は恥ずかしそうに捲れ上がったスカートを直し、バラついた髪をまとめてポニーテールをつくる。
「はい、洋画です……なぎちゃんが見たいっていうから」
「一人じゃ、無理……ふぁ」
千梛は恥ずかしげもなく佩李のベッドの上で丸くなって欠伸をする。
「なので、今日はおいとましますね」
ようやく静かになった病室で、佩李は窓の外を眺める。三階の病室の窓からは、二人が玄関を抜け、バス停へと歩いていく姿が見える。佩李の視線に気がついた二人は振り返り、こちらに手を振る。
———『……あの人もまた、被害者なんで……』
千梛の言葉が蘇る。
———……それはきっと事実だろう
佩李もそのことを否定するつもりはなかった。藤沢の人生は、この一件を受けて大きく変わったのだろう。力が無くなったところで、呪いが解けたところで———彼女の心についた傷が癒えるわけではない。それもわかってはいる。
———だが…
それは、千梛の知らない事実であり、壱景も気づいていないことだ。だから、佩李はその事実を言わなかった。
———だとすれば、呪死体は……なぜ、あんな状態で見つかった…?
【首切り蟲】は、首を切ることしかしない。だとすれば、深田、杉浜、吉野の三人の呪死体は、誰があの状態にしたというのか。芸術だと言わんばかりに、深田と杉浜の頭部を胴体に持たせ、吉野の体を天井に縛り上げた…。そこに、歪んだ思考や復讐心は無かったと言えるのか。
本当に藤沢は被害者と、言えるのか。
———結局、人間の問題か…
佩李はそう思いながら、二人に手を振りかえす。二人は満足したかのように笑顔を浮かべ、またバス停へと歩き出した。
———その真実は、わからない…
彼女たちの後ろ姿が見える。
———それでも…今は、
彼女たちの制服の襟から伸びる頸が、佩李には白く輝いて見えていた。
完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます