19 もう一つの真実 (2月5日更新)
「……まずい!」
杉浜が目覚めたのは午後九時。恋人からの着信音がタイマーになった。その日は十時から撮影補助のバイトがありミーティングが始まるのは九時三十分。今すぐ出発しないと、間に合わない時間である。杉浜は恋人に短いメッセージだけ入れると、すぐさま準備をする。
「クソ…昨日、飲みすぎたせいだな…」
昨日、夜遅くまで深田と吉野の三人で酒を交わしながら卒業旅行の相談をしていた。場所は決まらなかったがその話は大いに盛り上がった。
「おせぇぞ!杉浜」
「……すみません!」
先輩の怒声を受け、杉浜は深々と頭を下げる。杉浜が到着したのは、九時四十二分。必要最低限の準備をし、自転車で出せるだけのスピードは出したものの、ミーティングには間に合わなかったのだ。
杉浜がバイト先の撮影所に顔を出したときには、もうすでに多くの人が、撮影のためのセッティングを行なっているところだった。
「お前なら聞かなくても準備できるだろ……今日は新入りもいるから、お前が倍働け‼︎」
「うっす!」
午後十三時半。ようやく撮影会は落ち着きを見せ、モデルも控え室に戻っていった頃、杉浜はスタジオにある錆びたパイプ椅子に座る。
「はぁー」
自然とため息が溢れていた。バイト先に到着してからここまで、休憩なく動き続けていた。重労働に耐えた体が重い。
「……杉浜さん、隣いいですか?」
杉浜の横にはずいぶん若い少年が立っていた。
「ん?……ああ」
少年は杉浜の隣のパイプ椅子に座る。杉浜は初めて見る少年に戸惑いながらも、先輩の言葉を思い出していた。
———…そうか、新入りが来ていると言っていたな…
おそらく杉浜が遅刻したミーティングで紹介があったのだろう。その事を思い出しばつの悪い思いをしながらも、何の話をしようかと杉浜が決めかねていた時、少年が唐突に口を開いた。
「杉浜さん……廃墟に興味があるって本当ですか?」
「…えっ?」
少年は目を輝かせながら、杉浜を見ていた。
「なぜ、その事を……」
「さっき、吉住さんから聞いたんです」
吉住とはバイト先の先輩であり、先ほど、自分を叱咤した人物でもある。
「僕、いいところ知っているんですよ」
「…ほぉ、本当か」
杉浜は、最初、話半分で聞くつもりであった。ましてや、本当に卒業旅行で行こうなどとは思ってすらいなかった。
「……すまない。その前に名前を聞いてもいいか?俺は今日、遅刻したもので……」
「ああ、ごめんなさい。そういえば言ってなかったですよね……」
少年はそこで少し笑った。
「僕の名前は…」
「……困ったわぁ」
夫の源平はあまり物にこだわる人ではなく、物も多く所有することはなかった。自分で服を選ぶことすら億劫で、大体は裕子が買った物であった。
とはいえ、本は別である。
源平の書斎の床には所狭しと本が積み上げられ、四方の壁を隠すかのように高くそびえる本棚にも本がギッシリと詰まっている。
「本ってかさばるのよね…」
それに加えて、運ぶとなると、裕子には重いのだ。
仕方なく、裕子はバイトを雇い、本の整理を行うことにした。
後日、五人の若い男性が集まった。その内の一人は、どこかで見たような少年ではあったが思い出せなかった。まぁ気のせいだろうと、裕子は深く考えることなく、遺品の整理を彼らにお願いする。裕子は、そのまま買い取って貰おうと思っていた。
「あの、この本って……」
数時間経って裕子が書斎を見に行くと、少年が裕子の前に白い布を掲げた。それは、白い布に包まった、大きめの本である。
「あら、こんな本………あの人持っていたかしら…」
裕子は少年からそれを受け取ると、丁寧に布をめくる。その隙間から古びた本の姿が見えた瞬間、裕子の全身を悪寒が走り抜ける。
———これは、私が知っていい本じゃない…
今になって、なぜこの本が、白い布で包まれていたのかを悟った。少年は、裕子の姿を見て不思議そうにしている。裕子は静かに布を戻し、また同じように包もうとした時、一枚の栞らしき紙がヒラリと落ちて、裕子の足元にのった。
少年が身をかがめ、それを拾い上げると裕子に渡す。
「………【首切り蟲】…?」
少年は、そう口にした。
裕子にはその言葉の意味が理解できなかったが、不安はだんだん大きくなる。
「なんでしょうね、これ……何かの呪いの本だったりして…」
少年は冗談じみた声で裕子に話しかけるが、裕子はそうとしか思えなかった。
———もしかして、夫の『呪い』に何か関係あるのだろうか…佩李さんに…聞いてみようか……
「大丈夫ですか?」
少年が心配そうにこちらを見ている。気づけば、その本を胸に抱いたまま、固まっていたらしい。思考が停止していたようだ。
「え、ええ、大丈夫よ。……そうだ、そろそろ休憩にしましょうバイトさん。皆さんを呼んで来てくれるかしら?」
「あ…はい!」
少年が立ち去ろうとした時、裕子は唐突に気になった。
「ごめんなさい、『バイトさん』なんて失礼な言い方よね……よろしければ、あなたのお名前を聞いてもよろしいかしら……」
少年はこちらを振り返り、そこで少し笑った。
「僕の名前は…」
———あああ、あああ。こんなはずじゃない……もっと、楽しい旅行になると思っていたのに……
車のエンジン音がしたかと思うと、その音は次第に小さくなり、深田たちが去っていくのがわかった。しかし、藤沢の目の前にはあの大男が立っている。
———何なのよぉ……こいつぅ‼︎
その巨体はゆっくりとしたスピードで、こちらに手を伸ばす。
その瞬間。
私の体は開け放たれたドアの向こうから伸びる手によって強引に引っ張られ、部屋の中へと連れ込まれる。そのまま部屋の中央に投げ飛ばされると、ドアが荒々しく閉じられる。転がった藤沢の視界は反転し、やがて少年らしき人物がぼんやりと映る。
「………予想外だったよ。あいつ、女じゃないと主人にしないらしいんだよね…」
ふざけた笑いを浮かべた少年が、こちらを見ている。
少年はギターケースを背負っており、左の脇には大きな本を挟んでいる。その本は見るからに古そうで、嫌な感じがした。
「だ、だれよ、アンタ!」
藤沢が声を上げた瞬間、少年が視界から消える。気づけば、自分の体が宙を浮き、首には猛烈な痛みがあった。数秒後、ようやくして少年が自分の首を掴み、体を持ち上げているのだとわかった。藤沢は両腕でその手を掴み、引き剥がそうとするが、びくともしない。
人間離れした物凄い力で私の首を捉えている。それはむしろ、掴んだ首を壊さないように手加減すらしているかのような余裕で溢れていた。
「く、苦し……は、離して…」
締まる喉を必死に動かし声を絞り出す。
「あーあー、動くなよ。お互い死にたくないだろ」
少年は笑みを浮かべたまま平然としているものの、額には汗が浮かんでいる。
「それに…あんたも憎いんじゃないの?」
少年は笑っている。
「僕の言うことを聞けば人を殺せるだけの力をあげるよ…あいつらに復讐できるぐらいのさぁ……」
「……復讐?」
「……あんた見捨てられたんだろ?…あいつらに」
その一言が、藤沢の中で何かを生んだ。先ほどまで感じていたよりも、強く、重い、生に対する執着が、自分の中で渦巻き別の何かに形を変えようとしていた。
「……あいつら……殺せる?」
「殺せる」
「私は……助かる?」
「僕の言うことを聞けばね…………てか、悪いけど、それしか僕たちが助かる方法はないんだよ」
その時、少年の持っていたギターケースが音を立てた。中に何か生物らしきものが入っているような音である。
「………アンタ誰なのよ?」
「……僕?……僕の名前は……」
「僕の名前は、折木 亜坐」
そして、折木は「…………まぁ、どうせ忘れるんだけどね」と小声で言った。
屍人の謳拾い アベ ヒサノジョウ @abe_hisanozyo
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