14 最後の謳拾い師④(1月21日更新)
そのことに気がついていたのは詩梛だけだった。
詩梛と夢茅夜は二人並んで佩李が立つ乙舞台を眺めていた。舞台上から光に照らされた『千観黒筒』の残骸が、風で揺れて黒く幻想的に輝く。真下では今まさに佩李と【首切り蟲】がお互いの存亡を賭けて戦っている。
「まさか佩李さんが、ここまでやるとは思ってなかったわ…」
夢茅夜はタバコを咥えながら、佩李の姿を目で追う。夢茅夜の言動にいつもの余裕はない。
「あいつは…最後の『謳拾い師』だからな…」
詩梛は一抹の不安を抱えたまま、ただ彼の舞踊を称賛していた。
佩李と【首切り蟲】が乙舞台に上がって、三十七分が経過した。
その間、佩李は【首切り蟲】に一度目の呪穢を刻むことに成功した。やはり、佩李の憶測が事実であったと証明された。【首切り蟲】に呪穢を刻むことは可能だった。
【首切り蟲】が高く跳躍する。優に五メートルは超える高さから、自身の重量に合わせて、直下行に飛び蹴りを繰り出そうとする瞬間、佩李は、ギリギリまでその動きを引きつけた。そして、わずか数ミリのところを背後に転がるように避け、間髪かわす。
【首切り蟲】の巨体は勢いそのままに呪死体が存在する吉野の簡易陣の一つに着地する。
「…ぢぢぢっ」
理性のない猛獣が、わずかな戸惑いを見せた瞬間であった。
【首切り蟲】の首に、百日紅の呪穢が黒々と浮かび上がる。
「佩李ぃ!」
「……ああ」
詩梛の呼び声に、思わず佩李の顔にも笑みが浮かぶ。
その場にいた誰もが、僅かに希望を抱いた瞬間である。険しくもあるが、勝利への道筋が見えた時、詩梛は安堵していた。
しかし、それと同時に佩李の顔に浮かぶ、それとはまた違った。
詩梛はその表情に不穏な気配を感じていた。
———佩李…?
佩李の顔に、先ほどまでの気迫がない。百日紅の呪穢が刻まれた、あの一瞬で、この物語に結末を迎えたような安心感と諦観、そして『虚無』が彼には生まれていたのだ。その詩梛のわずかな不安が確信に変わったのは、それから一時間二十三分後、二回目の呪穢を刻んだ時であった。
その時も、佩李は【首切り蟲】の隙を見逃さなかった。
判断力の鈍った【首切り蟲】の横腹を佩李は、思い切り蹴り上げる。【首切り蟲】の巨漢は倒れることはなくとも、わずかによろめく。それが【首切り蟲】にとって、命取りとなった。よろけた先にある、深田の簡易陣に【首切り蟲】は触れたのだ。その際、【首切り蟲】の足が深田の肉体を木っ端微塵に吹き飛ばし、地雷が暴発したかのような衝撃音とともに花びらが舞い上がる。確かに【首切り蟲】には二つ目の呪穢が手の甲に刻まれている。
「ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ」
【首切り蟲】の悲鳴がけたたましく室内に響き渡る。絶叫。咆哮。
誰もが耳を塞ぎつつも舞台の様子を伺っている。
「佩李さんなら………やるんとちゃう?私たち…」
勝てるんとちゃう?とは、無責任にも言わなかった。夢茅夜の頬は上気し、咥えていたタバコは床に落ちている。その顔には無邪気な笑顔すら浮かべている。
佩李が今だに不利であることは変わらない。それでも、佩李の動きの全てに、夢茅夜を含めた全員が希望を感じていた。「きっと…この人であれば…私たちを救ってくれる」と思える、力強さを感じていた。
だが、その言葉から詩梛は気づく。
———「私たち………」
———佩李の中で、それは……………誰を指している?
詩梛の頭に、一つの考えが急速に広がった。ようやく、この物語の結末を佩李と共有した気分になる。
「………佩李!ふざけんなよ、テメェェェ‼︎……最後まで諦めんなよぉぉ!」
横に立つ詩梛の張り上げた大声に、隣にいた夢茅夜は目を丸くし、思わず新しく咥えたタバコを落とす。
その詩梛の声を耳にしながらも、ただただ、佩李は笑みを浮かべるのみであった。
佩李の体は、とうに限界を迎えていた。全身の感覚はすでに消え去り、鉛のように重い体を気力のみで必死に動かしていた。そんな体で勝てるような相手ではない。ましてや、元々佩李は戦闘を専門としていない。戦略はあれど、勝つためのヴィジョンなど、まるでないのだ。
そんな自分を突き動かすのは、千梛と壱景の存在であった。ただ二人の命を守るため。
そこに、佩李自身の命はないのだ。
「詩梛さん…どうしたんすか…」
「…死ぬ気だ」
「…誰が?」
「…佩李だよ!」
「……だって」
勝てそうじゃないですか…と言おうとして、夢茅夜はもう一度舞台を見る。
虚な目で、肩で息をし、フラつく足に無理やり力を入れ、なんとか立ち上がる佩李の姿がそこにはある。
佩李が勝てるなど、そんなはずはなかったのだ。
【首切り蟲】に呪穢を刻んだ時点で、『我々の敗北』は無くなった。しかし、それは最小限の死者を意味するだけであって佩李の勝利を意味するものではない。最初から『佩李の勝利』ではないのだ。
既に全てが限界を迎えている。呪いの怪物に、人間が勝てるはずなどない。舞踊の天才にできるのは、詩梛の作り出した四方陣の上に誘い出し、僅かばかりに踏み出した【首切り蟲】に、呪穢を刻むこと。
そして、その幸運は二度訪れた。
「…あいつは三個目の呪穢は無理だと思っている。二個目の呪穢を刻んだ時点で、アイツの中で目的は完遂しているんだ」
「なんでっ!だって…」
「佩李がここで死んだとしても…次は【首切り蟲】が死ぬ番だからだ」
佩李は最初からそのことがわかっていた。だから、絶対に二つは刻むつもりでいた。
だが、そこから先は佩李自身が自分を救うための戦い。……もう、どちらでもよかった。
佩李はもう、死んでもよかったのだ。
「佩李様あああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
乙舞台のそばで横たわる壱景が、声が枯れるまで繰り返し何度も叫び続ける。必死に体に力を入れ、体を傾けるようにして立ち上がろうとするがそれは叶わない。諦めた壱景は、手の力のみで這いずるように舞台へと少しずつ進んでいく。
「…だめぇ」
———死なないでぇ、死なないでぇ、死なないでぇ、死なないでぇ、死なないでぇ……
それをわかっても佩李は笑みを浮かべるのみであった。
◇ ◇ ◇
どうせ死ぬのであれば、千梛の隣で死のうと、無意識に思ったのかもしれない。
佩李は自身の最後のため、踏み込むステップは、少しずつ千梛の位置する四方陣に近づいていた。動くたびに、百日紅の花びらが目の前に舞い上がり【首切り蟲】との距離を曖昧にさせる。
———もう、どうでもいいか…
篇李の華呪の謎は、解き明かせなかった。自分が死ねば謳拾い師も、ここで途絶えることになるだろう。それでも佩李の顔には自然と笑みが溢れていた。
それでいいと、佩李は思っていた。
———俺たちは……死んだ人間のためではなく、これからを生きる人間のために生きるべきだ…
だから、謳拾いの仕事が俺の代で途絶えたとしても、それはきっと時代と自然が選択した成り行きであって、何も不思議なことではないのだろう。
意識がないまま舞台上に座る千梛が佩李の視界に映る。もう少しで、彼女に触れることさえできそうだ。
———無事に生きろ……千梛
視界を覆うように、突如、向かい合う千梛と佩李の間に【首切り蟲】の巨体が現れる。【首切り蟲】は佩李の目の前に存在しながらも、千梛の四方陣を踏むことはない。わずか数センチというところで【首切り蟲】はそれを避けていた。そして、佩李にもそれを押し出すだけの余裕はない。
【首切り蟲】の手が佩李の胸ぐらを掴む。
佩李の体からは力が抜け、ブラリと、全身が浮かび上がる。【首切り蟲】の白い巨体から生える大きく伸びる鎌のような大顎が、自身の腕の上を滑るように、佩李の首筋に触れている。
猛獣が自身の動きと動線を見極めるように、首に刃を寄せ狙いを定める。
「佩李ぃぃぃ!」
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああ!」
じょきいん
【首切り蟲】は、鋭いその顎で佩李の首を両断するのだった。
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