13 最後の謳拾い師③(1月14日更新)


千観黒筒せんかんくろつつ


 現世での存在を許可する代わりに、対象に備わるすべての感覚と知性、および判断力を奪う呪いの一つである。『黒筒』と呼ばれる槍状の細長い呪具を、対象に刺し『遊引』という呪いを帯びた糸で吊るしあげることで、呪いを付与することができるものだ。

 呪いとして非常に強力なものであるにもかかわらず、成立させるための条件が明確なため扱いが容易であるため、儀式的な付与式の呪術では多く使われるものである。

 端的に言えば、対象に黒筒を刺すことさえできれば、最も効果のある呪いだった。


 ———そう、刺すことさえできれば、


「……詩梛!」

 詩梛は首を横に振る。


「ダメだ!刺さってねぇ!」


 一七八本目の黒筒も【首切り蟲】の肉体には通らなかった。


「ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ」


 白布の奥から発せられる、蠢くような破裂音が佩李の鼓膜を揺らす。

「クソッ!」

 佩李は空中で上体を起こし、そのまま舞台の右角へ着地する。その瞬間を狙うかのように【首切り蟲】の顔が宙を切り、佩李の首をかすめる。佩李は即座に体を横にして転換し、膝から床に落ちると転がるようにして【首切り蟲】と距離を取る。

 わずかに首を掠めた程度、触れたかどうかすら怪しいにも関わらず、佩李の首からは筋となって血が流れ落ちていた。


 ———…なんて力だ


【首切り蟲】は、白い巨体を振り子のようにフラフラと体を横に揺らしている。それに合わせるように、垂れ下がる顔の白布と巻かれた腰布が左右に揺れた。

 巨体から生み出される、考えられない素早さ。それは肉体の重量に比例しない初速に理由がある。スピードを上げて接近するまでの速さが生物のものではないのだ。

 佩李がその動きに対応できるのは【首切り蟲】の本能にインプットされた「マークされた人間の首を刈る」という一貫した動きが、予測を可能にするからである。

 互いにステップを踏みながら距離をとる。接近戦になれば、十中八九、負けるのは佩李の方である。かといって、距離をとりすぎては黒筒が刺さらない。

「なんて生き物だよ……」

 仮面の下で口を開くたびに、冷や汗が止まらなかった。

「ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ」

 雄叫びに似た絶叫が、【首切り蟲】の頭部から発せられる。



『千観黒筒』は通用しない。それは、素人でもわかる事実だった。その事実によって、その空間にいた誰もが絶望の最中にいた。

 これは、負け戦である。


 それでも彼らをその場に縛り付けたのは、与えられた使命感ではない。ただ佩李を思う、その心にあった。







 しかし、当の佩李にあったのは恐怖とは違うわずかな『違和感』である。恐怖を通り越し冷静さを取り戻しつつある彼の脳内に生まれた違和感。


 ———なぜお前は『』を名乗る?


『あまり、名前や肩書きに惑わされるな……佩李』

 詩梛のあの言葉が蘇る。


 ———その通りだ…


 何をもって『蟲』とするかは、名付けた人間の感性によるものかもしれない。しかし、この【首切り蟲】という存在はあまりに人間の形を模しすぎている。人間離れした体型や動きを持ちながらも、起点は全てにおいて『人間』なのだ。


 ———だとすれば……


 佩李は、一瞬の隙を見逃さなかった。大振りに振り下ろした【首切り蟲】の頭が床に着くその瞬間、佩李は右脚に力を入れ、一気に飛び上がる。空中で反転しつつ、伸ばしたその左手で白布に手をかけた。【首切り蟲】の顔を纏う白布は難なく外れ、その顔はスポットライトの元に露呈する。

「ヒィ‼︎」

 夢茅夜の悲鳴がわずかに聞こえる。


 それは蟻だった。


 大きな蟻の頭を持ち、その大きな顔の横からは沸騰する湯の泡のように小振りの蟻の顔が次々と無数に出現し、弾けるように消えていく。その小振りの蟻から「ぢぃ」という音が発せられているのだ。人間に模した頭の位置に存在する、大きな蟻の頭に眼は無く、その代わりに大振りの鎌のような口が飛び出している。まるでその大顎は人の首を切ることだけを目的としているようであった。

「………ぢぃ」

 それは神々を思わせるほどの洗練された肉体美からは想像できないほど、あまりにグロテスクな出立ちだった。ちぎった蟻の頭だけを集め、肉団子のように丸めたかのようである。


「ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ」


 先ほどよりも、大きくなって音が聞こえていた。

「蟻なのか…」

【首切り蟲】の名を聞いてから、勝手に「カミキリムシ」を想像していた。しかし、これが蟻をベースにした生物なのだとしたら。


 ———仮定だが、こいつは蟻で、……百日紅、呪穢、眼が存在しない……



 佩李の中で一つの推測が、生み出されていく。


 ———もし…【首切り蟲】が俺ではなく、俺に刻まれた百日紅の呪穢をマークにして追っているのだとしたら………


「詩梛イィィ‼︎」


 仮面を脱ぎ捨てた佩李の声が、建物の中で反響する。詩梛は、慌てて佩李に近づく。

「どうし…」

 詩梛が言い終わる前に、佩李は切れる息を繋ぎながら話し始める。

「乙舞台を俺が言うように組み替えろ‼︎」

「…何?」

「説明は後だ‼︎吉野たちの呪死体を持って来い‼︎」

 詩梛はすぐさま動き、背後にいる黒司に指示を出す。

「夢ェ!来い!」

 佩李はそこで、前方にステップを踏み【首切り蟲】の足を蹴り上げ飛び上がる。

「はい!いまぁす!」

 夢茅夜は手を挙げ佩李に合図を送る。


「衣装直しだ‼︎二分以内に百日紅の衣装に変える準備をしろ!」

「うぃす!?」


 佩李の気迫に圧倒され、夢茅夜はブーツを鳴らしながら保管庫へ走る。

「壱景!」


 音もなく、壱景が佩李の背後に現れる。

「…俺は今から、第二舞踊の準備をする」

「はい」

「俺がここを離れれば、間違いなくコイツは俺を追ってくる」

「はい」

「十分でいい。コイツをこの場に食い止められるか?」

「…はい」


 壱景はその場で、軽く飛び上がると、佩李と【首切り蟲】の間に入る。【首切り蟲】の振りかぶった顎を手に持っていた鉄の棒で、歯と垂直に食い止める。

 壱景の手が一瞬にして血で濡れた。

 壱景はその血を静かに払い、手を握ってみせる。

「いけます」

 佩李はそのまま背後に跳び、後ろ向きのまま舞台から降りる。

【首切り蟲】は、それに合わせるようにして佩李を追い、体の向きを変えた、瞬間。


 壱景の鋭い蹴りが、【首切り蟲】の首にヒットする。バランスを崩し、片膝をつく【首切り蟲】に、壱景は冷ややかな目つきで言い放つ。


「『』…………それが、蟲ならなおのこと」


【首切り蟲】は横に揺れるのを止め、壱景の方を向き直る。


「蟲と花の王とやら、散って佩李様の花道となれ」



 ◇  ◇  ◇




『アントミル・ダンス』


 それが佩李の考案した唯一の供養であった。

「アントミル………『デス・スパイラル』のことですか…?」

 折木の質問に佩李は頷き説明を続ける。背後では、夢茅夜が手際よく佩李の服を脱がせ、新しい衣装へと変えていく。


「グンタイアリという種類の蟻はフェロモンに追従する本能を持っている……おそらく【首切り蟲】も同様だ」

「そのフェロモンに当たるのが……今回でいう華呪・百日紅ということか…?」

「そうだ。そして、グンタイアリは稀にをひき起こす」


 アントミル。通称『死の行軍』は、グンタイアリが追うべきフェロモンを見失い、前方を歩く蟻を互いに追い続けることにより、いつしか円を描くようにその場を回り続け、死ぬまで歩き続けることに由来する。


「つまり…【首切り蟲】にも死ぬまで永遠に誰かを追い続けさせる…ということか?」

「ああ、そうだ」

「誰をだ?……まさか、もう一匹呼び出すというんじゃないだろうな?」


 詩梛は、訝しげに佩李を見る。緊張からか、その額には冷汗を浮かべている。


「……【首切り蟲】が追うのは………自分自身だ」


 その言葉に、詩梛、折木、黒司の三人が顔を見合わせる。

 佩李の顔は至って真剣である。


「藤沢にやらせるのか?」

「あいつは隔離している。連れては来られない……呪死体を使う」


 黒司に運ばせた吉野、深田、杉浜の三人の呪死体が佩李の横に並んでいる。

「詩梛、乙舞台に三人の呪死体を使って百日紅の簡易陣を組み込め…」

「無理だ……簡易陣を組むには最低でも四人の呪死体が必要だ………一人足りない」


 一瞬、佩李の表情が曇り、迷うような素振りを見せた。そして、黒司の方を見定めはっきりとした口調で言う。


「黒司…篇李の呪死体を持ってこい」


「ダメだ」

 すぐさまそれを制したのは、黒司ではなく詩梛であった。


「佩李やめろ。篇李の呪死体をそう簡単に持ち出すな」

「だが、他に華呪・百日紅を持つ呪死体はいない」


 それを探すだけの時間の余裕もなかった。詩梛はそこで深くため息をつく。顔には、深い笑みを浮かべている。


「……なめるな、佩李。俺は…俺たちは腐っても『舞台屋』だ」

「……詩梛…」

「黒司、篇李はいい。今すぐ千梛を連れて来てくれ」


 詩梛は立ち上がり、着物の袖を肩までたくしあげる。


「もとより舞台は俺たちの墓標………本望だ」


 ◇  ◇  ◇



 甲舞台の四つ角に、三人の呪死体と、白装束を身に纏う千梛が座らされる。呪死体の背中には図形や古術に使われる文字などを元にした呪術陣が書き込まれている。手足を白い包帯のような布で縛られ、床に繋がれていた。詩梛は千梛の背中にも書き込むと、他の呪死体と同じように、膝を折って座らせる。

「……準備完了だ…付与の条件はわかるな?」

「…四方陣の一部に接触させること」

「ああ…ご自慢の舞踊で、あいつを誘い出せ…」

 詩梛の言葉に耳を傾けつつも佩李は壱景の舞台に目をやっていた。



 ◇  ◇  ◇



 壱景の動きに余裕はなかった。【首切り蟲】の動きは、洗練されていない粗野な動きである。振り下ろす拳も相手を仕留めること———すなわち首を切るためだけの、知性のない動物的な動きである。それなのに———その圧倒的な力が、掃除屋として身につけた壱景の全ての動きを凌駕しようとする。


「……無骨、な、生き物」


 壱景はそう言って目前に迫る拳を横に避け、振りかぶった鉄パイプを【首切り蟲】の頬に打ち込む。鉄同士がぶつかり合うような金属音が室内に反響し、わずかながら折木たち囃子部隊の音を掻き消した。しかしその衝撃とは裏腹に【首切り蟲】には傷ひとつつくことはない。


「ぢぃ」


 その、事実に壱景はただただ驚愕するのみであった。

 ———私の力が通用しないのか

 壱景にとって、その事実は何よりも、掃除屋としてのプライドを崩していった。


「……はぁ…はぁ……」


 ———九分二十五秒。

 壱景が【首切り蟲】と対峙し、経過した時間である。


「…壱景、代わるぞ」


 佩李の声が背後から聞こえていた。壱景はその言葉に小さく頷くと、後ろに倒れるように【首切り蟲】の拳を宙で水平にかわす。その直後【首切り蟲】の巨体は舞台上から消えていた。



「待ち望んだよな……【首切り蟲】」


 ◇  ◇  ◇



 佩李は舞台上で詩梛が言った説明を思い出していた。

 

 ———いいか、佩李。乙舞台は、甲舞台に比べて一辺が

 ———……つまり?

 ———つまり……「死ぬなよ」ってことだ


 上空から飛来する巨体が自身の目前に迫り、衝撃と共に降り立った。地面がひび割れ、土がわずかに捲れ上がる。その衝撃からか、先ほどまで枯れ果てていた三人の呪死体から、ドクドクと百日紅の花びらが溢れ出す。

 そして、床を埋め尽くしていく。

 ピンク色に染まる床で、【首切り蟲】は体を大きく振動させ、あの耳触りな叫び声をあげるのだ。


「ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ」


 周りの花びらが土埃と共に舞い上がった。

「………ああ、そうだな【首切り蟲】……」

 佩李と首切り蟲の距離、わずか二メートル。舞台が狭い分、それだけ両者が接近する形となる。視界を遮るように、聳え立つ巨体の頭が佩李の首を見据えていた。


「………ラストダンスといこうじゃないか」

 佩李は笑いながら【首切り蟲】を見上げていた。




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