12 最後の謳拾い師②(1月6日更新)

「………バレるとは思ってなかった」

 壱景と夢茅夜は葬儀場の天井付近にいた。だだっ広いドーム状の葬儀場は中央の舞台を取り囲むように、円形の骨組みが組まれている。一見、ドームを支える支柱の役割をこなしているようにも見えるが、これらは何かを支えているわけではない。現に壱景と夢茅夜はその骨組みにひっそりと佇む階段を登り、鉄板が打ち込まれた二畳ほどのスペースに立っていた。この場所であれば、舞台の全てを一望できる。

「私は時間の問題だと思ったけどねぇ…佩李さん賢いし」

 夢茅夜はタバコの煙をフッと吹き出し、笑った。

「それに佩李さんにとっても、いい薬になったでしょ…」

「その言い方、嫌です…」


 ———ただのお荷物じゃないか


 壱景は自分の髪を結っていたゴムを解くと、遠く詩梛と並んで座る佩李を見つめる。二人は何か会話をしているようだったが、ここまでは聞こえない。


「あの人は強すぎんのよぉ……」


 夢茅夜の声は静かに壱景を諭しているようで、自身の胸のうちが見透かされているような感覚になる。


「だから…他人のことを知らなければいけないの……『弱点の無い人間』であることと『弱点の存在を理解しない人間』であることには強さの意味が全然違う」

「……佩李様に人間の弱さを理解しろって、言いたいんですか?」

「うーん、違うね。……誰かを愛しく思えるようになれって……ことぉ」


 ———愛しく


 その言葉は壱景にとって重くのしかかる。

「私は掃除屋であって、佩李様の家族ではない」

 佩李様の唯一の家族、篇李は既に亡くなっている。例え佩李が壱景のことを思っていたとしても、それは仕事の関係上である。「愛」という言葉で表現していいものか、壱景にはわからなかった。

「私は仕立て屋だけど、なんか関係あんの?それ?」

 夢茅夜は、口元を横に引き伸ばして笑った。スッと吐き出たタバコの煙が、壱景の頬を掠める。

「愛も呪いもスタートは一緒なの。ゴールが違うだけ。思いの丈が『原動力』で、その過程で生まれるものが『人間性』………佩李さんは、それが理解できない」

「そうなの、かな」

 壱景には夢茅夜の話す意図が、自分のこととして実感を持てなかった。それは、自分の存在を卑下しているからではない。佩李とは、また違う世界線で生きているような気がして、世界が重なり合う想像ができなかったのだ。

 ただ、壱景自身を思う夢茅夜の優しさには感謝していた。

「…なんか……ありがとうございます」

「いいえ。まあ、だから強いし………弱いんだよあの人は…」

 夢茅夜のタバコの煙を眺めながら、手すりにもたれかかり、また、地上を見つめる。佩李の表情は先ほどと変わらないように見えるものの、僅かな哀愁を含んでいるようにも見えた。

「私のこと…大事にしてくれているのかな」

 壱景は、そんなことを言ってみる。壱景自身の願望があるのかもしれないと思うと、自然と感嘆の笑みが漏れる。

 夢茅夜はその言葉に、呆れたような表情を見せながら「主人があれなら、子もこれか…」と呟いた。

 夢茅夜は壱景の頭に手を置き、ぽんぽんと軽く叩く。その度にゴム跡の残る髪が揺れた。


「私は部外者だから…ちゃんとはわかんないけどさぁ……佩李さんは多分、自分が壱景ちゃんの立場だったらどうするかって、ずっと考えていたんだよ。ずっと、ずっと考えていて、そんな時に壱景ちゃんがハイネックで首を隠すもんだから……確信したんでしょ」


「……うん」

「それってさ、壱景ちゃんのことが大事だからじゃないの?」

「え?」

「大事だけど、佩李さんは壱景ちゃんの弱さが理解できない………できないからこそ壱景ちゃんの立場で必死に考えた………これ『愛』でいいんじゃない?」


 佩李は家族のように親身になって考えてくれていた。

 だからこそ、叱り、諭し、犠牲にしようとする壱景の心に寄り添おうとしたのだ。

 壱景もまた、そのことを気づいているつもりでいた。理解しているつもりだった。

 しかし、そう思えば思うほど、自分の行いが幼く思え情けなかった。

 だから、心がそれを拒んでいた。


 自分は忠誠を誓い、主人のためであれば命を犠牲にできる『掃除屋』でいたかったのだ。


 壱景は僅かに溢れた涙を拭い、前を見た。なんだか、鼻の奥が熱かった。


「…私……それが愛かはわからないけれど……私のこと掃除屋としても…家族としても…全部、愛してくれようとしているのかな………佩李様は」


 ———きっと、私…私自身のことも、思ってくれている…


 夢茅夜はそんな壱景のことを見つめながら微笑み、穏やかに言った。

「……壱景ちゃん、よくそんな恥ずかしいコト言えるね…」

「私、夢茅夜さんのことは嫌い」


 二人、互いの顔を見て笑う。


 ◇  ◇  ◇



 夢茅夜と壱景が天井付近にいることに気がついていた。話している内容まではわからなかったが、壱景のことは夢茅夜に任せて大丈夫だろうと、佩李は思う。

「……もっと、言わなくてよかったのか」

「………ああ見えてアイツは掃除屋だ。プライドもある」

 問題がないとは思いつつも、自分の行動が正しかったかは佩李自身にもわからなかった。

「まぁ、俺が言えた義理でもねぇし、お前の元に千梛も送り込んでる身だ……説得力はねぇかもしれないが…」

 詩梛は舞台に目をやりながら、ポツリという。

「あまり、名前や肩書きに惑わされるな……佩李」

「………」

 詩梛は足を組み、天を仰ぐ。詩梛の視線も、二人の姿を捉えていた。

「『枠組み』っていうのは頭の悪い俺たちが、覚えやすいようにしたラベリングだ………それ以上も、それ以下もない。話したい奴がいるのならそいつ自身を見てやらねぇと」

「……………そうか」

 佩李は壱景たちから視線をおろし、舞台を見た。天井から当たるスポットライトの光が、舞台の細かな部分を照らし装飾のひとつひとつを浮き彫りにする。

「…………そうだな」

 佩李には、その舞台に反射する光が眩しかった。


 ◇  ◇  ◇


 午後十一時三十分。

 佩李と詩梛は椅子から立ち上がる。目の前には、ベッドで横たわる千梛の姿がある。万が一、藤沢の話が嘘であった時、対応できるように病院から連れ出していた。

「心配はなさそうだな…」

 詩梛がそう言った。

 舞台を組み立てていた者、折木を含めた囃子部隊、黒司、壱景と夢茅夜、皆がその場で目を閉じた。


 午後十一時三十一分。

 沈黙と合掌。黙祷の最中、佩李の頭にあったの悔しさと焦燥感である。


 ———……助けられず、すまない。


 今、どこかの誰かが首を切られ呪死体となった。

 その事実が佩李にはただただ悔しかった。

 ようやく得た取っ掛かりも、被害者を作らないためである。

 だが、今、それが千梛ではないことに安堵している。


「あまり、思い上がるなよ」

 横で合掌を続ける詩梛が目を閉じたまま、口だけを動かしている。

「………どういうことだ」

「そのままだ。自分の力があれば助けられたなどと……思わねぇことだぞ」

 佩李の心を見透かすように、詩梛は頬を緩め穏やかに笑った。


「………詩梛、舞台は後どのくらいだ…」

「まぁ、後半日もあればできるな」

「………そうか。なら今日、俺に華呪を刻む」


 詩梛は目を開き、こちらを見たが何も言わなかった。千梛の頭に優しく触れ、その場を後にした。


 ◇  ◇  ◇


 翌日。午後十一時十五分。

「……あと、十五分…か…」

 感嘆に似た溜息をもらし、壱景が

【首切り蟲】が出現すると言われている午後十一時三十分まで残りわずかだ。いつもの舞踊であれば、このあたりから呪死体に邪鬼が群がるはずである。

 しかし、今回に限っては一匹として現れていなかった。

「暇だねー…壱景ちゃん」

 骨組みに寄りかかりながら、タバコをふかす夢茅夜を横目に壱景はゆっくりとドーム状の建物の壁に沿って周回する。顔につけられた鬼の面は視界を狭めはするものの、いつもよりずっと呪いに敏感になれるのだ。

 建物中央には、午前中に完成した二つの舞台が用意されている。一つは室内の中央に造られた甲舞台。いつもより数段広く大きな舞台で骨組みを支柱として、橋のように渡ったパイプには、長さ一メートルほどの槍状の呪具が、いくつもぶら下げられている。下から見上げると、それは巨大な剣山のようにも見えなくはない。

 建物を四分の一ほど周回していると簡易ステージに登る折木に出会う。折木は、壱景とはまた違う、袴に似た深い紫の装束を着ていた。

「壱景さん」

 軽く手を上げこちらに笑顔を見せる折木。

 いつもの壱景であれば無視し通り過ぎていた。

「……準備できたの?」

「ええ、まぁ」

 折木は若干、驚いた様子を見せた。折木自身も、無視されると思っていたのかもしれない。

 折木は自分の立っていた台座から降りると、床に転がっていた大きな楽器を手にする。

「………ベース?」

「エレキギターですよ。ほら、弦が六本でしょ」

 折木は弦が見やすいように担ぎ、こちらに向ける。確かに弦が六本ある。

「ベースでも…六弦のやつ、あるじゃん」

「へぇ、壱景さん、よくご存知で」

 折木は含みを持たせた言い方で顔には嘲笑を見せる。

「……もう行く」

「ごめんなさい。冗談ですよ」

 折木は乾いた笑いを振り撒きながら、エレキギターから繋がれたアンプに電源を入れ、弦を弾く。重厚な機械音とともに、体が震えるほどの音の衝撃が体を巡る。

「…今は舞踊の時の一〇分の一ぐらいに抑えていますが、実際は鼓膜が吹っ飛ぶくらいの音ですよ…直撃したら死人が出ます」

「なんで、ちょっと嬉しそうなのよ」

 折木はまた、エレキギターをかき鳴らす。素人の壱景であっても、折木の滑らかな手の動きを見れば彼が相当の熟練者であることがわかった。

 壱景はしゃがみ込み、しばらく折木の演奏を眺めていた。

「壱景さん」

「ん?」

 折木はそこで弾くのを止め、弦から手を離す。

「佩李さんは勝てると思いますか?」

 当然だと、即答できなかった。嘘でも、そう、言うべきであるとわかっている。

「………わからないけど………最後まで一緒にいる…」

「そう」

 折木は笑った。





 最初に気がついたのは佩李だった。

 藤沢に刻ませた頸と、右の手の甲の呪穢が疼きはじめる。

 時刻は午後十一時二十八分。

 既に、折木の演奏が始まっている。曲に紛れるように、壱景が暗躍する気配はあるものの、一方で邪鬼の気配はまるでない。

 

 邪鬼たちはこの場に誰が、降霊するのかわかっている。だから、野次にすら来ない。


…………ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ


 ———圧倒的な存在


 それでいて神と見違えないのは、深く、うねり、落ちていく重厚な悪意を帯びているから。


「…来たか」


 午後十一時三十分。

 甲舞台、上空の二十メートル付近から、白い巨体が落下する。その衝撃で地面が揺れ、一瞬、演奏に乱れが生じる。しかし折木の復帰は早かった。すぐさま調子を取り戻し、計画通り曲のピッチを上げていく。


「ぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃぢぃ」


 甲舞台、中央にて白布を顔に纏う白い巨人と、佩李は対峙する。吉野の話に聞いていた大男と、説明上違いはなかった。しかし、言葉で聞くものと、実際では雲泥の差がある。

 言葉では言い表せない強者の風貌と、悪意が生み出したよこしまな存在。その言い表せない力が押し寄せる波となって佩李を襲う。

 その時、その場にいた誰もが感じていた。今まで経験したことのない恐怖が、生物としての新たな知覚を生み出そうとしていた。


 ———生命として、あまりに高貴。心情として、あまりに激情。


 それは、触れてはいけない存在だったのだ。佩李はこれまでの人生で数々の呪死体を前にし、供養し、知見を得たつもりだった。自身の経験を振り返り、専門家としての自信を少なからずもっていた。しかし、この状況に後悔した。自分だけは逃げるべきだったのかもしれない、と僅かに漏れ出してしまった。


「……ああ、クソ」


 佩李は、目を閉じ、女の仮面を纏う。その面だけは笑っていた。


「あまりデュエットはしないんだがな…」


 佩李の心を覆う恐怖心は拭えない。

 だが、それでも、その場に立たなければいけなかった。

 守らなければいけない誰かのために。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る