11 最後の謳拾い師①(1月3日更新)
佩李の元に藤沢 真紀子との接触と捕獲が完了したという連絡が入ったのは、壱景が事務所を去ってから一時間後のことだった。
「佩李、ここからは舞台屋としてお前と相談がしたい」
詩梛と佩李は向き合ってソファに座る。詩梛の目には疲れが見えるものの、10年前、共に供養をしていた頃の思慮深さは健在であった。藤沢を捕獲したという連絡を受けことを聞くと否や、すぐさま舞台屋としての仕事を全うする。
「まず、舞台だが………本来であれば『解呪様式』で組む」
「…鎮魂は無理か」
「ああ。対象が不明である以上、無理だな」
詩梛は降霊書を開き佩李の前に出す。そこには、見慣れぬ言語と魔法陣のような図式が、びっしりと描かれている。
「…とはいえ、解呪様式で組む以上……持久戦は必須だ」
「俺と【首切り蟲】の、どちらかが死ぬまで終わらない………そういうことか」
「そうだ。だが、お前が死ねばもう誰にも止められない」
詩梛はそれ以上言わなかった。
「詩梛、俺は【首切り蟲】との持久戦で勝てるのか…?」
「まず無理だ」
詩梛はため息をつく代わりに降霊書をパタンと閉じる。カビと埃の匂いが辺りに充満する。
「降霊書を読む限り本来のものより贄の数も、質も貧弱すぎる。おそらく生み出されたものは最低ランク………最弱だ」
詩梛はそこで視線を落としていたが、また顔を上げる。
「だが人間よりは遥かに高等な生命体だ………勝てる要素は一個もない」
「時代が違えば神として扱われていてもおかしくない生き物か」
「神……というよりも天災に近いな」
「………」
佩李の中に不安がないと言えば嘘になる。
「……詩梛。俺から提案がある」
佩李はゆっくりと、詩梛の顔を見た。詩梛もまた、佩李の言葉を待つように、こちらを見ていた。
「『解呪様式』で、勝ち目のない無謀な持久戦を挑むよりも、勝ち目のない無謀な賭けに出たい…」
「つまり?」
「『与術形式』でいきたい」
詩梛は鼻を鳴らし腕を組む。口元にはエクボを作り嘲笑するようだった。
「……神を呪うというのか」
「それが人間の
即座に返答する佩李に、詩梛はケタケタと笑う。
「いいよ、佩李…術はどうする?」
「
「……まぁ妥当なところだ…わかった、封じ屋には俺から連絡しておく…」
詩梛はそこで胸に降霊書をしまうと立ち上がる。
「甲舞台はお前の言うように『与術形式』で組む。だが舞台屋としての俺は無謀であっても愚かではない。半径二〇メートル圏内に乙舞台『解呪形式』も組む……」
「……万が一、呪いが有効ではないと判断された場合は『解呪形式』に移行しろということか……」
「あぁ?馬鹿なこと言うな。確率で言うなら万が一、かかっちまうんだよ。それぐらい、低い可能性に俺たちは挑もうとしてるんだ…」
詩梛は微笑みながらそう返す。
「俺たちは、呪いと共に死んでいくんだよ…佩李」
◇ ◇ ◇
藤沢 真紀子という人物は佩李が思っていたよりも幾分か大人びて見えた。というよりも、随分と子どもの純真さを失ってしまったような擦れ方をしていた。それが佩李の第一印象だった。
「あなたが、佩李…さん…で、いいのかしら」
「ああ」
真紀子は両手を背中に回し、鎖で繋がれていた。首にも大きな鉄の枷がされており、そこから伸びる鎖は足枷に繋がっている。目には黒の布を巻かれ自分が今どのような姿なのかも見えていないようであった。
そもそも佩李と真紀子が対峙する部屋には薄暗い電球のみで窓もない。布がなかったからといって彼女がはっきりとこちらを認識することは難しいだろう。
「窮屈だろうが我慢してくれ」
「慣れれば悪くないわ」
真紀子は「一生は嫌だけど」と付け加え、笑った。
「…俺の考えを聞いてくれるか」
「もちろん」
佩李がこれまでの推測を聞く間、真紀子は一言も話さなかった。相槌を打つわけでもなく、ただ佩李の言葉に耳を傾けているようである。
「……大体、間違いないわ」
真紀子は全て聞き終えた後、それだけ言った。
「廉も杉浜さんも吉野さんも…私が殺した」
「他にも殺した奴がいるだろ?」
佩李の言葉に真紀子はきょとんとして、それから考える素振りを見せていたが、首を傾けると、
「私が今日まで生きているということは…そういうことになるのかもね」
と言った。
真紀子は断定しなかったがペナルティのことを言っているようだった。やはり【首切り蟲】は、百日紅の呪穢を持つ者がいなくなると最後に主人を殺すのだ。
「………千梛にはあと何日残されている?」
「えーと…彼女は、確か、吉野さんから七番目にしたはずだから………あと、三日ね」
真紀子はそれが何でもないかのように、そう言った。
「……三日後の午後十一時三十分【首切り蟲】は首を刈りに来る」
「今日、殺されるやつは誰だ?お前の友人か?」
佩李の目的は千梛を救うことだけではない。既に駅前には、黒司を待機させ判明次第、保護できるように手順は整えていた。
しかし、真紀子の返答は佩李にとって思いもよらぬものだった。
「さぁ、知らないわ……適当に駅ですれ違う人間を選んでいたから」
そう答えたのである。
佩李はその言葉に思わず息を呑む。
「お前………自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「……何って、事故で死ぬようなものでしょう?…たまたま事故に遭ったと思えばいいじゃない」
「見ず知らずの人間の命を奪っているんだぞ」
「……じゃあ佩李さんは、殺す人間のことをきちんと理解した上で選べというの?それこそ人為的であればあるほど、個人の価値を値踏みするような卑劣な行為になるんじゃないかしら?」
佩李の言葉に真紀子は苛立ち、早口で捲し立てる。
「それに【首切り蟲】がやっているんだから……私が殺してるわけじゃない」
イライラする気持ちが、目に見えて言動を大きく見せている。
「……そうやってこれまで何人の命を奪った?」
「こうして死んでいく命があるから…お陰であなたの大切な千梛ちゃんは一命をとりとめているのよ?むしろ感謝してほしいわぁ」と、真紀子は続ける。
佩李が口を開いた時、真紀子の中で何かが弾けた。
「…アアアアアアアアア‼︎…うるぅせぇぇぇぇぇぇえええええええんだよおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ‼︎‼︎」
真紀子は唾を飛ばしながら自身の大声で佩李の声をかき消した。先ほどまでの余裕はなく、この世界の全てが憎くて仕方がないような怒声である。
「なら、お前が代わってくれるのかよぉぉぉぉ‼︎……この望んでもいねぇクソみたいな呪いを……お前が代わってくれるのかよぉぉぉぉ‼︎」
真紀子は鎖に繋がれた不自由な体を必死に揺さぶる。カチャカチャと、鉄同士がぶつかる音が響いてくる。
「毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日…………殺す人間を決めないとなぁ!私が死ぬんだよ‼︎……お前に私の気持ちがわかんのかよおおおおおぉぉ‼︎‼︎」
真紀子は今にもこちらに向かっていきそうな勢いであったが、上体を上げたことで鎖が食い込み、反動でバランスを崩す。彼女はよろめく体を椅子に鎮めると、浅い呼吸を何度も繰り返し、脳に酸素を送るようにして興奮を落ち着かせようとしているようだった。激しい歯軋りで、唇からは血が滴る。
「………気がおかしくなりそうなのよぉ………」
真紀子は荒くなった呼吸を整え、体の力をゆっくりと抜いていく。糸の切れたマリオネットのようにドッと、深く椅子に座り直すと、項垂れるようにして頭を下げた。ポニーテールにしていた髪留めが外れ、髪が体を覆う。
「……その感情は理解しよう。しかし、こちらも専門家としてやっている」
佩李は真紀子のアイマスクを上にずらし、彼女の額を手で抑えるようにして顔を上げさせる。真紀子と佩李の視線が合うなか、佩李は無表情のまま言い放った。
「同情はしない」
◇ ◇ ◇
「…話したくなければ、話さなくていい」
落ち着きを取り戻しアイマスクから解放された真紀子は、佩李の姿を目で追っていた。大声を出し、先ほどまでの様子を見られたからか、既にもう取り繕う様子はないようだった。第一印象とはとはまるで違い、緊張から野蛮性が滲み出る。
「なぜ、お前が千梛を解放したのか……まだ、疑問が残っている」
「……何が引っ掛かってるの?」
真紀子の様子を伺いながら、佩李は続ける。
「今回、お前がこの呪いから解放されるためには俺たちを見つけ交渉する必要があった。そのためには、千梛が生きていることは絶対条件だ」
「……ええ、そうね」
真紀子は静かに同意する。
「だが、お前は俺たちの目星はついていなかった……だから、吉野さんの呪死体をあえて発見しやすい場所に置き、誰かが気付くのを待った…」
そして、偶然にもその花びらは壱景のところまで届き、見つかった。
「交渉材料として千梛には生きてもらわなければいけなかった」
「まぁ、そうね」
「……なぜ交渉材料に使えると思った?」
その佩李の質問に、一瞬、真紀子の中で戸惑いが生まれた。質問の意図がわからないような表情を浮かべている。
「どういうこと?千梛の命が惜しくないの?」
「千梛の命は救う。だが、どうしてこれが交渉になると思った?」
佩李の中で、それが疑問だった。なぜ、真紀子は自分も救ってもらえるという確信があったのか。なぜこれが、交渉になると踏んだのか。
同情を誘うという線もあったが、既に彼女は間接的とはいえ、大量の殺人を犯している。許しを乞える立場ではないだろう。
「あなたたちなら…【首切り蟲】を殺せるんでしょ…?」
「それは無理だ」
そうすれば、自分も救われると、真紀子は思ったのだろうか。
———だとしても、真紀子にとってこの交渉は無理がありすぎる…
「そもそも、お前が呼び出したんだろう?」
「……私じゃないわよ…」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないわよ!」
真紀子は苛立ちを隠そうとしなかった。
「これに見覚えはないか?」
佩李はテーブルの上に【首切り蟲】の降霊書を置く。布に包まれてはいるが、その存在感は見てすぐにわかるものだ。
「何…これ?」
「降霊書だ」
「降霊?何の?」
佩李はその言葉に返答しなかった。サングラスをずらし真紀子を見る。真紀子は佩李がなぜ急に黙るのか不思議そうに見るばかりであった。
———…嘘をついている様子はない。
偶然その条件が揃った———とも、考えづらかった。詩梛が以前話していたように、降霊を基本とする魔術に狂いがあってはいけない。綿密に決められたルールの中で行われている。
———だとすれば、黒魔術で【首切り蟲】を降霊した人物は別にいる。
しかし、その人物を真紀子は頼らなかった。あるいは頼れない事情があったのかもしれないと佩李は直感的に思う。
「…あの日何があった」
「あの日?廃墟のこと?」
佩李の視線の鋭さに真紀子は声を窄める。
「……何ってさっき佩李さんが言ってたでしょ。それで間違いないわ」
「違う。お前が廃墟で一人になった後だ…」
「覚えてない」
「…覚えてない?」
真紀子は視線を落とし目を閉じた。
「本当に覚えてないの…気づいたら頸とお腹に変な模様があった」
佩李は立ち上がり真紀子のTシャツを上にめくる。
「…ちょっと」
腹部には、百日紅の呪穢とは別の紋様が入っている。
「【首切り蟲】を使役するための…蟲の呪穢か…」
「かもね……ねぇ、もういい?見られるの嫌なんだけど」
真紀子の不満そうな声を気にする様子もなかったが、佩李は元に戻すとソファに戻る。
「覚えてない…か」
「そうよ、嘘を言ったて仕方ないでしょ」
真紀子の言い分は確かである。
———……ここからは賭けだ
佩李は真紀子を見ながらゆっくりと続ける。
「俺たちは【首切り蟲】を殺せない。倒すことも、消すことも、葬ることもできない」
「じゃあどうする気?」
「倒すのではなく被害者を作らないことに徹する」
「それって……」
真紀子の顔に緊張が走る。薄暗い部屋に差すわずかな光が、真紀子の額に浮かぶ冷や汗に当たって反射させている。
「千梛の呪穢………呪いを消す。あと三日あればその準備ができるからな」
「…私はどうなるの?」
「お前は、このまま自分の番が来るまでこちらで拘束する」
「…………」
佩李は真紀子が静かになるのを確認するとさらに続けて話す。
「それにお前が【首切り蟲】に殺されるまでここに拘束していることが一番手っ取り早いからな。そうすればこれ以上被害者は増えないし、千梛の命も助かるからな…」
佩李の言葉に真紀子は黙っていた。そして、しばらくの沈黙の後ポツリと言う。
「もし、千梛が三日後に死ぬのが嘘だと言ったら…どうする?」
「なっ」
佩李の驚愕する様子を見て、真紀子は次第に自信に満ちた顔を見せ始める。何かを確信したかのように、あと一押しだと、そう言いたげな表情である。
「千梛の番が、もし、今日だとしたら……」
佩李は口元に手を当て、思わず微笑みそうになる顔を真紀子に隠しながら、ゆっくりと告げた。
「そうか…だとしたら諦めよう」
今度は真紀子が驚愕する番であった。
「ど、どういうこと?」
「死ぬのは今日なんだろう?流石に準備が間に合わない…諦めるしかない」
「そんな簡単に諦められるの?」
「気持ちの問題ではない。事実として最低でも三日はかかる。先ほどの話であれば勝機はなくとも可能性はあった。しかし、今日だと言うのであれば……」
佩李はため息をつき立ち上がる。話はもう無いと言わんばかりに、降霊書を胸に抱きドアに手をかける。
「……ち、ちょっと!」
真紀子が呼び止める。唇を噛み締め、佩李の方を見た。佩李の表情から、言葉の真意を確かめようとするかのように上目遣いで睨むような視線を送る。
しかし、佩李もまたポーカーフェースを貫き、彼女に悟られぬように見下ろ続ける。
「…………もし…私が…千梛が死ぬまでの時間を延ばせるとしたら……」
———落ちた
佩李の中にある予測が確信に変わる瞬間であった。
佩李はドアを離れ、真紀子と距離を詰めると彼女の顔に自身の顔を寄せる。鼻が触れ合うかもしれないというすぐそばで真紀子に近づくと、真紀子は驚きのあまり体をビクッと振るわせた。緊張と恐怖のあまりか、体は小刻みに揺れている。
佩李は真紀子の頭部を右手で強く押さえつけると、彼女の耳元で冷たく囁いた。
「真紀子……俺に隠している情報があるだろ、お前…」
真紀子は交渉がしたかったのではない、と、佩李は薄々感じていた。自分が持つ情報を切り札にして脅せば有利に物事を進められると思っていたのだろう。つまり千梛の命は真紀子にとって交渉材料なのではなく、佩李たちと話すためのきっかけに過ぎなかったのだ。彼女にとっての本当の交渉材料は、真紀子しか知らない【首切り蟲】の情報。
「……よく聞け、真紀子」
佩李は真紀子と視線を合わせないようにしながら、耳元で囁き続ける。
「お前の命は助けると約束しよう……だが、【首切り蟲】は情報の出し惜しみをして勝てるような相手ではない。それは、お前が一番わかっているはずだ……」
真紀子は恐怖のあまり、子どものように首をカクカクと何度も動かし、泣き出しそうになるのを抑えているようである。
「お前が持っている情報を全て話せ……いいな?」
◇ ◇ ◇
「……なんで、数に関係があるとわかった、佩李?」
詩梛と佩李は舞台を前にして、二人パイプ椅子を並べ座っていた。
舞台上では、詩梛の部下である舞台屋の人間たちが忙しなく準備を行っている。
「華呪『百日紅』が、あまりにも合理的すぎるからだ……」
「合理的?」
佩李は肯定する代わりに足を組み直す。二人とも舞台から視線を離さなかった。
「呪いは感情の力……『気の強さ』に左右されやすい。それににも関わらず、華呪『百日紅』は、あくまでも呪穢を刻んだ順番を守り、感情の強さによって順番は入れ替わらなかった…」
「……なるほど。強く憎んだからといって【首切り蟲】は殺す順番を変えたりしないということか……」
「ああ。合理的な呪いほど、厳格なルールで縛りたがるんだ」
だからこそ、佩李はこの呪いには自分達が知らない規則性があると踏んでいた。
「それが『個数』だった…ということか」
真紀子が話した内容は、おおよそ佩李が予想した通りだった。
「華呪・百日紅の呪穢が刻まれた順番に【首切り蟲】は人を襲う。しかし例外として呪穢が多く刻まれた人間は……最優先に殺される」
「つまり……『呪穢の数が多い人間を先に殺しにくる』ということか……」
真紀子は万が一、千梛が【首切り蟲】に殺される順番になってもまだ見つけられなかった場合、一般人に二つずつ呪穢を刻み続ける予定だったのだ。
「地獄みてぇな呪いだな…」
「さすが華の名を冠する呪いだよ」
花咲き、死してもなお、種を残し、どこかでまた殺し続ける。それが、誰もが恐れる華呪なのである。
「それで……お前は、どうするか決めたのか…」
「…………」
佩李は予測していた以上、覚悟は決めていた。
「舞台が完成次第、俺の体に二つ刻む……」
詩梛は「…そうか」と相槌を打ち、それ以上言及しなかった。詩梛もまたそれを予測していたのだろう。
佩李の元に、一人の女性が近づく。ブロンドのボブに乱れた朱色の着物。着物の隙間からは長い足にピッタリと張り付くような厚底のブーツが見え隠れしている。彼女は口に咥えていたタバコを抜き取ると声を上げる。
「よぉー佩李さん…久々やん」
その声を耳にするなり詩梛の顔が曇っていく。
「…
「おー詩梛のおっさんも一緒じゃん」
佩李は感情を顔に出すことなく、夢茅夜と呼ばれた女性に手を伸ばす。
「わざわざ、すまない…夢茅夜」
「ええよ、別に。好きでやってることやし」
夢茅夜はその手を軽く握ると、すぐに放す。そして懐から携帯用の灰皿を取り出すと、タバコをもみ消した。
「でーも、わざわざ私みたいな仕立て屋に依頼するんだから…ヤバいやつなんでしょ?」
仕立て屋・夢茅夜は佩李が舞台で踊るための衣装を制作する人間。呪いの種類によって身につける物を判断しデザインするのが彼女の仕事であった。
「華呪の呪いによって、生み出された【首切り蟲】だ…」
「ふーん、知らない」
夢茅夜はそう言って、フフっと短く乾いた吐息で笑う。そして佩李に近づくと彼の膝に手を置き顔をグッと近づける。
「知らない……けど、佩李さんのことは信用しとる……佩李さんが、ヤベェと思ってるなら、ヤベェんでしょ…きっと」
「あのぉ、佩李様から離れてくれませんか、夢茅夜さん!」
夢茅夜の背後で少女の声がする。夢茅夜が振り返ると、背後から眉間に皺をよせ肩を振るわせる壱景がツカツカと近づいて来ていた。壱景はいつもとは少しデザインの違う黒の装束を身に纏い、タートルネックのインナーを着ている。長い髪は後ろで団子に束ねられている。
「あらー壱景ちゃん。ちょっと見ない間に、大きくなってぇ」
「……先ほども会いましたが」
「じゃあ、二十分ぶりやねぇ…元気にしとったぁ?」
「いいから早く離れてください」
壱景も物ともせず、夢茅夜は佩李の背中にすっと隠れる。
「壱景ちゃん、怖いわぁ…佩李さんも、なんか言ってやってぇ」
「…………」
佩李は夢茅夜の言葉に耳を貸すことなく、ただ壱景を見ていた。いつもと変わらぬ無表情のようにも見えるが詩梛だけが、その顔に怒りを含んでいることに気がついていた。
「壱景」
佩李の静かな声に、声を荒らげていた壱景も落ち着きを取り戻す。
「……はい、佩李様」
「脱げ」
「…はい?」
佩李の思わぬ言動に、その場にいた全員に緊張が走る。佩李からそのような言葉が出ようとは誰も思っていなかったのだ。しかし、佩李の様子から冗談だと判断する人間は誰もいなかった。
「お、おい、佩李。どうしたんだよ」
思わず、詩梛がその言葉の真意を探ろうと声をかけるが、佩李は一向に壱景から視線を外さない。
「脱げ、壱景」
「こ、ここで、ですかぁ⁉︎」
顔を赤らめながら必要以上に恥ずかしそうに振る舞う壱景の様子に、その時になって詩梛も違和感を感じた。いつもの壱景とは様子が違う。
「ちょっと、佩李さん。私がちょっと前の衣装から変更したからって……乙女の服を脱がそうとしないでや。許可なく、いじったのは謝るけどさ」
夢茅夜も便乗するかのように佩李の肩を掴む。
「それとも、本当に壱景ちゃんが欲しくなったわけ?それなら全部終わった後にでも…」
背後から話しかける夢茅夜にも佩李は動じない。
「あ、あの、せめて……もう少し、暗いところで………それに…せめて二人きりの時に…」
「壱景」
佩李はそれ以上言わなかった。壱景は、その声の鋭さに全てを悟っていた。
壱景は諦めたように俯き、佩李と視線を合わさないようにする。わずかに、目には涙を浮かべている。
「…………どうして……わかったんですか」
壱景は消え入りそうな声で、そう言った。
「俺がわからないとでも思ったのか…」
壱景のその発言の意味が詩梛にはわからなかった。
「……佩李さん…怒らないでやってや…壱景ちゃんも覚悟の上なんさ」
「関係ない」
佩李は静かにそう言って立ち上がる。
壱景に近づくとタートルネックの襟に手をかけ、下におろす。
眼下で項垂れる壱景のその白い頸には、華呪・百日紅の呪穢が刻まれていた。
「お、おい……壱景?」
詩梛は驚きを隠せないように口を開いている。
「真紀子を捕らえに行った時か…」
「…はい」
佩李の視線を逃れるかのように、壱景は下を向き続けた。
「自分からか」
「…はい」
『自分にも華呪・百日紅を刻んでほしい』
それが壱景の真紀子を殺さないために提示した条件であった。
「一応聞く。なぜ、そんなことをした?」
佩李のその言葉に壱景は泣きながら、ゆっくりと答える。
「……私の家族は全員、華呪・枸橘からたちで死に…私だけが助かって……もし千梛や…佩李様も……同じように死ぬというのであれば……せめて私も同じ呪いで死にたい……と、思って」
壱景のその言葉に佩李は思わず手を振り被る。壱景は思わず目を閉じ固く身構えていた。高く掲げられた手は弧を描き壱景へと振り下ろされていたったが、それはゆっくりと壱景の肩を抜け背中に回っていた。
「……死なないさ…壱景」
佩李は壱景を両方の手で強く抱きしめていた。
「これ以上、俺の傍から消えようとしないでくれ」
抱きしめるその手から壱景は篇李の影を感じ取っていた。篇李も同じように華呪を患って死んだ人間である。呪いによって死んだ人間の身内に残された苦しみを、佩李が理解していないはずがないのだ。
そして、壱景もまた同じように苦しみを抱いていた。だから、せめて今だけは、佩李を強く抱きしめていたいと、そう思ったのだ。
「…ごめんなさい」
壱景は消え入りそうなほど小さな声でそう口にした。
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