10 X ーエックスー(1月2日更新)


「最初に感じた違和感は、吉野さんが語った話の内容だった…」

 佩李は自室のソファに座り話し始める。

「吉野先生の話に変なところなんてありました?」

 折木はとぼけた様子で聞き返す。おそらく、折木もわかっていたのだろう。わかっていて、佩李に吉野を紹介したのだ。

「……動機だ」

「ドウキ?」

 佩李の横に座る壱景は不思議そうに首を傾げる。泣き腫らした瞼は赤く腫れぼったい。

「『なぜ彼らは廃墟に戻ろうとしたのか』……」

 三人は卒業旅行で廃墟に行き白布の大男に出会った。その白布の大男の異様さに恐怖し、逃げ出したにもかかわらず、もう一度、杉浜と深田の二人は廃墟に戻った。

 佩李の言葉に壱景も同意するように小さく頷く。

「確か、吉野さんの話では…確認しに行くって言ってたよね」

「何をだ?」

「え」と、壱景が声を上げる。

「二人は何を確認しに行ったのか」

「……財布では、ないですね。きっと」

 折木が苦笑いを浮かべる。

「二つ目の違和感……吉野さんは、なぜ俺たちの元から逃げ出したのか」

 黒司は頭を下げ「……申し訳ありません」と小声でつぶやく。謝罪する黒司に佩李は微笑み、軽く手を上げてそれを制する。

「本当に自分から逃げ出したんですか?…連れ去られた、とかではなく…」

「俺の推測だが…吉野さん自らの意志で逃げ出したものだと思っている」

「…誘拐、監禁、その後、【首切り蟲】が殺害した可能性はねぇのか」

 詩梛は相変わらず、降霊書に目を落としたままである。

「可能性はゼロではないが吉野さんに何らかの思惑があったのは事実だろう。それが直接失踪に関係していたかはわからないが、吉野さんにとってあの時、何としても俺たちから離れなければならない事情があった」

 詩梛は納得できないかのように首を傾げていたが、口を挟むことはなかった。

「そして、三つ目の違和感」

 佩李はそこで顔を上げた。神妙な表情を浮かべている。

「なぜ、千梛が狙われなければいけなかったのか」

 壱景の胸が締め付けられそうになる。

「お前には、その謎が解けていると言うのか、佩李」

 詩梛は先ほどとは違い、ゆっくりと顔を上げ、佩李を見る。まるで佩李自身を憎むかのような表情を浮かべる詩梛に、焦る壱景は交互に見る。

 しかし、全員の注目が集まる中、ただ一人、佩李はそれに対して肯定も否定もしなかった。無表情のまま、その全ての先を見越すように、ただ一点を見つめている。

「その違和感の答えが、ここにあった……」

 佩李は自身の右手に握られたルームキーを前に掲げた。


 それは、廃墟で折木が拾ったものだった。呪死体の近くに落ちていたことを考えると、吉野たちが無くしたと言っていたホテルのもので間違い無いだろう。

「それが、どうかしたのか?」

 詩梛としては、それが何を示すのかさっぱりわからなかった。

「これは、廃墟にあったもので、吉野さんたちが卒業旅行で泊まる予定だったものだ」

 現地には行かなかったが、壱景たちもその話は聞いていた。

「黒司…部屋番号を覚えているか?」

「部屋番号ですか……確か、吉野様は『五〇六号室』とおっしゃっていました」

 そんなことをよく覚えているなと、壱景は感心しながらも、佩李が置いたルームキーに目をやり息を呑む。詩梛も、それに気付いたのか佩李からルームキーを受け取った。

「…あぁ?…なぜ番号が違う」

 ローテーブルに置かれたルームキーの番号は『五○八号室』と書かれている。詩梛は眉間に皺を寄せながら謎を解明しようとカードをひっくり返し眺めている。

「偽装したわけでもねぇな…そもそも、その必要も感じられねぇし……吉野の奴が間違えていた可能性は?」

「それはないだろう。俺もホテルのフロントで確認している」

「杉浜さんと深田さんは再度廃墟へ行ってますよね?その時に泊まったものでは?」

「それもない。もともと日帰りの予定で行っていると言っていた。それに呪死体が見つかった後、警察がホテルに連絡をしその日、宿泊していないことは確認済みだ」

「じゃあ、やっぱり……」

 壱景が唾を呑む音がする。

「……どうして、部屋番号が違うの?」

「それが…俺の抱いた三つの違和感を解くための手がかりだった」

 佩李は視線をルームキーに落としたまま静かに言った。

「三つの?」

「ああ、これが全ての答えだ」

 佩李は顔を上げ、皆を見渡す。


「吉野さんたちは、


「…二つ?」壱景の口から、思わず声が出る。

「ああ。…だ」

 ———それって……つまり…



「あの時、廃墟を探索した人物は三人ではなく……四人いたんだ」




 壱景は戸惑いつつも震える声で佩李に尋ねる。

「でも…吉野さんは、そんなこと…」

「言えなかったんだよ」

 佩李はソファに深く座り込む。



「…あの廃墟で三人は、そいつを置き去りにしたからな…」



 皆が沈黙する中、佩李は静かに話し始めた。

「ここからは、あくまで俺の仮説だ……だが俺が先ほどあげた三つの違和感がこの仮説がほぼ事実であることを証明している」


 違和感が佩李の推測を確信に変えた。


「吉野さんたち三人と、四人目……仮に『X』としよう。このXを含めた四人は、卒業旅行と称して廃墟の探索に行った。そして、白布の大男と遭遇し逃げ出した……しかし、Xはその時、逃げきれなかった。だから三人はXを廃墟に置き去りにした…」

「なるほど、それで一つ目の違和感か」

「ああ。だから深田と杉浜の二人は確認しに行ったんだ」

 あの時置き去りにしたXがどうになったかを確かめようとした。

「その事実を後から知った吉野さんは折木にそのことを相談した。そして、俺のところにやって来た。もちろん、吉野さんはXのことはあえて言わずにな…」

 

 その後、壱景と千梛を除いた三人で廃墟に向かうことになる。


「しかし、一方、廃墟ではあることが起きていた………Xは生きていたんだ」

 Xはその時、白布の大男から生き残った。大男にもともと殺す意志があったかはわからないが、無事に生還していたのだ。詩梛はその事実に深いため息をつく。

【首切り蟲】の降霊書を読んだ詩梛はあることに気がついていた。


「………さらにXは、運の悪いことに【首切り蟲】の主人(マスター)に選ばれた……そういうことか、佩李」


 沈黙したまま、視線を落とす佩李の横で壱景がその言葉に反応を示す。


 ———Xは……【首切り蟲】を使役する立場にいた……


「…でも、でもでも、降霊術を行った布を被った大男は?……それも吉野さんのウソだったの?」

「嘘ではないが、事実は少し違う……」


 確かに彼らは廃墟で白布の大男を見たのだろう。しかし、それもまた素人の見解だったのだ。


「白布の大男こそ……降霊術で呼び出された【首切り蟲】だったんだ」


 詩梛は本を捲りながら、その一節を探す。

「『………【首切り蟲】の風体は降霊に使用したものによって異なるが、一貫して共通しているのは布を顔に纏い、その口先を隠していることだ。下顎を常に振るわせ、奇妙な音を出しながら、獲物に近づくのである………』」


「じゃあ、それを呼び出した人間は三人以外に別にいるってこと?」

「……そうなるが、この降霊書を持っていて、ある程度、呪いや黒魔術の知識があれば誰だって準備はできる。鼠取りのように廃墟に罠だけ準備しておけば、本人がいなくても廃墟に来たやつがそれ踏んで発動するようにしておけるんだよ……」

 詩梛は「犯人探しはかなり難しいだろうな」と付け加える。

「Xが呼び出した張本人である可能性は?」

 折木の意見は真っ当である。しかし、佩李はその意見に首を振った。

「おそらく、それはない…その理由は後ほどだ」

 佩李は詩梛からルームキーを受け取って胸ポケットへとしまう。

「降霊させた犯人にとって誤算だったこと……それがXが主人となったことだ」

 偶然だったのか意図的だったのかはわからないが、四人の出現により、犯人の思惑は崩れXが【首切り蟲】を自由に扱う力を手に入れてしまった。

「そして後日、その力を使いXは廃墟で二人の首を刈った…」


 ———復讐のために…


「しかし、その事実を吉野さんは知らなかった…」

 だから、吉野は折木に相談し廃墟に自ら来てしまったのだ。

「廃墟で二人の呪死体を目にし、吉野さんは次に自分が殺されると確信した……」

「だとしたら尚のことお前たちから離れた意味がわからねぇ」

 詩梛は苛立つように足を揺らし、こちらを見る。

 相談しに訪れていた吉野は佩李を信頼し頼りにしていた。逃げる理由はなかっただろうと、壱景は思う。

 しかし、佩李は息を深く吐き出し、また話し始める。

「その時、吉野さんにXから連絡があったんだ」

 黒司も頷く。確かに、あの時、吉野は着信を受けて車から出た。

「おそらく、こう連絡が来たんだ…」


『そこにいては危険だ。お前も殺される。すぐにその場を立ち去って自分のところまで来い。そうしたら、助けてやれる』


「……電話でこのように伝えたのだろう。そして吉野さんは素直にその指示に従った」

「なぜ、吉野はそんな危ねぇ指示に従ったんだ?」

「おそらく、Xが助かったことを知って信用したのだろう。言うことを聞けば、自分も助けてもらえると思った……」

「でも、どうやって僕たちから逃げたんです?こちらは車で追ったんですよ?」

 折木たちは実際に吉野を車で追った。

「レンタカーだ。おそらく二人が廃墟に来た時、レンタカーが廃墟近くに置いてあることをXは知っていたんだ…それを使って塾まで戻って来るように指示を出した」

「なるほど」

 折木は佩李の話を面白そうに聞いていた。

「でも、待ってください佩李さん。それでも三つ目の違和感は解けていません」

 ここまで長く沈黙を続けていた折木が矢継ぎ早に佩李に尋ねる。

「なぜ、千梛さんが狙われなければいけなかったのですか?」

佩李は頷く。

「………それがこのXを特定するための重要なヒントだった」

 それは、吉野が逃げ出す前、メールでXに伝えた内容にあった。

「吉野さんは事前にXにこう伝えていたんだ…」


『今、呪いに関する専門家グループと共に行動している。そのグループの一員にはお前と同じ、静印附属女子の人間もいる…………イッケイとセンナギというやつだ』


 一瞬にして、壱景の体から力が抜けていく。

「お待ちください佩李様…それは飛躍しすぎではないでしょうか」

 黒司も壱景と同様に、顔は少し青ざめている。

「吉野様は『卒業旅行』だとおっしゃっていました……Xは同じ大学のご友人と考えるのが自然なのではないでしょうか……」

「逆だ黒司。『卒業旅行』だからこそ不自然なんだよ…」

 黒司の言葉に詩梛が髪を掻き上げる。

「……二人部屋を二つというのは、そういうことか」

 佩李が詩梛の言葉に頷く。黒司は、その言葉にも理解できていないようだった。

「黒司……俺が三人ではないと思ったのは、三人で卒業旅行に行き、二対一で別々の部屋に泊まる理由はないと思ったからだ」

「はい…でしたら、四人が自然かと…」

「五人目がいた可能性は?それ以上とか」折木が口を挟む。

「おそらくそれはない。彼らは軽自動車で向かっている…軽自動車は乗員定数四人だ」

 鼻をフンとならし、折木はまた押し黙る。

「ここで重要になるのは『卒業旅行』であるということだ……もし、四人で旅行に行ったとして…わざわざ別の部屋に泊まる理由があるか?」

 佩李はさらに続ける。

「休みの繁忙期ならまだしも、平日に大部屋がとれないというのも考えづらい。それに、取れないのであればホテルを変える選択肢だってある」

 それなのに、吉野たちはあえてとった。

「部屋を分ける必要があった………理由は杉浜か深田のどちらかと、そのXは交際していたからだ…」

「……深田 廉」

 壱景の頭をその名が過ぎる。確かに萩野は「静印附属女子の生徒と付き合っている」と、言っていた。

「その交際相手が吉野じゃねぇと判断する理由は?」

「吉野さんは廃墟に行かなかったからだ…廃墟に交際していない二人組で向かうとは考えづらい」

 詩梛はフンと鼻を鳴らす。

「…くだらねぇ奴らだ」

「深田 廉が、ウチの学校の生徒と付き合ってるって……聞いた」

 壱景が徐にそう口にする。

「Xは静印附属女子の生徒であると考えて間違い無いだろう…」

「じゃ、じゃあ、私…」

 立ち上がり、震える手で身支度をしようとする壱景を詩梛が止める。

「待て、壱景。佩李の話を最後まで聞け……あいつは多分、もう既にそれが誰かもわかっている…」

 詩梛の視線を受け止め、佩李は独り言のように呟く。

「ああ」

 佩李は表情を変えることなく一人続ける。

「………吉野さんの話を受けてXは動揺した。もしかしたら、自分が【首切り蟲】を使役し、二人を殺害したことがバレるかもしれない、と。しかし『イッケイ』『センナギ』という名前を受けても、Xはそれが誰を指すのかはわからなかった………」

 佩李はそこで、一息つく。

「だから……あえて嘘の噂を流した」

「……まさか…」

 壱景を向き直り、佩李は頷いた。


「そうだ…千梛が話を聞きに行った…藤沢 真紀子……こいつがXだ」




「……藤沢はこう考えたはずだ『あの廃墟にいた人間にしかわからない噂を流せば、それに二人は食いつくはずだ』と…」

 そこで噂を流し様子を見た。予想通り、何人かは面白がって藤沢に聞きにいくだろう。彼女の性格や顔の広さを考えると、それはかなりの人数になったはずだ。

そこから特定するにはまだ心もとないと、藤沢は思ったのだろう。


「さらに藤沢は次の手を打った………マルセキ塾に電話をかけ罠を張った」


『静印附属女子の生徒に塾の評判を落とそうと噂を流している人間がいる。もし変な電話がかかってきたら、折り返すと言って名前を聞いておいてくれ…私の方からガツンと言ってやるから……』


「……たかだか面白くもない噂のために電話をしてくるやつなんて、そうそういない。しかも千田 渚という名前を電話口で聞けば『センナギ』に変換されてもおかしくはないだろう」

 その罠にハマった千梛は自ら藤沢のところに向かった。

「おそらく、藤沢はその場をうまく丸め込み、千梛が自分と別れ一人になったところを狙った。自分のところに向かっている途中でいなくなったのでは自分が怪しまれるからな」

 だから千梛が誰かに電話をかけ終えたのを見計らい、襲った。こうして千梛は藤沢の元を去ってから襲われたという証言も得ることができる。壱景まで手が回らなかったのは、千梛の口を割ればいいと思ってのことだろう。しかし、千梛から情報を聞く前に佩李たちが塾へとたどり着いた。だから、千梛を手離さざるを得なかった。


「………狩っていい…?」


 誰に視線を合わせるでもなく、窓の外を眺めたまま壱景はポツリと言った。

「ダメだ。千梛の華呪を取り除くには藤沢に話を聞く必要がある………生きてつれて来い」

 壱景はどこからともなく般若の面を取り出すと、顔を覆う。

「……壱景、気をつけて行ってこい」

 佩李の言葉に返事をせず、辺りを一瞥すると壱景は2階の窓から外へと出ていった。




 ◇  ◇  ◇



 佩李は壱景が出て行ったのを見計らい、詩梛の方を見た。

「詩梛、少し確認をしたい…」

 詩梛は手に持っていた降霊書をペラペラと捲りながら「いいよ」と返事をする。

「【首切り蟲】はなぜ千梛の首を切らなかった?」

「…俺もそれはわからねぇ…」

「……わからない?」

 詩梛は天井を見上げ、神妙な表情を浮かべている。

「降霊書に書いてある内容を大まかに要約するとこうだ」

 ①【首切り蟲】は、一日一人しか殺さない。

 ②【首切り蟲】は華呪『百日紅』を刻んだ人間しか殺さない。

 ③【首切り蟲】の主人となる人間には『蟲』の呪穢が刻まれる。


「……一日一人?」

「そうだ。複数の人間に華呪がある場合…刻まれた時刻が早い順番に殺していく…」

「だが廃墟の二人はどうなる?」

 彼らは同じ場所で殺されていた。となると、もう片方は一日中、呪死体のそばで拘束されていたことになる。成人男性が抵抗することもなく、殺されることなどあるのだろうか。

「おそらく、これは③の主人の特権だ。藤沢が持つ『蟲』の呪穢によるものだろうな………だが、これに関しては書いない以上、推測でしかねぇ」

「『蟲』の呪穢によって意識不明で眠らされていた……千梛と同じか」

 詩梛は無言のまま佩李に目を合わせ同意する。

「千梛の首が未だ無事なのは、吉野が華呪を刻まれた時間よりも後だからだ……だから千梛の順番はまだ来ていない…と思っている」

 詩梛は「確証はないがな」と加えて言った。

「……いつ千梛のタイミングになるのかは、藤沢しかわからないということか」

 それが今日ではないと限らない。それに千梛ではなかったとしても、今日も誰かが死んでいくことには変わりない。一刻も早く、なんとかしなければいけない。

「でも、おかしくないですか?」

 そこで口を開いたのは、折木だった。

「だとしたら、どうして千梛さんを解放したんです?」

 確かに折木の言う通りである。壱景の情報が聞きたいのであればギリギリまで拘束し、無理やりにでも話を聞くべきだったのだろう。ましてや、千梛に華呪を刻むことも蟲の呪穢で眠らせることも、得策とは思えない。

「既に千梛が壱景のことを話した…だから用済みだった可能性もある」

 苦々しくも詩梛自身がその可能性を口にするが、折木はそれを否定する。

「僕が藤沢さんなら、死んでから見つかるように待ちますよ。万が一目が覚めて、自分のことを言うかもしれないし…………まるで、わざと見つけさせようとしたとしか思えないんですけど」

「…………」

 確かにその考えも否定できなかった。

 だとしたら、なぜ藤沢はそのようなことをしたのか。

「藤沢自身も…この力を手放したかった…」

 佩李は自身でそれを口にしながら、その言葉の意味を探る。

「三人を殺害し、ほぼ無関係の千梛にも刻んでおきながらか?」

「………刻まなければいけなかったんだ」


 ―――そうか……結局、これは………『呪い』なのだ。


「おそらく【首切り蟲】は華呪『百日紅』の呪穢を刻んだ人間が、この世からいなくなると最後に主人の首を刈るんだ……」

「ペナルティか………降霊術関係の話じゃよく聞く話だ…」

 詩梛の表情は暗い。

「自分が死なないためには、一日一人、殺し続けなければいけない……」

 藤沢はこの呪いを終わらせる方法を知りたかった。

 だが、このまま自分が佩李たちの元に行けば自分は見捨てられるかもしれなかった。すでに、何人もの命を奪っている。きっと自分は捕まり、自分が死ぬ時まで拘束されておわる…そう思ったに違いない。だから佩李たちの仲間を人質にして交渉材料にしようと考えた。

「詩梛、このペナルティについては載っていたか?」

「いや、俺の見た限り載ってはいなかった…」

 降霊書というものは、あくまで降霊を行うものであって、それ以外のことは範囲外。だから口伝のみで伝えているものや、別の書物で補われている物もある。

「藤沢が、まだ俺たちの知らない【首切り蟲】の情報を握っている可能性がある」

 今はただ、壱景を待つのみであった。


 ◇  ◇  ◇


 壱景が藤沢真紀子の家に侵入した時、彼女は二階の自室で本を読んでいた。

「…大丈夫。私以外誰もいないから」

 背を向けていた真紀子は椅子を回転させてドアの前に立つ壱景に向き直り、軽く微笑んでみせる。背が高く、Tシャツとジーンズ姿のシンプルな格好であるが、品の良さそうな明るい印象が滲み出ている。

「あなたが壱景さん……で、いいの?」

「…………」

 真紀子は壱景の様子を見ながらも、動じることなく冷静に話し続ける。

「私のことを捕まえに来たの?……それとも殺しに?」

「…………」

「まぁ、もう、どちらでもいいのだけれど…」

「…………」

 真紀子の目は、壱景を捉えてはいるものの、まるでその視線に生気を感じない。

「抵抗しないから…好きにして」

「…………殺しはしない。ただ一つ、お前を救うには条件がある」

 そして、二階の電気が消えた。

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