09 首切り蟲④ (1月1日更新)

 塾の中はひんやりとしていた。

 ———廃墟の中で感じた冷気と似ている…

 警察の指示もあり塾内に人がいる様子はない。無人となった受付を通り抜け、壱景と佩李は奥へと進む。塾内は照明を落としているためか、辺りは窓から差す光のみである。それにもかかわらず、床に散乱する百日紅の花びらが、自ら発光するかのように目に焼き付く。

「こちらです」

 壱景には確信に近いものがあった。

 塾の見学に訪れた時、一つだけ使われていなかった場所。もし、あそこに隠れているのだとしたら、この三日間、誰にも見つからなかったとしてもおかしくはない。階段を上がり、三階へ向かう一番奥の右側の部屋。心なしか近づくにつれて散らばる花びらの数が増えているように思える。

「……ここです」

 空き教室の曇りガラスに、花びらがいくつか貼り付いている。中の様子を伺おうと、壱景はそこに手のひらをあて花びらを払おうとする…が、

「払えません」

「…全て内側か」

 二人はそこで顔を見合わせると呼吸を整える。冷気は一層、強まっている。


 ———ここに、いる


 鉄の棒を握る壱景の手に力がこもる。今すぐにこれを振り下ろし、破壊したい衝動が苛立ちのような怒りとなって壱景を覆い尽くす。短絡的な怒りに身を任せていないと最悪の想像が自分を襲うのだ。


 ———大丈夫、大丈夫、大丈夫…


「…行くぞ」

 佩李はポケットから塾構内のマスターキーを取り出す。あらかじめ、塾長から受け取ったものだった。スライド式のドアに鍵を差し込み捻ると、ガチャリと開錠する。そして、一気にドアを開く。行き場を失っていた大量の百日紅の花びらが、波のように壱景と佩李の足元を通り抜けていく。


「……なぎ、ちゃん……?」

 薄暗い空き教室の中央には、女子生徒が座らされている。曇りガラスの窓の向こうを見つめるかのようにこちらに背を向け、微動だにしない。質素なパイプ椅子の背もたれに力なく身を委ね、だらりと垂れ下がった両腕の指先からは、百日紅の花びらが、雫のように落ちていく。


 まるで、千梛のような背格好で、

 まるで、千梛と同じ制服姿で、

 まるで、千梛が持っていた鞄を横に置いて、


 ―――それなのに…

「……見るな。壱景」


 それなのに、肩から上が、ぽっかりと空いている。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああっあああああああああああああああああああああああああああ……」


 壱景はその場に膝から崩れ落ちる。激しい動悸と嗚咽に体が苦しくなり、思わず般若の面を外し投げ捨てる。カランと乾いた音を立てて、廊下の床を滑るように転がっていく。


「……あああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ」


 佩李は壱景の肩を抱きしめ、着ていたジャケットを頭の上から被せる。視界を遮り、そのまま肩を抱き寄せたまま、一歩ずつ後ろに歩かせ、廊下の壁にもたれさせる。


「……落ち着け、大丈夫だ…」


 佩李の声も震えていた。








 壱景の嗚咽が収まりを見せると、佩李はそのまま体を抱き、廊下に座らせる。

「見てくる……お前はここにいろ」


 呆然と下を向いたまま、壱景は何の反応も見せなかった。時折漏れる吐息は短く弱々しかった。佩李はその様子を見ながらも立ち上がり、教室へと向かう。

 教室の真ん中に鎮座する千梛の呪死体に向かって、歩みを進めると天井から花びらが舞っていることに気がつく。

 千梛の存在に気を取られ天井まで見ていなかった。

「……吉野さん……」

 天井には黒色のワイヤーらしきものが、幾つも垂れ下がっており、そこに吉野の首のない呪死体がぶら下げられている。その首の断面からは、花吹雪のようにピンク色の花びらが千梛へと降り注いでいた。

「………すまない…」

 ―――俺の、力が至らなかった


「……千梛…」

 ―――俺がお前を巻き込んだ…


 佩李はゆっくりと、千梛の体に近づき、抱き寄せようと肩に手を置いた……時、


「…壱景‼︎来い‼︎」


 教室から壱景を呼ぶ佩李の声がする。一瞬、壱景は自分が呼ばれたと認識できなかった。しかし、佩李の声が一気に体を駆け抜け『掃除屋』としての理性を目覚めさせていく。

 すぐさま鉄の棒を握りしめ、教室に入る。【首切り蟲】の姿が見え次第、すぐにでも殲滅できるように覚悟を決めていた。


「……壱景」


 しかし、そこに【首切り蟲】はいなかった。そこにいたのは、佩李に抱き抱えられた千梛の姿である。

「壱景、見ろ」


 佩李に抱かれた千梛の全身が見える。

「首を前に傾けていたから、俺たち側からは見えなかったんだ…」

 千梛の首は切断されていなかった。俯き、子どものように寝息を立てる千梛の顔が見える。

「……意識はないが、ちゃんと生きている」

 壱景はすぐさま二人のもとに駆け寄り、千梛を抱きしめると声を上げて泣いた。壱景の涙で千梛の肩が濡れていく。


 佩李はその様子を見ながら壱景と同じように安堵していた。自分の手にこめていた力がどっと抜け、ほぐれていく。だが、しかし千梛の頸に残る百日紅の呪穢は見逃さなかった。


 ◇  ◇  ◇


 翌日。

 千梛はあれから目覚めることはなかった。病院の一室で横になったまま、スヤスヤと眠ったままである。

 佩李は医者から容態を聞いたのち、千梛の個室へと見舞いに訪れた。

「いたのか」

「……ああ」

 詩梛は千梛が眠るベッドの横にパイプ椅子を出し【首切り蟲】の降霊書を読んでいた。もう既に半分ほど捲られている。テーブルの上にはいくつもの紙コップが塔のように重ねられている。

「ずっといるのか?」

「……こいつが生まれた時から横にいる」

 佩李は詩梛の前に座ると、ベッドを眺める。

「体に異常は?」

「ない…少し栄養が足りてなかったぐらいだ」

 千梛の顔を見るが、傷らしきものは見当たらなかった。

「…こいつに、華呪を刻んだ馬鹿はわかったのか…」

「いや、」

 結局、マルセキ塾からは【首切り蟲】に関することも、白布の大男に関する情報も何も出てこなかった。

 詩梛は「そうか」とだけ言って、降霊書へと視線を戻していく。


 佩李は背中を丸め、両手を握るように組むと目を閉じる。


 ———何かが、おかしい…


 今回の千梛の一件で、その疑念が確信へと変わっていくようだった。

「…詩梛…白布の大男は…本当に存在したと思うか?」

「…あ?」

 佩李に呼びかけられ集中が途切れたのか、降霊書から顔を上げた詩梛が不機嫌そうに睨みつけた。

「引っかかっているんだ。なぜ、この一件がここまで複雑になっているのか…」

「…何だよ。犯人はその【首切り蟲】を呼び出した大男なんだろ?」

「ずっと違和感がある」

「呪いに関係することか?」

「…わからない」

「直感か?」

「まぁな」

 佩李の言葉に詩梛は深く息を吐き出しながら背を後ろに倒し、天井を見上げる。

「大男の存在は俺にもわからん…誰も会ってないからな」

 白布の大男を目撃した吉野を含めた三人は、呪死体となって見つかっている。

 降霊術を行った大男以外に目撃者はいないのだ。

「だが【首切り蟲】の内容に関することは、もうすぐだ………少し待て」

「ああ」

 その時、佩李のスマホが振動する。黒司からの着信だ。

「外で出ろよ」

 詩梛は降霊書を捲りながらそう言った。


「…何かあったか?」

『いえ、こちらは特に大きな問題はございません……』

 黒司には念の為、富士原裕子の傍で様子を見るように頼んでいた。彼女自身、【首切り蟲】と関わっていないものの降霊書の発見者である以上、何もないとは限らなかった。

「なら、どうした?」

『富士原様がどうしても、佩李様とお話ししたいということでして…』

「…そうか、変わってくれ」

 黒司の声の奥で、裕子がお礼を告げている。どうやら黒司からスマホを受け取っているようだった。

『もしもし佩李さん。裕子です』

「ご無事なようで安心しました」

『お陰様で。こちらこそ、お忙しいのにボディーガードまでありがとうございます』

 黒司が後ろで吹き出し、咽せている。

『それでね、佩李さん、私、どうしてもお礼がしたくて……実は私の従兄弟がね、田舎で旅館を経営しているの。すごく大きくて素敵なところよ』

 裕子はそこで「ふふ」と笑った。

『よろしければ千梛さんや壱景さんも。もちろん、それ以外の皆様もご招待したいと思っているの』

 千梛という言葉に思わず表情が曇る。もちろん裕子には千梛のことを伝えていない。

「……ありがとうございます」

『私からお願いすれば大人数の部屋でも用意できますわ…基本は三人前後の部屋ばかりなんですけれど、せっかくなら葬儀に関わってくださった皆さんで楽しんでいただけるような大部屋もお借りして…』


 その一言であった。


「………………」

 その言葉に、今までの違和感が蘇る。

『あら、佩李さん?』


 返答の無い佩李を不審に思ったのか、裕子は何度も呼びかけている。

「………………」


 佩李は、親指に手を当て考える。脳が震えている。

『あの…大丈夫かしら?…佩李さん?』


 その時、


「………だ…」


 全ての違和感が晴れていくようだった。血潮に跨った感情が、一斉に体を駆けていくのがわかる。


 謎は一つの真実に繋がろうとしていた。

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