08 首切り蟲③  (12月31日更新)

 吉野と千梛が行方不明になってから三日が経過した。

「壱景」

「…………………はい」

 壱景の表情に生気はない。わずかに開いた小さな口からは声にならない吐息が漏れて消えていく。

「お前は学校に行け、壱景。闇雲に探したところで何も見つからん」

「でも……」

 壱景の反論に佩李は鋭い視線で黙らせた。

「あいつが居なくなってから、まともに家に帰っていないだろう」

「帰っても眠れないので…」

 家にいたところで心が休まることはなかった。体力には自信がある壱景であったが、千梛が行方不明となってから、不安から来る精神の疲弊は大きく体には常に倦怠感が付き纏った。最後に電話をした場所を中心に、壱景は毎日、朝から晩まで千梛の消息を追っていたが、めぼしい情報は入っていない。

「ならせめて学校に行ってこい」

「…………」

 詩梛から連絡が入ったのは三日前の夜。

 壱景が千梛と連絡をしてから二時間後のことだった。

 壱景は初日こそ調査のために学校には行っていたものの、千梛が一切学校へ登校していないことがわかった後は、壱景も学校へ向かうことはなかった。担任の町田には体調不良のため、学校を欠席すると連絡していた。

「お前のことだ……休めと言っても休まないだろう。だが、体も含め心の休息も必要だ。……友人に会ってこい」

「学校では休まりません」

「なら仕事として行け。千梛の情報を集めてこい」

 佩李からそう言われれば従わないわけには行かなかった。佩李の元を離れ、壱景は一度自宅に戻ると制服に着替え家を出た。時間は、午後二時。学校では午後の授業が始まっている時間だ。


「…遅刻しました」

 教室の後ろ側の扉から一礼し、入室する。クラスの大半の生徒が後方を振り返り、壱景の顔を見ると数名の生徒がこちらに頷くようにして合図を送る。智代は体をこちらに向け、小さく手を振る。

「……ケーコちゃん!」

 授業中ということもあり声は出ていなかったが、口の開き方が壱景の名を呼んでいた。壱景も微笑みながら、それに応えた。


 ◇  ◇  ◇


「……佩李様」

 扉の向こうから囁かれる、黒司の声で佩李は目覚めた。

 壱景を見送った後、佩李は自室のソファで横になり、寝るつもりはなかったが、気づけば深い眠りについていたようだった。強張った体で扉に視線を送ると、ソファから床に投げ出した自分の右足と、明後日の方向に散らばった靴が視界に映る。

 左手を天井に向けて伸ばす。腕時計は午後一時、既に壱景を見送ってから三十分ほど経過していた。

 佩李はソファから立ち上がり、乱れた髪を掻きながら靴を履き直す。

「どうした…」

 扉の向こうの黒司に声をかける。

「富士原様からお電話です」

「……富士原?」

 佩李はテーブルにあったサングラスをかけ直すと、扉を開く。

「はい。以前、供養された方かと思われます」

「ああ、…富士原 裕子さんか」

 確か品の良い女性だったと記憶していた。

「要件は?」

 なぜ、今になって連絡をしてきたのか。すでに供養にかかった費用に関しては全額支払われている。

 嫌な予感が佩李の頭をよぎり、表情が曇るのを察してか、黒司は小さく笑う。

「改めてこの前のお礼がしたいそうです」

「あ、ああ…そうか」

 佩李は一瞬にして緊張が緩まるのを感じた。ここ三日間、些細なことでも過敏になっている自分にため息が漏れる。

「…わかった。駅前の喫茶店で待ち合わせようと、伝えてくれ」

「向かわれるのですか?」

 黒司は少し意外そうな顔をした。千梛のこともあってか、断るだろうと踏んでいたのかもしれない。

「供養は呪死体のためだけに行うのではないからな」

 佩李はコート掛けからジャケットを取ると部屋を出た。

「それに…駅前には用がある」


 ◇  ◇  ◇


「ケーコちゃん…体、大丈夫ぅ?」

 授業が終わり、智代がノートを片手に寄ってくる。どうやら、これまで休んでいた授業の板書を見せてくれようとしているようだった。

 智代はノートを手渡しながら、壱景の顔を覗き込む。

「大丈夫……ちょっと、風邪気味だっただけ」

「まだ、顔色悪いよ?」

 無理しちゃダメだよ、という智代に壱景は曖昧な返事をする。智代は壱景が登校していないこれまでの学校生活がどれだけ退屈だったかということを力説し、そして、学校祭準備の話や、昨日見たテレビの話題へと二転三転変わっていく。

 壱景は智代に相槌を打ちながら思わず微笑んでいる自分に気がついた。それは無意識に生まれた自然な笑みだった。千梛を思う不安は未だ大きかったが、それでも智代との時間は、壱景にとって心休まる時間であったのは間違いない。

 壱景は智代の顔を眺めながらそんなことを思っていると、

「あっ、そういえば」

 智代は手をポンと打ち、何かを思い出したように呟いた。

「ケーコちゃんがお休みの間、三組の萩野さんが何回か来てたよ」

「萩野さん…」

 マルセキ塾で出会った噂好きの女子生徒のことだろうか。確かに学校を休んでいる間、壱景のスマホにも何度か連絡が来ていた。マルセキ塾で変わったことが起きていないかを聞くためにも何度かやりとりをしていた。しかし、特にこれといった情報がないようだったので昨日は一度も返していなかった。

「うん…それで、机の中に封筒を置いてったよ」

 智代が壱景の机を指差す。壱景は机に手を入れ、封筒を取り出す。角形二号サイズの水色の封筒で下の方にはマルセキ塾の文字が見える。手に取った厚みから、パンフレットが数冊入っていることがわかった。

「なんか…塾の勧誘みたいだね」

「…はは」

 壱景から思わず乾いた笑いが出る。そういえば萩野はぜひ入塾して欲しいと言っていた。そのためにパンフレットを持ってきたのだろうか。

「ケーコちゃん塾行くの?」

 智代は興味津々にその封筒を眺めている。壱景が返答に困る様子を見せていると智代は「見せて見せて」とせがんで来た。智代は以前から自身の学力を心配しており、親からも塾に行くように言われていると聞いていた。

「私、どこがいいとかわからなくてぇ…」

 智代は封筒を受け取ると、中に手を入れパンフレットを抜き出した。厚みのある冊子が勢いよく飛び出る。

「資料とかも、結構もらってるんだけどぉ…」


 その時、何かが落ちた。

 小さな、何か、


「なんか、どこも一緒に見えるというか……」

 佩李から、聞いていた話。


「結局どこがいいか、わからないというかぁ……ん?」

 何かが落ちたことに気がついた智代はそれを拾い、手に取った。




「なにこれ……………花びら?」



 ピンク色の百日紅の花びらだった。



 ◇  ◇  ◇




「ごめんなさい…わざわざ、こんなところまで」

 裕子は佩李が近づくと、立ち上がり頭を下げた。

「こちらこそ。ご丁寧にありがとうございます」

 既に供養に必要なお金は受け取っている。今日は本当に裕子の厚意だったのだろう。

 駅前の小さな喫茶店で裕子と佩李は待ち合わせていた。四十年以上続く昔ながらの純喫茶は、店の隅々までタバコの匂いを染みつけていた。喫煙しない裕子と佩李は、分煙ということで端の窓側の席へ追いやられていた。頭上には最近付けられたであろう真新しい空気清浄機が、ゴウンゴウンと唸っている。

「元気にしていらした?」

「ええ」

「ふふ、嘘ね」

 裕子はそこで佩李の目を見て微笑む。その笑みには、様々な意味合いが見てとれた。

「とは言っても私もね、色々整理しなきゃいけないものもあって…疲れちゃったわ」

 若い店員がテーブルに近づき、注文していたホットコーヒーを二人の前に並べていく。店員が去るまでの間、裕子は微笑みを浮かべたまま静かに待っていた。供養を行う前の疲れた顔とはまた違う、憑きものが落ちた顔だった。

「…それでバイトまで雇って、やっと遺品の整理を終えたところなの」

 裕子はコーヒーカップに砂糖を二つとミルクを入れて、スプーンでかき混ぜる。

「主人はあまり欲がある人ではなかったから、物は多くなかったんだけれど、書籍関係はかなりあって…この際だから全て処分してしまったの」

 どうやら専門の書籍ばかりで、裕子が読んだところで一割も理解できないものばかりだったらしい。

「でも、そしたら……部屋が広くなっちゃって…ずいぶん居づらい家になったわ」

 裕子は窓の外を眺めながら、独り言のように呟いた。裕子に子どももいないため、今は一人でその家に住んでいるという。

「でも、あの人との家だから…」

 そう言ってまた笑う。

「この度は、誠にありがとうございました…」

 裕子はまた、深々と頭を下げた。佩李は裕子に向かって頭を上げるように言った。

「私はあくまで仕事として供養をしただけです。…源平さんが、生前素晴らしい人だったから、裕子様の中で感謝する気持ちが生まれるのでしょう。その言葉は、ぜひ、ご主人にお伝えください…」

「……そうね」


「そうかもしれないわ」と続けて言って、裕子はコーヒーに口をつけた。そして、裕子は自身の手に視線を落とす。血管が浮き上がる、小さな老人の手だった。それから誰に見せるでもなく、目尻に深い皺を残したまま、俯き静かに微笑むのだった。

 数分の沈黙が続く間、佩李は窓の外を眺めていた。


 ———……「供養は呪死体のためだけに行うんじゃないよ、兄さん」…


 篇李はあの日、そう言って笑っていた。


 ◇  ◇  ◇



「例え呪いが解けたところで、亡くなった人間が生き返るわけではない」

「だからこそだよ」

 篇李は詰襟の学生服に身を包み、佩李の運転する助手席に座っていた。葬儀を終えて自宅へと帰宅するところで、篇李の方からそう言ったのだった。

「呪いが解けて供養できたとしても、生きている他の人の心に闇が残ったら、それは呪いと変わらないじゃない」

「仕事だからな」

 佩李にしてみれば、一概に納得できるものではなかった。しかし、その発言そのものが篇李と自身の性格の違いを浮き彫りにするかのようで、ひどく心に残った。

「兄さんはそこを区別して考えられるから強いんだ」

 実際、篇李に謳拾い師としての才能は乏しかった。その日も供養の様子を見学に来たのみで、彼が行ったことは佩李の僅かな仕事の手伝いのみであった。

「それが兄さんの強さでもあり、弱さでもある」

「耳が痛いな」

 篇李はそこで笑う。

「生意気?」

「…いや、そんなことはない。理解はしている」

「でも共感はできてないでしょ、きっと」

 それを否定しようとして、佩李は押し黙る。何を言っても、とってのつけたその場凌ぎの言葉になるとわかっていたからだ。自身の言葉の軽さに嫌気が差していた。

 そして、篇李はそれを見抜いている。

「兄さんにとって呪死体って……人?」

「人だよ」

 佩李は食い気味にそう言った。

「じゃあ聞きたいんだけど…兄さん」

 篇李は俯いて、それから佩李の方に最大限の微笑みを向けて呟いた。



「………もし、僕が呪死体になったら………兄さんはどうする?」

「篇李」

「……ねぇ、兄さん」

 篇李の顔は車の影に覆われてわからなかった。篇李は、


「兄さん自身のために僕を供養をしてくれる?」


 ◇  ◇  ◇


「あ、そうだ……私、忘れてた」

 気がつけば裕子はすでに切り替えたようで、表情はあっけらかんとしている。そのまま手に取ったコーヒーカップを傾け、ぐっと飲み干した。

「…ん」

 佩李は慌てて意識を彼女に戻す。裕子は自分が持っていたトートバックを探り、中から風呂敷に包まれた箱のようなものを取り出した。

「主人の遺品整理をしていた時に本を見つけたの」

「…本?」

 裕子から手渡された包みを佩李は受け取った。手に持つと、異様なそのズシリとした重さが手に食い込んでいく。確かに大きい本ではあるが、見た目以上に、やけに重たい。


「私、学がないから…主人の読んでいた本は全然わからないのだけれど…」

 佩李は風呂敷を捲る。


「その本の言葉、私には全然読めなかったんだけれど……メモが挟まっていて……」

 中から古くカビ臭い本が姿を現す。年季が入っているという次元ではない。集中しなければ、本は形を失って崩れていくような気さえする。


「……メモの言葉。それだけは読めたの……でも、なんか嫌な感じの言葉だったから…」


 その時、佩李の目にその文字が映る。

 表紙の上にはメモがあり、パソコンで印刷された文字で一言だけ書かれている。


「念の為に…佩李さんに見ていただきたくて…」


 それは、紛れもなく、確かな文字で書かれている。


「……【首切り蟲】と読むのかしら…」


 ◇  ◇  ◇


「あ、景子さん!」

 授業が終わった放課後、三組の教室に荻野涼子はいた。友人と談笑していたらしく、横にいた三人の女子生徒たちも萩野の視線の先を追う。

「え、五組の市川さんじゃん…」

「涼子、あんた友達なの?」

「顔、ちっさぁ…」

 それぞれが思い思いのことを口にする中、荻野は彼女たちに待つように伝え、こちらに向かってくる。

「体調は大丈夫?」

「……荻野さん、聞きたいことがあるの…」

 壱景は荻野の前に握っていた右手を広げる。その掌には、ピンク色の花びらが乗せられていた。

「あっ…」

 荻野は小さく声を出す。

「…知ってるの?」


 壱景は左手をブレザーのポケットに入れ『道具』があることを確認しつつ、萩野の返答を待った。返答次第では、次の行動が変わってくる。


「これ、今ウチの塾でめっちゃ落ちてるやつ…」

「…落ちてる?」

「うん」

 荻野は壱景に笑顔を見せながら頷く。


「ウチの塾って土足でしょ。だから、誰かの足にくっついて、散らばってるんじゃないかって噂なの」

「……塾の近くで咲いているの?」

「うーん…」

 荻野はそこで天井を見上げて考えるが、やがてこう言った。



「なんか、外よりも中に落ちてるって感じなんだよね」

 だから、誰かが中で飾っているのかもしれないと笑って言う。



 ◇  ◇  ◇



 午後三時四十七分。

 佩李、詩梛、壱景がマルセキ塾の玄関前に集合する。

「警察に掛け合って、ここ一帯を封鎖している…」

 詩梛は肩にかかる髪を左手で掻き、右手を着物の襟に仕舞い込んだまま、佩李に近づく。気怠げに話してはいるものの、その視線はマルセキ塾のビルを見上げたまま離さない。

「詩梛…すまない」

 全ての感情を含め、佩李はそう言った。詩梛は何も答えず、佩李の肩に軽く手を置くのみであった。


 佩李の横に並ぶ壱景の手には、パイプを平たく潰したかような鉄の棒が握られている。顔には既に黒の般若面で覆われており、わずかに見える壱景の目には殺意と緊張が滲みでている。

「詩梛…電話で伝えたものだ」

 佩李は詩梛に先ほど裕子から預かった本を手渡す。

「……おうおう、これはまた………とんでもねぇものを気軽に見せやがって……」

 詩梛は着物の袂から眼鏡を取り出す。ページをめくり、真剣な眼差しでそれを見つめたあと、

「ああ、間違いねぇ…【首切り蟲】の降霊書……しかも、十三世紀に残されたオリジナルときやがる……」と言った。

「本物か?」

「…ああ。できることなら、一生関わりたくない本だったがな」

 本を持つ詩梛の手は、わずかに震えている。

「解読と舞台設置に合わせてどのくらいかかる?」

「……千梛なら一週間だが…俺なら四日だ」

「頼めるか、詩梛」

「当然だ。可愛い妹の命がかかってやがる」

 詩梛は疲れた笑みを浮かべながら、壱景の方に視線を送る。

「掃除屋…頼むぞ」

 詩梛の言葉に壱景は頷き、般若の面の位置を定位置へと調整する。

「…行きます」


 壱景がマルセキ塾に足を踏み入れると、後を佩李が続く。

 詩梛は二人の姿を見送り、来た道を引き返していった。


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