07 首切り蟲② (12月30日更新)
「失踪…どうして?」
スマホの近くで耳を寄せる千梛も驚いた顔で壱景を見た。
『理由はわからないが……念の為、お前たちはマルセキ塾に向かってほしい』
「分かりました」
壱景と千梛は顔を見合わせる。
それから一瞬の沈黙の後、壱景は思い出したように続ける。
「それと、千梛からもお伝えるすことがありまして…」
壱景は、先ほどまでの話を掻い摘んで説明する。佩李は、最後まで話を聞き「そうか」とだけ、言った。
「今、千梛と目撃者の女子高生に会いに行こうと相談していたところです」
『わかった…が、その前に千梛に聞きたいことがある』
「はいぃ!」
急な呼び出しに、千梛は震えながら壱景のスマホを受け取る。
『千梛、塾に電話をかけて大男のことを確認した…と言ったな』
「…はい」
『…何と聞いた?』
「え?」
『どうやって確認を取った?』
「……『塾の屋上に白い布を被った大男がいたらしいが、それは事実か』…という感じで聞きました」
『塾側はなんと答えた?』
「まずは講師たちから事実確認をとるので名前と連絡先を教えてほしいって言われたので…答えました。そしたら、三十分後に連絡が来た感じです…」
『…自分の名前も言ったか?』
「はい…千田 凪沙って……答え…ちゃい、ました…」
千田 凪沙は、千梛の高校生活における仮の名である。
『そうか…では塾にお前がどのような形で割れているかわからんな。警戒されている可能性がある』
マルセキ塾には静印付属女子の生徒も通っていると言っていた。
「……昨日、千田凪沙って怪しい女子生徒から、連絡が来たんだけどさぁ…」と、講師が生徒に話してないとも限らない。となれば、千梛側の情報も生徒を通じて知れていると思った方がいいだろう。
「ごめんなさい……怒らないでください」
『怒ってはいない』
千梛は目に涙を浮かべ、震える両手でスマホを握りしめている。先ほどまでの冷静さは微塵もない取り乱し方である。
「何でもしますからぁ…」
『いや、いらない』
佩李は即答する。
「……佩李様ぁ」
千梛からは声にならない吐息が、プスプスと漏れるだけであった。
『千梛、お前はよくやっている。反省は必要だが、それ以上に次回の組み立てまでにはコンディションを整える方が先だ……ゆっくり休め。それがお前の責務だ』
「…はい…分かりました」
千梛は肩を落としながらスマホに向かって一礼し、壱景にスマホを返す。
『…ということだ、壱景。塾にはお前一人で向かってくれ』
「分かりました」
佩李との通話を切る。
壱景は苦笑いを浮かべつつ、先ほどよりもずっと丸くなっている千梛の頭をサワサワと撫でる。撫でられ、猫のようにグスグス鼻を鳴らす千梛だったが、横目で壱景に視線を送るとぶっきらぼうに言い放つ。
「…仕事くれ」
「休めって言われたじゃん」
「……じゃあいい。私が藤沢真紀子のところに行くもん………手分けしよ」
いつもの千梛であれば絶対にそんなことをしないはずだが、傷心の千梛からすれば、今は少しでも役に立ちたいという願望があるのだろう。
「大丈夫…?一人で行けるの?」
「うん…行ける」
おつかいを初めて任された小学生のように、千梛は表情に不安を見せながらも小さく頷いてみせる。
「ん、じゃあ私は塾の方に行ってみる…か」
と言ってみたはものの、用もなく塾に進入することなど可能なのだろうか。玄関の前で張り込んだところそこまでの意味があるとは思えない。できることであれば、自然な形で入校できれば良いのだが。
そんなことを考えていると、校舎三階、廊下側の窓がガラリと開かれる。
「…あぁぁー‼︎ケーコちゃんいたぁ!」
快活な智代の大声が、中庭まで響いてくる。その声に驚いた千梛は飛び上がり、瞬時にベンチの背もたれに身を隠す。
「智代ちゃん…どうしたー?」
壱景は笑顔を見せながら智代に小さく手を振ってみせた。
「どうしたじゃないよぉ!もぉ…すぐサボるんだから!」
智代は怒ったように、頬を膨らませながらプリントをこちらに振って見せる。それは、先ほど町田に頼まれて壱景が運んだものだった。
「広報係で手分けして配りに行くよぉー」
そういえば、そのような仕事もあったと、思わず壱景は心の中で舌打ちをしそうになる、が、
「配りに行くって…外に出るの?」
「そうだよ!早くしないと、もう、近場とられちゃうよ!」
智代は「急げ!」と言わんばかりに、右手を上に上げブンブン回してみせる。
「…智代ちゃん、駅前も配る?」
「配るよぉ〜…確か、あの塾があるとこ!」
学校から遠いから人気がないと智代はつづけて笑う。壱景は「すぐ行く」と言って、ベンチ裏に隠れる千梛を覗き込む。
「…最高のタイミング」
「うん……でも壱景ちゃん、気をつけてね」
吉野の話もあってか、千梛は含みを持たせた視線を送る。
「私は、なぎちゃんの方が心配だよ…私が一緒に行かなくていいの?」
「うん…いいの」
千梛は立ち上がり、少し表情を和らげて笑った。校舎に向かって歩き出し、振り向きざまに小さく手を振る。壱景も手を上げて、それに答えた。
「本当に、大丈夫かな…」
吉野の話にも、学校に広まる噂にも、何か釈然としない不安が立ち込めていた。
ただ、行くというのであれば止めるほどの理由はない。
壱景は校舎に消えていく千梛を見送って、教室へと急いだ。
◇ ◇ ◇
マルセキ塾は、思っていたよりもずっと大きな塾であった。駅前ということもあり、競争相手となる塾も多い中で一際大きな看板を玄関に立て、難関大学への合格者数を誇る数字が色とりどりに並べられている。
「すいません…五時に約束していた市川と言います」
玄関入ってすぐの受付で講師らしきスーツ姿の女性に声をかける。彼女は一度、壱景の顔を見た後、もう一度パソコン画面を凝縮し、また顔を上げた。
「ああ、市川 景子さん。静印大学附属女子の生徒さんで間違いないかしら」
受付の女性は優しく壱景に笑いかけた。
「はい」
「確か……学校祭のチラシを置いてほしいという話よね」
「そうです」
「じゃあ私が預かるわ。後で掲示板の横に置いておくから」
女性は質素なパイプ椅子から立ち上がり、こちらに向かって手を伸ばす。
「いえ、あの……実は、私、こちらに入塾することを考えておりまして……少し見学もしたいなって…」
女性の善意を断ることになるとはいえ、チラシを渡してしまってはここにいる理由がなくなってしまう。女性はキョトンとしていたが、それからゆっくりと壱景に微笑んでみせる。
「あら、そうなの……わかったわ。見学はしてもいいけど、これを首から下げておいて。帰るときにまた受付に返却してちょうだい」
壱景の前に赤色の紐がついたネームホルダーを差し出す。透明なカードケースがぶら下がっており、中には『来客者』の文字が見える。
「じゃあこちらから、どうぞ」
千梛が話していたように受付前には駅で見るようなゲートが設置されており、壱景が受付で話している間にも生徒はカードをゲートに近づけ、ピッという電子音の後から入室している。
壱景は女性の指示に従い、そのまま入室した。
マルセキ塾は三階建てであり、一階は大教室と自習室。二階、三階には二十人前後を収容できる定型の教室が六つずつ用意されており、階段を上がると通路を挟むように教室が三つずつ並んでいるのがわかる。階段は一箇所のみなので、壱景が上に向かう間にも多くの塾生とすれ違った。
「…今の子、めっちゃ可愛くない?」
「静印附属女子じゃん。お嬢様学校の……ここに居たっけ、あんな子」
そんな囁き声を耳に、壱景は先へ急ぐ。
―――あまり、目立ちたくない…
壱景は階段を一気に駆け上がると、三階を越えてさらに上へと向かう。このまま、進めば屋上に出るはずであった。
「ここか…」
階段は途中で途切れ『屋上』と書かれた紙が貼られたドアが見える。鉄製のドアは、学校でよく見るような防災扉のように重厚な感じがある。
壱景は試しにドアノブを握り捻ってみる。ドアノブは途中でガンッと音をたて、鍵が閉められている確かな感触があった。
「…やっぱりダメか」
屋上のドアは開放されていない。
———帰る時、外から見てみようかな
壱景はそのまま階段を降り教室に向かった。
三階には六つの部屋があり、その内、通路を抜けた右奥の教室は、物置として使われているようだった。廊下の中央に置かれた質素なテーブルの上に学校祭のチラシを陳列すると奥の教室へと向かう。物置の教室の前に立つと、スライド式のドアにはめられた曇りガラスから、うっすらと段ボールや棚が置かれているのが見える。
「…あの」
その時、壱景の背後から声がした。
「ここの塾の人?」
数人の男子高校生が壱景の後ろに立っていた。皆、若者の間で流行りの髪型をしている。壱景にはあまり区別がつかなかった。
「…いえ、私、見学をしていて…」
壱景は首にかかっていた、ネームホルダーを彼らの前に提示して見せると、彼らは顔を見合わせる。
「ここに入るの?」後方に立っていた男が、スマホを片手にこちらに声をかける。
「まだ決めてません」
壱景は一応、笑顔で答えて見せた。
「俺たち案内するよ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。もう帰るところでしたので」
壱景はそのまま頭を下げると、左右の教室に軽く目をやりながら、廊下を早歩きで抜けていく。
「……景子さん!」
階段を降りて二階のフロアに差し掛かった時、前方から自分の名を呼ぶ声がした。
「……萩野さん?」
静印附属女子、二年三組の萩野 涼子が二階の教室から出てくるところであった。後ろ髪を三つ編みで一つにまとめ、目を覆う長い前髪をたくし上げるメガネの奥で、驚いたような瞳を見せている。
「どうしたの…こんなところで」
萩野はこちらに向かって近づいてくると、いつもの無愛想な表情に小さく笑顔を作って見せる。
「ウチのクラスの、チラシを置きにきたの…それと、塾の見学に…」
「そうなんだ!…この塾、大手なのに全然、静印附属の人いないから来てくれると嬉しいかも」
萩野は見た目よりも、ずっと話しやすい雰囲気がある。遠目で見ていた時は、もっと堅いイメージで、人のミスをつぶさに指摘するような委員長タイプだと思っていた。そのイメージは改めなければいけないと壱景は思う。
「………あ、そうだ、萩野さん」
「うん?」
壱景が顔を寄せると、少し戸惑いながらも萩野はこちらを見た。
「……この塾に吉野 光一さんって人いるかな?」
「吉野先生?…うん、大学四年生の講師の先生のことだと思う…」
「今日も来てる?」
「ううん。今日は来てないと思う……ほら」
萩野が階段の踊り場にある掲示板を指差す。そこには、いくつかの張り紙があり、その中央には『講師出勤予定表』という表題のプリントが貼り出されている。講師の名前の横には日付が年表のように書かれており、空欄と◯が並んでいる。
「吉野先生は今日、マルがついてないから来ない日だね」
萩野の指差すところには、確かにマルがない。
「……深田 廉」
吉野の名前の下には、深田の名前もある。吉野の話の中で聞いただけだったため、はっきりとした確証はなかったが、同じバイト先ということも考えられなくなはないだろう。
「深田先生も知ってるの?そっか、確か吉野先生と同じ大学だったか」
萩野は言い終えた後「最近見てないけれど」と、付け加えた。深田の出勤予定の一覧には、マルの上から赤いボールペンでバツが書かれている。
「景子さんは二人を狙って、この塾に来る感じ?」
「えっ!…ああ、ううん。違うよ………友達が、この人に教えてもらっていた事があるって言ってて…」
「そうなんだぁ。まぁ、でも、吉野先生は別としても深田先生には、あんまり近づいてほしくないかも……」
萩野は歯切れの物言いでそう答え、複雑な表情を浮かべている。
「どうして?」
「…うーん」
萩野は辺りを見回すと急に一人歩きだし、階段を上がると手招きした。どうやら、階段の踊り場では話しづらい内容らしい。萩野と壱景はそのまま、一番手前の空き教室に入る。教室内には机が乱雑に並べられており、誰かの忘れ物らしき参考書も見える。
「……深田先生ね、結構ここの生徒に手を出してて、何人もの子と、付き合っているらしいの……」
「そうなの?」
「うん…前の塾も、それでクビになったって噂もあって…」
壱景は深田の顔を見たことはなかったが、萩野の話では随分と整った顔立ちであるそうだ。
「つい最近も、ここの女子生徒と付き合っていたらしいよ…」
萩野は真面目そうな風貌とは違い、ゴシップネタには興味津々のようだった。先ほど話していた時よりも口角が随分と上がっている。壱景にとってはあまり興味のある話ではなかったのと、今回の一件とは無関係なようだったので、早めに済ませたい思いがあった。
「景子さんみたいな美人、絶対狙われるもん。他の男子連中だって…」
「そ、そうかな」
萩野が自分のことのように嬉々として、話していると後方のドアがガラリと開く。
「まだ、誰もいねぇじゃん」
先ほどの男子グループが、別の出入り口から入室してくるところであった。
「あ、さっきの子じゃん」
男子グループの一人が壱景を指差し、小さく声を上げる。
萩野はそちらにキッと鋭い視線を送り、壱景の手を引いて教室の外に出た。
「ごめんね…あの人たちに絡まれるとうるさいから…」
萩野は彼らのことをよく思っていないようだった。
「萩野さん、私、そろそろ帰らないと」
「そうなんだ」
萩野は少し残念そうにしていたが、すぐに気を取り直したようだった。ポケットからスマホを乱暴に取り出す。ピンク色の手帳型ケースに付けられた小さなウサギのキーホルダーが左右に揺れている。
「私、ずっと前から景子さんと話したいって…思ってて」
萩野は緊張しながらも、スマホ画面を壱景の方に向けて見せる。連絡先を交換するための、Q Rコードが画面に表示されている。
「あ、うん、大丈夫」
壱景は、自身のスマホを取り出すとQ Rコードを読み取り萩野の連絡先を登録する。
「私、この後授業だから!」
萩野はスマホをポケットにしまうと、そのまま教室へと向かった。
壱景は階段を下り、受付にネームホルダーを返却すると外に出る。午後六時三十分。
日は落ち始め、既に駅前は帰宅する会社員や高校生でごった返している。
その時、ポケットのスマホが振動する。千梛からの電話だった。
「壱景です」
『…おはよ』
千梛の気怠げな声がする。兄である詩梛にそっくりな口調だ。
「はい、おはよー…どうしたの?終わったの?」
『終わった』
「ちゃんと聞けた?」
『それがね、思ったよりも上手く話せた…』
どうやら相手の藤沢真紀子という人物は、聞いていた印象よりも礼儀正しい、しっかりとした人物のようだった。
『やっぱり塾に相談したっていうのは盛った話だったみたい。見たっていうのも別の学校の友人の話で、自分じゃないって…』
「友人?」
『うん。同じ塾の友達。誰かは教えてくれなかったけど…』
要するに事実かはわからないないが面白そうだったので広めてしまった、ということだ。
「うーん……その他校の友達を見つけないと、いけないわけね」
もう一度、塾を調査する必要があるかもしれないと、壱景は憂鬱な思いになる。
『そこら辺の判断は、佩李様に任せよう……』
「そうだね……なぎちゃん、今日はもう帰る?」
『うん。今日は兄様と会う約束してるし……もう帰る』
「そっか。詩梛さんによろしく」
『うん』
そこで電話は切れた。
後、千梛が消息不明となる。
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