04 白布の大男③ (12月16日 更新)

「次の信号を……右です」

「承知いたしました」

 助手席に座る吉野の言葉をもとに黒司が右ウインカーを出す。先ほどから、揺れを全く感じさせない運転に、吉野はすっかり感心してしまっていた。

「……どうかいたしましたか?」

 吉野の視線を受けてか黒司は不思議そうに尋ねる。

「いや…黒司さん、運転がお上手だと思って…この前、卒業旅行で軽自動車借りて行った時は、揺れがひどかったもので…」

 まるで同じ道を進んでいるとは思えない。車が古いことが原因か、それとも杉浜の運転がただただ荒いのか、理由はわからないが、あの時両膝に抱えていたボストンバッグが何度も下にずり落ちそうになっていたことを思い出した。

「お褒めいただき、ありがとうございます」

 黒司は嬉しそうに微笑んで見せた。

「吉野さん……宿泊したホテルの部屋番号を覚えているか」

 後部座席に座る佩李が、身を乗り出して吉野に聞く。吉野はポケットからスマホを取り出すとメールの受信履歴を開く。

「はい。僕が代表してホテルを予約したので…その時のメールも残ってます」

「…そうか」

 佩李の隣に座る折木は窓の外を眺めたまま、先ほどから会話に加わろうとする様子はなかった。

「それに、あの後ホテルへの弁償問題があったので、大変で…」

 だから吉野は部屋番号までしっかりと覚えていた。

「弁償でございますか?…何か壊した、とか?」

「『壊した』と言うよりも紛失で……泊まる予定だったホテルのルームキーをその……廃墟に落としてしまったんですよ。…でも、取りに戻りたくなかったんで、ホテルには無くしたと言って弁償することにしたんです…」

 ホテルのルームキーはプラスチック製の特注のもので、弁償はなかなかの値段であったらしい。

「取りに行くことを考えたら、まだマシですよ」

 吉野は少し不安そうに俯きながらそう言って、また、我に返る。

 今、避けていたその廃墟に向かっているのだ。

 吉野の心は重かった。



「吉野様ですか…」

「はい。八日前に宿泊した、吉野光一です…」

 フロントで物静かに佇む支配人らしき人物は、不審に思いながらもデスクにあるノートパソコンを操作し始める。その様子を横目で眺めつつも佩李はフロントの周囲を見て回る。ホテル自体はこじんまりとしているものの、ダークグレーを基調とした品のいい外装や、ライティングにこだわったインテリアは薄暗いフロントを華やかに見せていた。街の様子とは変わって、随分、モダンな建築物である。佩李はフロントにあったホテル紹介の四つ折りのチラシを手に取ると広げてみる。建物自体は七階建てで、二から五階までは一般的なビジネスホテルに近い造りらしく、ほぼ定形の部屋が並んでいる。最上階は大浴場で六階のみがスイートルーム。その紹介には、同階には三部屋しかなく、どの部屋からも広大な自然が一望できるとある。

「佩李さん」

 吉野の呼ぶ声に、佩李はゆっくりとデスクへ向かう。

「ええ、確かに八日前に吉野様は宿泊されてますね…えー、確か……」

「五○六号室です」

 吉野は確かめるように、フロントマンに食い気味でそう言った。

「は、はい…それで…何か、ございましたでしょうか」

 フロントマンは笑顔を作りながらも、メガネの奥で見せる目には疑いの色が濃くなっていた。

「谷原さん。不審なことを聞くようですが」

 佩李はフロントマンの右胸につけられた名札に目をやりながら、サングラスをとり谷原に視線をやり、話し始める。その声は、聞く人間の心を掴むような、深く、心地よい音だった。側から聞いていた吉野の方が余計なことまで話しそうになる。

「この八日間で、大柄な男を見なかっただろうか」

「お、大柄な男性ですか?」

「ああ」

「……大柄な男性と言われましても、当ホテルは多くのお客様がご利用されますので……」

「客ではく、不審な男、です」

 そう言われても、と言うように、谷原は少し困ったような様子で考える素振りを見せたが、やがてこう言った。

「申し訳ありませんがそのような男性は見ておりません。もし、何か事件性のあるお話であれば、警察の方からお声がけいただけますと…こちらとしても、よりご協力できるかと思いますが…」

 谷原の言うことはもっともだと吉野は思った。そして、吉野は同時に安堵した。少なくとも自分達の足取りまでは特定されていないのだろう。

「…そうですか。仕事の邪魔をして申し訳ない」

 佩李は軽く頭を下げるとサングラスを掛け直し、踵を返して外に出る。それに続くように、折木、黒司も玄関へ向かっていった。吉野は慌てて、彼らの後を追いフロントを後にした。


「それでは廃墟へと向かいます」

 黒司はなめらかな動きで車を発進させると、吉野の案内を元に廃墟を目指す。

「収穫はありませんでしたね、佩李さん」

「ああ、収穫がないということがわかった。疑念を持ち続けるよりは、まともな答えだ」

 佩李は折木の言葉を軽く流すと後部座席で足を組み、口元に指を当てながら何かを考えるような仕草をする。

「それで……廃墟に向かっているわけですけど、探索に壱景さんと千梛さんは同行させなくてよかったんですか?」

「……アイツらは文化祭の準備があるらしい…」

「文化祭?…静印大附属って、この時期にやるんですね…」

 僕の高校はまだ先だけどなぁと、折木はつぶやいている。吉野は二人の会話に耳を傾けながら、思うことがあった。


 ———この前、話を聞いていた二人のことか…


「壱景さんと千梛さんは…静印大附属なんですか?」

「ああ…まあな。見えんかもしれんが…アイツらはお嬢様学校に通う高校生だ」

 吉野の務める予備校にも何人か静印大学附属女子高等学校に通う生徒がいる。名高いお嬢様学校であることに変わりはないが、皆が皆、その素質に恵まれているかは断定しきれないところだ。

「佩李さんの助手の方って、若い人が多いですね…」

 吉野はふとした疑問を、何気ない気持ちでそう尋ねた。

 しかし、その瞬間、車内にはわずかな緊張が走るようだった。まるで、それ以上の言及を拒むようでもある。吉野は違和感を感じ、次の言葉を話せないでいると、佩李が口を開く。

「元は俺の仲間ではなく、弟の友人達だからな」

「……佩李さん、弟さんがいらっしゃったんですね……」

「ああ、二年前に死んだがな」

 佩李は動じることなく、先ほどと変わらない低く静かな声ではっきりと言った。一瞬、そのあまりにも自然な物言いに、冗談かとも思った。しかし、サングラスの奥から射すくめる視線の強さが、それが事実だと語っていた。

 黒司、折木は何も言わなかった。折木はただ一点を注視するかのように、目線を窓の外に向けている。

「俺の弟……志乃崎 篇李へんり華呪かじゅを体に宿し、死んだ」

「か、『華呪』?」

「花の名を冠した強力な呪いで、華呪と呼ばれる七種類の呪いだ。篇李は、その七つの全てを宿し呪死体と呼ばれる呪われた死体となって見つかった」

「……呪い?」と聞こうとして、吉野はそれを思いとどまる。その代わり自分の口から出た言葉は率直な疑問だった。

「…ど、どうして……そんな…」

「理由はわからない………誰がやったのかもな」

 佩李はそこで、下がっていたサングラスを鼻にかけ直した。

百日紅さるすべり燕子花かきつばた牡丹ぼたん犬榧いぬがやえんじゅ枸橘からたち………そして、あと一つは名前すらまだわかっていない……その全てを、弟は宿して死んだ」

 吉野は短く息を吐いた。驚きのあまり途絶えた呼吸が、肺の中で逆流し、詰まるような感覚がした。

「ただ一つでも宿せば死に至り、後世に呪いの種を残し続けると言われる華呪は、術師の中では見ることさえも拒まれる最も避けられる呪いの一つだ……」

 佩李は誰に言うでもなく、自身に語りかけるように話し続ける。

「それと同時に最も謎が多い呪いでもある。いまだ呪いの解き方どころか、供養の仕方すらも解明されていない」

「じゃあ、弟さんは……」

「篇李の呪死体は責任をもって俺が保管している……いつか華呪を解明し、供養できる日までな…」

 佩李が語る責任という言葉の強さに、吉野は身震いする。自分が生きている世界がまるで違うことが何よりも恐ろしく感じられた。

「…………あ、あの……佩李さん…実は」


「着きましたよ」

 それまで無言であった折木が窓の外を見ながら声を上げる。それにつられるようにして、吉野もフロントガラスの先に視線をやると、目の前にはあの日見た森の入り口と史料館の看板が迫っていた。

「……う、う、うぉえええぇぇぇぇ……」

 思わず胃の中身が逆流し、喉に熱いものが込み上げる。それを抑え込もうと、口元を手で覆い、体を屈めて下を向く。その時になってようやく自分の両足が小刻みに震えているのがわかる。怖いのだ。

「大丈夫ですか、吉野様」

 黒司はゆっくりと車を入り口の脇に停車させる。吉野は体を折り曲げ足元を見つめたまま、その言葉に返せずにいた。

「黒司、吉野さんとこのまま車の中で待っていてくれ。廃墟には俺と折木で行く」

 佩李はそれが当然だと言わんばかりに、こちらを心配する様子もなく車から降りて行った。

「こちらのことは任せてくださいー。ゆっくり休んでいていいですよ」

 折木はそう言って佩李と共に森へと向かって行く。

「大丈夫ですか、吉野様……お水がございますよ…」

 黒司はこちらに向かって手を伸ばし背中をさする。それから三分ほど吉野は動けなかった。しばらくして、ようやく上体を起こすと黒司を見る。

「すいません、黒司さん…ありがとうございます…でも、僕…やっぱり行かないと……」

 吉野はそう言って、車の助手席を飛び出すと、見えなくなりつつある佩李の背中を追っていった。足取りは重かったが、それでも、自分には見届ける義務があると吉野はそう思っていた。



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