03 白布の大男② (12月14日 更新)

 03

「折木くん———えーと、折坐さんの紹介を受けて来ました。吉野光一です」

「…吉野さんか。どうぞ」

 昨日、折木のスマホを通して聞いた、低く落ち着いた声がインターホンの向こうから聞こえてくる。吉野が汗ばむ掌を固く握っていると、ゆっくりと目の前のドアが開かれ、背の高い男が顔を覗かせる。濃淡の濃い目鼻がはっきりとした顔立ちに、似合わないほど無表情を浮かべた男である。微笑みを浮かべているようで、その目の奥には拭い切れない憂いも感じられていた。

「……志乃崎 佩李さん…ですか」

「ああ…どうも」

 高身長でありながら、その体を持て余すことなく細部までゆったりと動かして、佩李は吉野に向けて手を伸ばす。吉野はそれが握手の合図であると理解が及ばなかった。佩李の人間離れしたその所作の美しさに、見蕩れてしまっていたのだ。

「こ、こちらこそ…よろしくお願いします」

 吉野がその手を握ると、佩李はうっすらと笑みを浮かべた。


 吉野の通う大学から5分ほど歩いたところに私鉄の最寄り駅があり、そこから3駅進んだところに佩李の住む建物はあった。郊外を二分するように、立ち並ぶ木々の緑道を抜けて雑多なビルが集まるひどく陰鬱な雰囲気のある場所だ。

 吉野は当初、ドアが開くまでは何が出てきてもおかしくないと思っていた。教え子の紹介だからといって、見ず知らずの相手まで信頼できるとは限らない。ましてや、オカルトの雰囲気を醸し出していたこの話に食いつく要素があるのだとしたら、それは開運をうたった高額商品の押し売りである。

 それでも吉野がその事務所まで訪れた理由には、自身ではもうどうにもできないという悲観があったからかもしれない。高額な詐欺事件に巻き込まれた人物のインタビューを聞いたこともあったが、確かにこのような心持ちであれば、頼ってしまうかもしれないと吉野は思っていた。


 ◇ ◇ ◇


 吉野が折木に相談をした時「解決するかもしれない」といった期待はまるでなく、自身に積もった不安を誰かに吐露できればそれで良いと思っていなかった。

 しかし、折木の反応は吉野が予想しないものであった。

「呪い……の可能性がありますね」

「のろい?…いわゆる、そうゆうやつ?」

「ええ……祟りとかの」

 折木は澄ました顔で、そう言い切るとスマホを開く。

「……ああ、佩李さんですか。夜分遅くにすみません……」

 吉野は自習室の壁に貼ってある『通話禁止』の貼り紙を見て、もう一度折木の顔を見る。

「…ええ、まぁ、そんなところだと思います……」

 折木は気にする様子もなくそのまま会話を続け、しばらくして自身のスマホを吉野の方に向ける。

「佩李さんが吉野先生とお話ししたいそうです」

「…ハイリさん?」

「……呪いの専門家……ですね……まぁ」

 回答するのが面倒くさくなったのか、折木は曖昧な返答で吉野の言及を受け流す。「呪いの専門家」という、単語がひどく気になったものの、吉野は折木のスマホを受け取ると耳元にあてる。

「もしもし…吉野光一といいます…」

『初めまして…志乃崎 佩李です。折坐から大体のことは聞きました』

「…せつざ?」

「…あ、僕のことです……仕事上の名前…ですね」

 折木は自身を指差し吉野に微笑む。またも曖昧な返答である。

『それで吉野さん。できれば詳しく話を聞きたいのだが、俺のところまで来てくれないだろうか…』

「はい…もちろんです」

 吉野は二つ返事で了承した。

「明日、お伺いいたします」

 ようやく、自分の話をまともに聞いてくれる大人に出会えたのかと、徐々に安心感が生まれてくる。気づけば吉野の声は大きくなっていた。

「よかったですね」

 折木はそう言いながら壁に向けて指をさす。吉野が目でそれを追うと『通話禁止』の貼り紙。さらに折木は指を右の方へ移動させる。吉野がゆっくりと反転し自身の背後に目を向けると、ガラス扉の向こう、鋭い目をさらに尖らせて睨み付ける塾長と目が合うのであった。


「すみません。僕は弓道部があって、その日、行けないかもしれないんです…」

 折木は実に高校生らしい理由で吉野に同行できないことを告げたものの、なるべく行けるように努力すると約束した。折木の紹介とはいえ、翌日という無茶な日程にしたのは吉野の方である。

 翌日、その場に折木の姿はなかったが、吉野は仕方がないと思っていた。



 案内された部屋は外観よりも整い清潔感のある場所だった。六畳くらいの室内にソファが二つ向い合うように置かれており、そのソファの後方には二人の少女が壁にもたれるように立っている。

「右が壱景、左が千梛だ」

 佩李の紹介に二人はそれぞれ頭を下げる。黒髪の壱景と呼ばれた少女は深く頭を下げ、顔を上げると同時に自然な笑みを浮かべる。対して、千梛と呼ばれたクリーム色の髪色を持つ少女はわずかに頭を下げるのみで、俯いたまま目も合わせようとしなかった。

「この二人も話は聞くが、気にしないでいい」

 吉野も会釈し「…お願いします」と小声で呟き、佩李の向かいの革張りのソファに座る。客用に用意されたものらしく、佩李が座る三人掛けのソファよりもくたびれた感じはない。

「それでは吉野さん…折坐に話したことをもう一度、最初から教えてくれないか」

 佩李の真剣な眼差しを受けながら、吉野は自身の言葉を紡ぐように話し始めた。


 ◇ ◇ ◇


 吉野は身に降り掛かった廃墟での奇妙な体験を語り、佩李といくつかの質問を交わした後、黒司の運転で立ち去った。


「……壱景、どう思う?」

 佩李の横に腰掛け、壱景は体を伸ばしているところだった。長時間、同じ姿勢で話を聞いていたためか、体が強張っているようだ。

「…私ですか?」

 唐突な問いに、戸惑いながらも壱景は脱力した体をだらしなく佩李に預け、話し始める。「もし、本当に吉野さんの言葉が正しいのであれば、白布の大男について目撃情報が色々なところであるはずです……人であれば」

 佩李はその返答を静かに聞いていた。

「千梛は?」

「………さっきの男を、調べるべきだと思います」

「調べる?吉野さんを?」

 千梛は興味がなさそうに佩李の横で丸くなって座り、首をコクコクと動かして頷いて見せた。

「もし、大男が呪いに関連する人物なら吉野光一にも呪穢じゅえがあると思います……」

「だとすれば、彼の生活にも何か影響が出ている…そういうことか」

 千梛は返事をしないまま、さらに丸くなり佩李の様子を伺う。

「それで佩李様は、どのようにお考えですか?」

 壱景の言葉に佩李は眉をひそめる。

「吉野さんの話で気になる点がある…」


「『動物の剥製とイタズラ書き』」


「…ですよね」

 部屋の扉には折木が立っていた。嫌味なほど張り付いた笑顔をこちらに向けている。

「…折木…アンタいたの」

 壱景は明らかに嫌そうな表情を浮かべ、佩李に寄せていた体を元に戻すと、机の上のマグカップを手に取った。

「すみません遅くなりました………吉野先生は帰りましたか?」

「ああ」

 佩李は端的にそう言った。

「それで、千梛さん、呪穢はありましたか?」

「んー…わからない」

 千梛はぶっきらぼうにそう口にして、首を傾ける。

「そうですか」

 折木は相変わらず顔に浮かべた笑みを崩さずにいた。

「折木、お前も気になったか…」

「『動物の剥製とイタズラ書き』ですか?まぁ、だって……吉野先生の言葉ですから疑いたくもなりますよ…」

「ちょっと、アンタの塾の先生でしょ?…先生のこと悪く言うのは感心しない」

 壱景は嫌味を含ませた言葉を折木に向ける。彼は、特に気にする様子もなく、目尻をさらに丸くして笑うのみであった。

「いや壱景。その通りなんだ…」

「えー…佩李様まで」

 折木の肩をもつ佩李にショックを受けたかのように壱景は静かにマグカップを置く。それから拗ねたように体を丸めながらそっぽを向きブツブツと恨み言を呟く。そうして奇しくも佩李を中心として千梛と対称的な姿勢をとることになる。

「…素人の見解で物事を判断するのは危険だ…」


 ◇  ◇  ◇


 吉野の話を聞いた時、ふと佩李の頭をよぎるものがあった。

 吉野は『動物の剥製と、イタズラ書き』がその廃墟にはあったと言った。廃墟という荒廃し、閉ざされた場所を考えれば、度胸試しに集まった若者たちがイタズラ書きをするようなことがあってもおかしくはないだろう。それに、そこは郷土資料館で、その地域の動物や歴史についての記録が残されていたと考えれば、動物の剥製が一つ二つあってもおかしくはない。

 つまり、どちらに関しても、違和感はない状況説明なのだ。「そういうものか」と思えば、聞き流してしまえるところだった。

「呪いに対して素人であれば尚のこと、そう判断してもおかしくはない…」


 だが、佩李は別の印象を受けていた。これまでの経験の中で、その二つが意味するもの。佩李の頭を真っ先によぎったのは、


「黒魔術の可能性がある」


「…黒魔術?」


 そこで、千梛と壱景は体を向き直し佩李の方を見た。

「俺も専門外だが、降霊術の一種に動物の死体を依り代として使い、呼び出すものがあったはずだ…」

「…何を……?」

 千梛が珍しく、佩李に食い気味で尋ねる。目には、興味の色が光って見える。

「あの説明ではわからない…実際に見たとしても、判断できるかはわからないが…」

 それに動物の剥製で行うことができるかどうかもわからない。

「…じゃ、じゃあ……白い布を被った大男が…その場所でを呼び起こした…ってことです、か?」

 壱景の途切れ途切れの言葉に佩李は「ああ」と、短く返事をした。

 動物の剥製は『贄』として使われ、イタズラ書きは、何らかの呪術陣であった。そう考えられなくもない。

「吉野先生の言葉を信用していない訳ではないですけれど、所詮は素人の見解なんですよ…嘘はついていなくても、正しいことを言っているとも限らない」

 それには佩李も同意見だった。何にせよ、その場所に行って確かめる必要はあるだろう。

「それに壱景さん。所詮、人間の言うことです。平気で嘘もつきますよ」

 折木の言葉に、壱景は小さく舌を出しワザとらしくベーっと言った。

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