17.正体


「シト。十二神の力を使え。戦うしかない」


心臓がはねる。少女の放った矢が奥深くに沈んできて、迷うシトの決断を必要に迫ってくる。


相手は銃器を持っている。シトはそれをまともに見ることさえ、今が初めてだ。ルーアスに習った剣術や体術では到底太刀打ちできない。

分かっているのにすぐに決断ができないのは、現実世界で一度も使ったことのない十二神の力を使う事への不安か? それとも、死への恐怖か? 


唇が震え、一気に身体の温度が冷えていく。得体の知れない何かにさらわれていくようだった。引き止めるように、少女の細い指が力強くシトの顎を掴んだ。


「嫌ならここで何もしないまま死ぬか?」


いつ見ても、少女の瞳には波のない穏やかな海が広がっている。


「先ほどお前が言ったんだぞ。ここで自分が死ねば、ルーアスは無駄死にだと。まあ、シトが十二神の力を使っても、ここで隠れ続けていても、どちらにせよ死ぬかもしれん。けれど、どうせ死ぬなら抗って死ね。お前には力がある」


少女の手がシトの右腕を撫でた。皮膚の下から青い紋様がゆっくり浮き出てくる。


全身が震え出した。身体の中心からどっと熱い血がめぐるのを感じる。


本能が訴える。恐れは戦わない理由にはならないと。


「……やるしかない」


紋様が右の頬にあらわれる。シトの脳裏にルーアスの言葉がこだます。


「世界を変えてくれ。本当の悪を滅して、君が君のままで生きられる世界にするんだ」


もうシトの行く道を遮るものは何もない。








「くそっ! 厄災め! どこに隠れてる! さっき確実に当たった感覚があったのに」


木の陰に隠れている茶髪の兵士が吐き捨てた。苛立ちをおさえられず、歯ぎしりをする。その右頬は赤く染まっていた。


「焦るな。いくら神の力をもつ者であろうと、我々の銃撃をかいくぐって遠くへは行けないはずだ」


茶髪の兵士が隠れる木から右に数メートルほど離れた木陰に立つ黒髪の男兵士が静かな怒気を孕んだ口調で諫める。素早く銃に弾丸を装填した。足元には薬莢やっきょうが大量に散らばっている。掌よりも少し大きいサイズの小型拳銃を両手に持ち、撃ち続ける。


リモゥに命令され、十二神人の家のすぐ裏にある広大な森に潜んでいた。しかし、止まない豪雨と鬱蒼とした草木に視界を奪われ、逃げ込んできた十二神人を見つけることに時間がかかってしまった。ようやく見つけた興奮と勢いに任せて、何の合図もなく十二神人に発砲した明るい茶髪の男兵士を殴ったのは、つい数分前のことである。


「どうせ見失うんなら、やっぱりさっき殺しておくんだったな。テメエが邪魔しなかったら俺の弾は確実にガキの脳天ぶち抜いてたぜ」


弾を装填する合間に、茶髪の兵士が指を自身の眉間に突きつけ、バンと撃たれる仕草をした。先ほど殴られたばかりだというのに、舌を出しておどけた姿に反省の色はまるでない。


湧きあがる怒りを肚の底に沈め、黒髪の兵士は全身から冷静さをかき集めた。


「馬鹿野郎。勝手に殺すなとリモゥ様に言われてるだろ。あくまで我々の目的は十二神人の足止め。リモゥ様もすぐ追いついてこられる」

「じゃあ一生ここで持久戦かよ。弾がなくなるまで」


腰に巻き付けた弾丸には限りがある。ここにいる六人の兵士の分を合わせても一時間が限界だろう。


薬莢を雑に地面に落とし、装填作業をしながら黒髪の兵士が何か言おうと口を開いた。そして、静かに上をみあげる。雨が兵士のぽかんと開いた口に吸い込まれる。


「おい、どうし」

「今、塩の」

「は?」

「塩の味が、塩水が口に」


刹那、黒髪の兵士の足元から渦が巻き起こった。瞬く間に兵士は渦に吞み込まれて、水が毒々しい赤に染まっていく。彼の手にしていた二丁の銃が砕け散る。


「お、お、おい! な、なんだ!」


慌てて銃口を渦にむける。数発放たれた弾はやわらかい布に沈むように、水の中へと消えていく。

渦の激しい勢いで飛んできた水が茶髪の兵士の唇に触れた。


「しょっぱい……」

そう認識したと同時に、背後から心臓を貫かれた。視界に血の塊が飛び込んできた。手に力が入らず、二丁の銃が音を立てて落ちる。


「……な、……な」


見下ろせば、先が三又に分かれた槍が兵士の胸を貫いていた。その槍を持っているのは、兵士たちが血眼で追っていた十二神人のシトだった。シトの右頬の紋様が青く光っている。


シトは兵士を睨みつけると、容赦なく、胸を突き刺した槍を抜いた。三叉槍トライデントの大きさはシトの身体の二倍はある。


兵士が息絶えて地面に転がる。異変を感じたのか、他の場所に潜んでいた兵士の銃撃がやむ。


「モロック、ヤンガ! どうした……」


木の太い枝をつたってきた兵士二人はシトをみて目を見開く。素早く銃口をシトにむけると同時にシトの黒い瞳が揺れた。


「十二神人だっ!」


潜んでいる他の仲間に伝えるように一人の兵士が叫んだ。四丁の銃から弾丸が放たれる。


シトが飛んでくる弾丸に向かって手を伸ばした。


「海ノ膜(トイコスθタラッタ)」


淡いピンクの唇が呪文を紡ぐ。足元から波が湧きあがった。大きな水の壁が弾丸を呑み込む。


「う、うそだろ……よりによって……」


もう弾丸の出ない銃の引き金をカチカチと鳴らしながら、兵士が全身を震わせた。


「何をしている! 早く弾を装填しろっ!」


「お前、この十二神人の力が何かわかっていないのか!?」


「はあ!?」


「こいつの力はオリュンポス十二神の中でも、三番目の強さをもつ……海神ポセイドンだっ!!」




シトの中に宿る少女――海神ポセイドンの瞳が碧く光る。

















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