16.別れと決意の先で


「死んだか?」


 リモゥは真下を覗き込んだ。先ほどまで蹴るたびにカエルが潰れたような声を出していたルーアスが全く声を発しなくなった。

 顔面は血まみれで、もうどんな造形をしていたか分からない。両足の骨は折られ、残り一本の右腕はありえない角度で曲がり、指の骨もすべて折られていた。


「かつては軍人としてこの私にまで歯向かっていたやつが、子一人人質にされただけでこのざまか。親になるとは悲しいものだな」


 リモゥのうなじから黒い影が浮かび上がってくる。影の中心が横にぐっと裂け、濡れた赤い奥が見える。口のようだった。


 影がゆっくりと地面に下りていき、ルーアスの頭に近づく。


「や、やめ……、やめろっ! やめてください……っ!」


 スイアが叫んだ。声が裏返る。力なく膝をつき、リモゥに向かって頭を下げた。

 額を濡れた土に強く強く押しつける。


「お、お、お願いします……。こ、殺さないで……ください」

「はあ? 貴様が言ったんだろう。弟と叔父を殺せと。片方は厄災、片方はその厄災を家族と呼ぶイカレ野郎だと」

「そ、そう……ですが」

「もしかして、気が変わったか? イカレ野郎だと思っていたやつが自分を助けるために戦うことをやめ、命を棄ててくれて、ああ自分はちゃんと愛されていたんだとでも思ったのか?」

「……」

「安心しろ。いい思い出のまま冥府に送ってやる。貴様もこの男も」


 影の口が大きく開かれる。届くはずがないのに、スイアはルーアスに向かって手を伸ばした。


「叔父さんっ!!」


 顔をあげれば、血にまみれて、かすかにルーアスの唇らしきものが震えるのが見えた。。

 突風がスイアの瞳に吹き込んでくる。


『……ごめんな』


 影がルーアスの頭を口に含んだ。首から上を引きちぎり、数回咀嚼した後、今度は身体を呑み込み始める。


 跡形もなく消えていくルーアスの姿をみながら、スイアは自らの首元に刃物が突きつけられていることを感じていた。


「いい食いっぷりだなあ。力のある者を喰うのはいいだろう」


 リモゥが高らかに笑いながら、影に話しかける。

 一瞬だけ、リモゥがスイアの背後にいる男に視線を向けた。


 そして、銀色の刃物がスッと真一文字にスイアの首筋を裂く。

 頭から地面に倒れ、今度はうなじに強い痛みが走った。


 呼吸がぐっと浅くなり、意識が遠くにひいていく。


 かすみ始めた視界でルーアスが倒れていたはずの場所をみつめていた。

 森の奥で青い閃光が走るのが見える。


 閉じた瞼の裏に描かれたのは、ルーアスとシト、そしてスイアがテーブルを囲んでムサカを食べている、そんなありもしない記憶だった。





 〇





 自分がどこを走っているのか、どこに向かっているのか、わからないまま、ひたすらに前を見つめて進んでいた。いつまでも変わらない森の景色は、出口のない迷路にまよいこんでしまったようだ。


 生きてくれとルーアスは最後に言った。生きるとはこの出口のない迷路を死ぬまで走り続けることだろうか。


 額に張り付く髪が鬱陶しい。上がる息も、素早く動く心臓の音も、何もかもが鬱陶しかった。さっきから隣で叫び続ける声も。


「シト! とまれ! とまれってば!」


 シトがようやく足を止めると、少女が安堵したような息をもらした。


「もうだいぶ奥まできた。ずっと走りっぱなしだ。少し休め」

「……いい。もたもたしてたらすぐに追いつかれる。捕まって殺されれば、叔父さんは無駄死にだ」


 突き放されたとき、すべてが分かってしまった。あの場に残ってルーアスが何をしようとしているのかも。


 ルーアスは自分の家族を見放すような真似はしない。リモゥを殺して、スイアを助けるつもりだったに違いない。それがどれだけ無謀なことでも、ルーアスは力のないただの人間であるスイアのそばにいることを選んだのだ。


 顔に流れる雨か汗か涙かわからないものを袖でぬぐい、もう一度走りだそうとしたとき、ぽつりと声が聞こえた。


「お前は、私を、十二神を恨むか」


 少女はシトをみていない。うつむき、長い髪に隠れて表情はみえなかった。

 混じりけのない淡泊な声だけがはっきりと聞こえた。シトは首を横に振る。


「恨んでない。というか、恨めないようになってるんだろ。十二神の力を与えられている時点で、俺はお前に従属し、敵を……マ神を殺そうとする本能が刻み込まれている。お前が死にかけの俺を放って一人逃げおおせても、お前を恨めない。お前が俺にとっての神だからだ。分かってるのに、何で聞くんだよ」


 胸にある決意をなぞり、自分自身に強く言い聞かせる。


「……マ神は絶対に殺す。特に、マ神リモゥは絶対だ。そのためにも、今は早くここから」


 瞬間、右足から地面に崩れ落ちた。右の足首に火傷の跡。そこから赤い血が流れていた。状況を理解する間もなく、凄まじいスピードで弾がシトの頭上を通り過ぎていく。


 慌てて、木の陰に隠れた。弾が葉を落とし、枝が折れ、幹の表面がへこむ。


「くそっ、もう追いつかれたのかよ」

「いや、それにしては早すぎる。きっと森の中で私たちを待ち伏せしていたんだ」


 シトの足首をみつめながら、少女が眉をひそめた。


「あいつら銃器を持ってるな」

「銃器? そんな殺傷能力の高い武器はアントリーニ島では作れないって、前に叔父さんが……」


 元軍人だったルーアスは長の護衛として何度か島の外に出かけたことがあり、たった一度だけ訪れたガルシャ国最大都市ユテナイのことをシトに話したことがあった。


 そこは、ガルシャ国にあるどんな島よりも栄え、独自の言語、文化、技術を生み出して発展していたという。その際に見たのが、生命を殺すためだけに作られた銃器。

 緻密な技術をもって製造されるそれをアントリーニ島のような文明もあまり発達していない小さな島で作るのは到底無理だろうと、ルーアスが料理をしながら笑っていたことを思い出す。


「おそらく横流ししてもらったんだろう。けど、こんな小さな離島のマ神兵に大量に流すわけがない。今、私たちを狙ってる連中は銃器の扱いに慣れた少数精鋭部隊ってとこか」


 冷静な口調を崩さない少女とは反対にシトの呼吸はだんだんと早くなっていく。乾いた喉を潤すように、口内にたまった唾を勢いよく呑み込む。


「なあどうするんだ……ここに隠れていてもいつかは見つかるだろうし、かといって少しでも動けば、撃たれて死ぬ」


 頭を抑えながら、シトは弾が四方八方から飛んでくる様子をみた。鼓膜をつんざくような銃撃音が響き渡っているのに、それを撃つ人の気配が全くしない。

 姿を隠せる森は敵にとっては好都合だ。しかし、それはシトも同じ。敵もシトがどこにいるか明確に把握できていないのだろう。

 だから片っ端から撃ち続けるしかない。


「シト」


 銃声の合間を通り抜けて、少女の声が一本の矢のように真っすぐシトに聞こえてきた。祈るような声だった。



「十二神の力を使え。戦うしかない」















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