14.陽だまりの人


 家族。ルーアスの家族は、姉のラルラたった1人だった。


 父親はマ神の元へ兵隊に行ってから一度も帰ってこず、その間に母親は新しい男を作ってラルラとルーアスを置いてどこかへ行ってしまった。ラルラ十五歳、ルーアス十三歳のことだった。


 生活するためにラルラは十五歳で島内の資産家の豪邸で給仕係に勤め始めた。

 誰にでも分け隔てなく優しく穏やかなラルラは、悪く言えばひどく気が弱く、騙して利用しようとする悪意からラルラを守るのはルーアスの役目だった。


 軍人になってラルラのいる島を守ろうと決意したのもその頃だ。

 マ神ではなく、島の長の元で働くことにしたのは、マ神の元へ行ったきり何の音沙汰もない、家族を捨てた父親と一緒になりたくなかったという子供みたいな矜恃のせい。


 ラルラは愛情深い人だった。だから、ルーアスのいない間に子供まで作ってしまった。父親は、ラルラが子供を身ごもったことを知ると、連絡がつかなくなったらしい。


 それでもラルラは子供の父親を責めることはなかった。


「この子には親が私しかいない。お父さんの分までたっぷり愛してあげないとね」


 そうして生まれたスイアを胸に抱いてほほ笑むラルラは、聖母マリアのように健気で慈悲深く、ひどく哀れで見ていられなかった。


 そしてスイアが五歳になった時、ラルラはまた子供を身ごもった。今度の父親はラルラやルーアスよりずっと年上のきちんとした人でルーアスのことも本当の弟のように接してくれた。スイアを交えて出かけたことも何度もある。


 今度は大丈夫だと安堵した矢先、出産前におこなった占いで、ラルラが身ごもっているのが十二神人かもしれないという結果が出た。


 安全に子供を出産できるか。そして、産まれてくる子供は十二神人ではないか。

 出産前の占いをすすめたのは、新しい父親だった。費用が高いことを理由に最初は断ったが、全部自分が出すと言って聞かなかったのだ。


 その結果が、まさか。


 そして、身ごもっている子供が十二神人だと分かってもラルラは産むという決断を変えることはなかった。


 そのことを聞いた時、ルーアスはスープを飲んでいた手を止めた。手の内からするっと抜け出したスプーンが高い音を立てて地面に落ちる。


 スプーンの行方を気にする余裕もなく、あんぐりと口を開けたまま、ラルラをみた。

 ラルラは落ちたわよと言いながら、ルーアスの落としたスプーンを拾おうとする。


「信じられない……何考えてるんだ」

「今、新しいスプーン持ってくるわね」

「話を聞けよ。十二神人を産むなんて何を考えてるんだって言ってるんだ」


 自然と語気に苛立ちがこもる。いつもと変わらない様子のラルラに余計に腹が立って、何をどう聞けばいいのか頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。


「……それ、あの人にも言われちゃった。十二神人を産むなんてマ神様への反逆罪だ。そんな奴を妻にしたくないって」


 ラルラは微笑んでいるが、目の下は赤く染まっていて、泣き腫らしたあとがしっかり残っている。

 けれど、こればかりはルーアスも新しい父親となる予定だった男の意見に賛成だ。


「姉さん、お腹の中の子供は堕ろそう」

「嫌よ」

「なんで」

「ルーアスはマ神様と近い場所で働いてるから、新たな厄災が産まれてくることが嫌なのもわかる。その厄災を産んだのが自分の姉だってことも嫌に決まって……」

「そうじゃなくて!!」


 バンっとテーブルを叩いた。ラルラが驚いた顔でルーアスをみている。

 ルーアスが家族相手にここまで感情をむき出しにするのは初めてだった。

 ふつふつとわく怒りをそのままにラルラに向かって叫んだ。


「産まれてくる子が厄災だとか、そんなのは、どうだっていい。俺が言ってるのは……そんなことじゃなくて。……姉さんも知ってるだろ? 十二神人は強大な神の力を宿す人間のこと……そんな人間を産んで無事だった母親は一人もいない。みんな産んで間もなくして力尽きて死ぬって」


「……ありがとう。ルーアス。あなたはやっぱりすごく優しい子ね」


 幼い頃から二人で過ごし、ラルラは姉として、時には母のようにして、ルーアスの面倒をみてきた。そのせいだろうか。もう二十八になるルーアスのことを時々子供のように扱う。


「でも、私は産むわ」

「姉さん、だから……っ!」

「だって産めば、世界が変わるかもしれない!!」


 しん、と部屋が静まり返る。静かで物腰のやわらかいラルラが金切り声をあげた。

 肩で息をしながら、ラルラが微笑む。


「ルーアス、私によく話してたでしょう。マ神は島の長や民のいう事を全く聞かずに、裏では横暴なふるまいをしてる。私たち人間に黙って、何かよくないことを企んでるかもしれないって、話してたわよね。父さんがマ神の元に兵隊に行って、二度と帰ってこなかったのも、マ神の企みに巻き込まれたからじゃないかって」


「あ、ああ。話した……話したけど、それは何の確証もない俺の妄想話だ!」


「でも、それが妄想じゃなくて、本当だったら? 本当なら、いつかこの島も、世界も、滅ぶかもしれない。……そんなマ神に対抗できるのは、十二神人だけなんだよね」


 ラルラが丸いお腹をゆっくり撫でた。その瞳は、厄災と呼ばれる子供を宿した親とは思えない、陽だまりが溶けているような優しさがにじんでいた。


「この子に託してみたいの。世界を変える可能性を。ルーアスやスイアがこれからもずっと、ずっと幸せに生きていく未来をこの子に託したい」


 何も言えなくなる。ずっと守ってきたたった一人の姉は、こんなにも強い光を放っていただろうか。

 そこにあるのは守るべきラルラではなく、強く優しい母親の姿だった。


「……おかあさん?」


 居間の隣にある寝室の扉が遠慮がちに開いた。寝ていたはずのスイアが顔をのぞかせる。ラルラが椅子から立ち上がり、スイアの頭を撫でた。


「ごめんねえ、起こしちゃったね」


 スイアが嬉しそうに笑った。ラルラにぎゅっと抱きつく。


 見ていられずに、ルーアスはスイアとラルラから目を背けた。


「……姉さんがいなくなったら、スイアは、お腹の子供はどうするんだよ」


 ルーアスの言葉にラルラが悲しそうに眉を下げた。


「今の働き先に子供が産めない身体の女性がいるの。旦那さんもその人も子供がすごく好きなんだけどね。だから、その人たちに預けようと思ってる。お腹の子が十二神人だってことも……伝えてるよ。すごくいい人だから、きっとスイアのこともこの子のことも愛してくれる」


 それでも不安なのだろうか。目に浮かんだ涙を誤魔化すように、ラルラがスイアを強く抱きしめた。


「へへへ、おかあさん」


 スイアが嬉しそうにユリアの肩に鼻をこすりつける。


「ねえスイア」

「んー?」

「おかあさんのこと、好き?」

「うん! 大好き!」

「おかあさんも、スイアのこと、ずっとずっと大好きよ」





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