13.無責任
シトが森の中へ入っていったのを見て、ルーアスはほっと息をついた。
けれど不意に胃を突かれたように、口から血の塊が飛び出た。力が抜けて、地面に膝をつきそうになるのをぐっとこらえて、リモゥに向き直る。
雷尖杖の痺れが弱まってきたらしく、リモゥがゆっくりと立ち上がった。
倒れた兵士を見回して舌打ちする。
「あんな小さな子供一人捕まえるのに、どれだけの人数引き連れてきてるんだ」
「………慎重な性格でね、念には念を重ねるタイプなのさ。貴様もよく知っているだろう?」
「自信がないだけのくせに」
「そんな口きける状況か? 十二神人が逃げた森には私の部下が張っているというのに」
ルーアスは首の後ろに冷たい汗をかいた。ここにいる兵士を皆殺しにされても、リモゥは全く焦っていない。森の中に仲間がいるのはおそらく本当なんだろう。
はやくリモゥを殺して、シトを追うべきか。
「せっかくきちんと別れができたのに、これじゃ恰好がつかないな」
「心配するな。望み通り、今生の別れにしてやるから」
リモゥの唇がぬるりと引きあがる。装甲をつけた長い腕を地面と水平にあげた。指が、ルーアスの視界の外をさしている。そっと視線だけで指の先を辿ると、そこには灰色の瞳の男がスイアの首筋に短剣を突きつけている光景があった。
「なっ……!」
スイアが信じられない顔で隣に立つ男を睨みつける。男はスイアの方を見ることもせず、銅像のように突っ立って、リモゥをみつめていた。
「おい、これはどういうことだ!! なぜ僕に剣を向けている!! 僕は情報提供者だぞ! 十二神人の居場所を教えたのは僕だ!」
「ええ。とても感謝しています。逃がしてしまいましたが、十二神人の顔と名前が分かっただけでも大収穫ですから」
動揺を隠しきれないスイアに対して、男の声色はひどく冷たく平坦なものだった。
スイアの表情がどんどん強ばっていく。
短剣の先が首筋にふれ、喉の奥でひゅっと掠れた息をもらした。
「だ、だ、だったら、早く僕の言う通りにしてくれよ! シトを殺して、ルーアスも殺してくれ! こいつは、あんな化け物を家族だなんていうイカれた野郎なんだ!!」
「……ええ。もちろん、リモゥ様が裁きを下します。……でも、あなただって自分の弟が十二神人であることを知っていてずっと黙っていたんですよね?」
男がゆっくりとスイアをみた。灰色の瞳が細められ、無機質な笑みにスイアの心臓が縮んで下腹に落ちていく感覚がした。
「それって、ルーアスさんと同罪ですよね?」
男がスイアからルーアスに視線をむける。
違う! と隣でスイアが叫ぶが、男は全く反応を示さない。感情のない人形のようだった。
「でも私はあなたには他の人より敬意を表しているんですよ。だってそうでしょう、あなたは我々ハマルティアの会に自分の罪を自ら告白しに来てくれたのだから」
「ぼっ、僕はずっとこの手でシトを殺したかった! けどあいつは神の力を持ってるし……。だから僕の研究が成功して、あいつにありったけの絶望を与えた後で、マ神に殺してもらおうと!!!」
その瞬間、首筋に当てられていた短剣がすっと真一文字に滑った。スイアの首筋から赤い血が飛び散る。
「ぐぁあっ!!」
「……マ神様、だろ。下劣な反逆者め」
「スイア!!!」
ルーアスがスイアに駆け寄ろうとすると、兵士が目の前に立ちはだかった。振り下ろされた剣を受け流し、すぐさま心臓をめがけて突き刺す。
悲鳴をあげて兵士が倒れ、その上を乱暴に踏みつけてスイアの元へ走った。
けれど、男が待ち構えていたと言わんばかりに、スイアを羽交い締めして、もう一度首筋に短剣を当てた。
「それ以上近づくと、次は本当に殺すぞ」
男の言葉にルーアスはぴたりと足を止める。
スイアが泣いていた。血がとめどなく雨とともに流れていく。
この期に及んでも、男には感情がなかった。
濁りきった瞳がルーアスをただじっと見つめている。
恨みも怒りもない、空洞だ。
「剣を捨てろ」
男の抑揚のない冷たい声に応じて、ルーアスは手に持っていた剣を足元に落とした。
スイアがゆっくりと目を見開く。
スイアと目が合った瞬間、ルーアスの下腹部に痛みが走り、視界の中に鮮血が飛び込んできた。
ゆっくりと顔をさげると、背後から鈍色に光る剣がルーアスの腹を貫いていた。
切っ先に雨粒が落ちて、きらりと光る。
それをすっと抜かれると、もう立ってはいられず、その場に崩れ落ちた。
一気に呼吸が浅くなるのを感じながら、倒れ込む直前で何とか片膝を立てて耐えしのぐ。
ルーアスを刺した兵士がもう一度剣を振り下ろそうとするのを、待てとリモゥが止めた。
「すぐに殺してしまっては面白くない。存分に痛めつけてから食ってやる」
リモゥが薄ら笑いを浮かべながら、ルーアスの背中を思い切り蹴った。
ギリギリで耐えていた態勢が崩れ、地面にうつ伏せに倒れる。その上をリモゥが鉄靴でさらに踏みつけた。
奥歯をぐっと噛み締めても、短い悲鳴がこぼれる。リモゥが高らかに笑いながら、ルーアスを痛めつける。ボールを無邪気に蹴る子供のようだった。
瞬きする間もなく、次から次に全身に痛みが走っていく。
皮膚の下で、骨が何本も砕けていくのを感じていた。
「なんで、なんで……っ」
痛みの狭間でスイアの声が聞こえてきた。
混乱しているのか、首筋に切っ先が突きつけられているにも関わらず、身を乗り出して叫ぶ。
「なんで、抵抗しないんだ……っ!! あんたほどの人が、なんでっ……」
スイアの言葉に思わず笑いそうになった。
浅く短い息が鼻から漏れる。
「わ、私……は……お前と違って……家族を……棄てたり……しない」
途切れ途切れの言葉はちゃんとスイアに伝わっただろうか。
ゆっくりと視線を向けると、スイアは泣いていた。
姉のラルラが死んでから、スイアはいつも泣いていた。涙は流していないのに、ルーアスにはスイアがいつも泣いているように見えていた。
襲い来る苦しみを払うことも悲しむこともできずに、ただ静かに変わりなくやってくる現実に耐えている。
ずっと泣き続けるスイアをどうすることもできないまま、自分は先に死のうとしている。
(無責任だな……私は)
最後にスイアの笑顔をみたのはいつだっただろうか。
思い出すのは、まだ姉のラルラが生きていた頃の日々――。
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