12.託す未来



「もういいですよ、リモゥ様。言いたいことは言ったんで」


スイアがリモゥに向き直る。スイアの瞳はもうシトへの興味をなくしたようだった。


「もういいのかい? 情報提供の礼はできたかな」

「はい。時間をくださってありがとうございます」

「それじゃあ連れていくよ」


リモゥが合図を送ると、シトの腕を掴んでいた兵士が立ち上がった。


「おい、ちゃんと立て」


不思議だ。痛みが遠のいている。視界の中で、足首がありえない方向に曲がっているのに、何も感じない。


何も感じないから、余計に濃く香る。

絶望の、悲しい、苦しい匂い。


ルーアスとスイアに背を向ける。これからどうなってもいいような気がしてきた。

誤解じゃなかった。自分は、絶望を与える厄災そのものだ。


頭の内側で少女の叫ぶ声がする。

うるさい、うるさい。

今は何も考えたくない。降りかかる罰を静かに待ちわびたい。


その時だった。


背後で悲鳴があがった。シトの腕を掴んでいた兵士が「ぐわあっ」と短い声をあげて地面に力なく倒れた。首に鈍色の剣が貫通している。赤い血。ぶわりと広がる。


振り返ると同時に、シトの頬に生ぬるいものが触れた。確認しなくてもわかる。返り血だ。


「シトっっ! 逃げろ!」


ルーアスが四方八方から襲いかかってくる兵士を切りつけながら叫んだ。ルーアスを拘束していた兵士は死んでいるのか、気絶しているのか、地面に倒れていた。兵士から奪った剣を右手に、雷尖杖らいせんじょうを左手に持ち、次々に兵士を殺していく。


「ルーアスっっ!!」


ルーアスに雷尖杖らいせんじょうで刺されて動けないのか、リモゥが膝をついたまま、ルーアスに向かっててのひらを向けた。瞬時に、牙をもつ黒い影が素早く飛び出してきた。死体の合間を通り抜け、ルーアスに向かっていく。


「お、おじさん!」


ほんの一瞬、ルーアスの反応が遅れた。


「ぐううっ!」


影がルーアスの左手を噛み切った。雷尖杖らいせんじょうをもった左腕を影が飲み込む。影が空気に溶けていく。そのすきに、兵士がルーアスに剣を振りかざした。寸でのところで剣で受け止める。しかし、左腕を失って思うように力が入らなくなり、剣をもつ右手が震えていた。


「おじさん!」

「くるなっ!」


駆け寄ろうとして、シトは足を止めた。ルーアスが今まで見たことのない形相でシトを睨んでいたからだ。


「なにしてるんだ! 早く逃げろ! リモゥが完全に動けない今のうちに!」

「逃げろって、何言ってるんだ! 俺も戦う!!」

「だめだっ!」


ルアスは剣を受け止めながら、足で兵士の腹を蹴り飛ばした。体勢を崩したのを見計らって、首に剣を突き刺す。しかし、休む間もなく、兵士たちがルーアスに向かっていく。


このままではルーアスが死ぬ。


それはきっとルーアスもわかっているだろう。けれど、シトに戦わずに逃げろと言う。


「なんで、なんでだよ! 叔父さんは関係ないだろ! これは俺のせいなのにっ……! 俺が生まれて母さんが死んだ……。俺が母さんを殺したから、兄ちゃんが、スイアがっ」


喉の奥から熱いものがせりあがってきて吐きそうになる。冷たい雨の中で、身体だけが異常に熱い。


思い返せば、すべてがシトのせいだ。

シトが生まれて、母が死んだ。

それだけでなく、ルーアスの夢まで奪ってしまったのだ。

すべての元凶は自分なのに、ここで自分だけ逃げることは許されない。


「俺が生まれて、全部……全部、奪った」

「違う。シトは何も奪ってない」


ルーアスが剣を突き刺す。気づけば、兵士はみな赤い血を流して倒れていた。

左目がつぶれ、顔中に血をつけたルーアスがゆっくりとシトの前に歩いてきた。


右手がシトの背中を引き寄せる。鼻をさす鉄の濃い匂い。

それなのに、嫌じゃなかった。ルーアスに抱きしめられているからだろうか。


「シトはたくさんのものを私に与えてくれた。……私を軍人から親にしてくれてありがとう。親としての役目をきちんとこなせたか自信はないけど、少なくとも私はシトと過ごした時間がとても幸せだったよ。心の底から言える。君に会えてよかったと」


ルーアスの声が震えていた。とめどなく涙があふれる。


「シトの中に宿る神よ。私の宝物を守ってくれ」

「……まって、叔父さ……」


「世界を変えてくれ。本当の悪を滅して、君が君のままで生きられる世界にするんだ」


どんっと突き飛ばされた。


「またな、シト」


言い返そうとして、何も言えなくなった。唇をかみしめる。塩の味がした。


「ああああああああああああああああああああああああああああ」


叫ぶことで心を深いところに押し込めた。踵を返し、走りだす。振り返らなかった。


振り返れば、戻りたくなってしまう。温かい腕の中に。


柵を飛び越え、庭の隣にある木々が生い茂る森の中へと飛び込む。雨に濡れて、鬱屈とした森。どこに逃げればいいか分からない。ひたすらに走り続ける。


気持ちを誤魔化すための叫びが、泣き声に変わっていく。

雨音がたたきつける。頭の内側は不思議と静かだった。




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