6.勝ちたい、勝てない
夜になると、島の明かりはほとんどなくなる。透き通った空気の向こうに、青い月が寂しそうに浮かんでいた。闇と月の弱い光だけが残る夜に自分の呼吸の音がよく聞こえる。
右足を踏み出し、素早く木刀を突き出す。
しかし、よけられる。よけられるイメージが簡単につく。
何度木刀を振りかざしても、聞こえてくるのはシトの息が上がる音だけだ。結局、胸が苦しくなって膝に手をついた。顔中から汗が噴き出して、つるんと滑って地面に落ちていく。
最後の方はもうやけくそで木刀を振り回していたから、無駄に体力を使ってしまった。
「どうしたら……叔父さんに勝てるんだろう」
電気の消えた家を見つめる。ルーアスはとっくに就寝しているだろう。確認して出てきたから間違いない。
深夜に一人で練習しているところを見られたら間違いなく怒られるし、何より恥ずかしい。努力の結果は見てほしいが、そこまでの過程は見られたくない。
情けない姿をたくさん晒してきたが、これだけはシトの中で揺るがない唯一の矜持だった。
自分がルーアスに勝てないのは練習不足だと足りない頭で絞り出した答え。だから一週間ほど前から深夜に一人で自主練習を始めた。
しかし、頭の中のルーアスに勝つイメージが一向に湧かない。
足りないのは練習量じゃないのか? 自分の出した答えに懐疑的になる。
「今日も寝ないのか?」
振り返ると、少女がルーアスの作ったムサカを食べながらいつの間にか立っていた。
神である少女の姿は、神の力を持つ者にしか見ることはできない。
普段はシトの中の神世界に棲んでいるが、たまにこうして現実世界に現れる。そのほとんどがお腹が空いてルーアスの料理を食べるときだが。
現実にいるときの少女をとりまく雰囲気はいつもおぼろげで、触れたら最初からそこにいなかったかのようにあっさりと消えてしまいそうだ。
まるで、夜明け前の蜃気楼をみているようだった。
少女は無表情でムサカを頬張っている。小さな両頬が風船みたいに丸く膨らんでいた。
「明日も朝早いだろ」
「大丈夫、俺あんま寝なくても平気だし」
嘘だ。自主練習を始めて日中眠くてしょうがない。睡眠不足。きっと今もルーアスへの闘志で誤魔化しているだけで、少しでも気を抜けば、その場で倒れ込んでしまう気がする。
「私が呼び出した時はいつも寝かせろ寝かせろやかましいのにな」
「うるさいな。自発的にやるのと無理やり起こされてやるのは全然違う……」
反論の途中で、シトはあっと声をあげた。
そうだ。戦闘のことは、戦闘のプロに聞くのが一番早い。
「なあなあ! どうしたら叔父さんに勝てると思う?」
「は? そんなの自分で考えろよ」
「考えてもわかんないから聞いてるんだよ。練習量なのかと思ったけど、これだけじゃダメな気がする」
少しの沈黙の後、少女が口を開く。
「じゃあヒントをやる」
「ヒント?」
「お前の長所は何だ」
急になんだ。自分の長所など考えたことがない。首をこれでもかとひねってうなっていると、少女が大きなため息をついた。
「お前の長所は馬鹿な所」
「ばっ……」
自分以外のやつに言われると腹が立つ。自覚はあるけれど。
「じゃあ短所は」
「短所は……ん? まてまて、今言った馬鹿な所は短所なんじゃ」
「正解。お前の短所は馬鹿な所だ」
意味がわからない。長所と短所が同じ?
なぞなぞだろうか。
「お前は馬鹿だから動きが猪突猛進すぎる。その上、勘は悪くないから、勘に頼りきって思考を放棄している。長年軍人で戦い慣れたルーアスには、お前の動きは手に取るようにわかるだろうな。あいつは計算型だろうし」
柔いところを針でぶすぶす容赦なく刺された気分だ。
思い返せば、何かひとつでもルーアスに傷を残すことばかりを考えて、むしろそれだけしか考えずに剣をふるっていた。けれど、どうしたってシトの攻撃はルーアスに当たらず、先ほどのようにやけくそになったこともあり、ルーアスに注意されたことがあった。
「思考するんだ」
「思考する……」
言葉を反芻して、身体が鉛のように重くなる。
思考。シトが一番苦手な行為だ。戦いの中でどのように思考すればいいのだろうか。
「どうすれば」
「自分で考えろ」
シトのすがるような声色を少女はあっさり切り捨てる。何も言う気が無いらしい。
地面に座り込んで、膝を抱えた。てのひらには固い豆がたくさんできていて、何個か潰れて痛い。
シトも少女も何も言わない。夜風が心地いい。気を緩めたら眠ってしまいそうで、シトは自分の頬を軽く叩いた。
思考を思考するという意味のわからない状況から脱出するための思考をしている。
「……っだああああー! わかんねえー!」
地面に大の字で寝転がる。月の光が顔面に降りかかる。目を閉じて今までのルーアスとの稽古を思い返した。少女はルーアスのことを計算型だと言っていた。それは何となくシトも感覚でわかっている。ならば、自分と真逆のタイプであるルーアスの戦い方になにかヒントはないだろうか。
強く、強く思い出す。
そういえば───。
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